1976年の事故死めぐり、脱北した元高官が「暗殺」と主張
北朝鮮で英雄と呼ばれてきた南日(ナム・イル)元副首相=写真=が、金正日(キム・ジョンイル)総書記によって暗殺されていたとの発言が飛び出した。
かつて北朝鮮で政府高官を勤めていた脱北者のA氏によると、南日・元副首相は1976年2月、平安南道安州の南興青年化学連合企業所を視察した直後、官用のベンツに乗って平壌に戻る途中、順安空港近くの路上で軍用トラックと衝突し、死亡した。A氏は「当時、事故の現場検証を行った社会安全部(警察)交通調査課の副課長が書いた秘密報告書に目を通したが、その内容によるとこの事故は疑惑だらけだった」と話した。
A氏は「事故を起こしたトラックには91で始まるナンバーが付いていたが、この番号は金総書記の警護を担当する護衛2局所属の車にしか付けられないものだ」と説明した。A氏によると、護衛2局所属の将校らは現場を統制し、交通調査副課長による現場検証を妨害した。また副課長があれこれ訪ねると、将校らは険悪な表情で「うるさい」と一喝し「静かにしなければ俺もお前も死ぬ」と言ってきたという。
最終的に副課長は追い出されるようにしてその場を去り、A氏に「彼らは事故を隠そうとしている。暗殺に間違いない」と報告した。A氏は「当時は金日成(キム・イルソン)主席の後継者争いが厳しく、金総書記は腹違いの弟である平一(ピョンイル)氏を支持する南日氏を邪魔者と考えていた。そのため、自らの手足となっていた護衛2局を使い、南日氏を殺害したのだろう」と話した。
南日氏は旧ソ連軍将校として第2次大戦に参戦し、数々の功績を立てた。光復(日本による植民地支配からの解放)後は北朝鮮に戻り、韓国戦争(朝鮮戦争)では総参謀長(合同参謀議長に相当)として朝鮮人民軍を率い、停戦協定の締結に当たっては共産軍側の代表として署名を行った。その後は外相や国家建設委員長、副首相を歴任するなど、順調に出世コースを登っていたが、1976年に交通事故で不可解な死を遂げた。
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