在日韓国人が韓国でパンチョッパリ(半日本人)と呼ばれ、蔑視を受けがちなことはよく知られている。
韓国人が言い訳に使うセリフがこうだ。
「朝鮮戦争で俺たちが命を賭けて戦っている時に、あいつらは日本で金儲けにした。安逸な暮らしを日本で楽しんでいた奴らだ」
これも一種の嫉妬心だろう。
「反日の根っこには、朝鮮戦争特需で復興できた日本への反感がある」
よくこう言われるが、反日のそこにも「嫉み」があったろう。
一昔前は、韓国駐在の日本人の間では、韓国が経済成長すればそうした嫉みも消え、反日の気分も次第になくなる、との楽観論が主流だった。
しかし、東日本大震災後のサッカー戦のスタンドに「日本の大地震をお祝いします」の横断幕が登場して以来、そんな見方は消えた。
ただの妬み嫉みではない、純情でないものを感じた日本人は多いだろう。
韓国の諺のひとつが、これだ。
「水に落ちた犬は棒で叩け」
「大騒ぎして、デモして、翌日には日本観光に出かけて、お寿司やら何やらをたらふく食べて帰ってくるのが韓国人、何も騒がず、黙って、韓国に来ず、韓国製品を買わないのが日本人」
と、いう声もあるほどだ。
在米韓国人への陰口は「バナナ」だ。
「肌は黄色くても中身はアメリカ人そのものだから」と言う人と、「いくら気持ちはアメリカ人になっても、肌の色は変えられないから」と言う人と、二通りいる。
いずれにしても嫉妬心がギラギラしている。
半島に閉じ込められ、逃げることができない民族の妬み、嫉み、のように感じる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます