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かって、任那の日本府が朝鮮半島の南部に一大勢力を持っていた

2020-06-12 03:15:18 | 韓国旅行

 
かって、任那の日本府が朝鮮半島の南部に一大勢力を持っていた。


戦前のみならず、戦後もしばらくは学校の教科書にはこの歴史的事実が記載されていた。
 
ところが、20年ほど前、「任那日本府」の文字が突如教科書から消えた。
日本の文部省が、歴史教科書の「倭(日本)は加羅(任那)を根拠地として、百済を助け高句麗に対抗」という記述にクレームをつけたためである。
 
理由は、「日韓歴史共同研究」で、日本の学者が韓国の学者から怒鳴りつけられたためである。
任那日本府は『日本書紀』、『宗書倭国伝』に記載されている歴史的事実である。
 
国史は自らの資料にもつづいて書かれる・・・・・・。
歴史解釈権や教育権が、国家主権に含まれるからである。
だが文部省の役人は、韓国の怒りを恐れて、その主権をいともかんたんに捨ててしまった。
怒鳴りつければ歴史を書き換えるので、韓国がこれを日本攻撃の武器に使わない手はなかった。
 
以後、中・韓は日本に歴史解釈の変更を迫り、応じなければ歴史修正主義者と罵るようになった。
文部省の役人が、日本史の原点である『日本書紀』より、韓国の怒りのほうを大事にした理由は、トラブルを避けるためで、「河野談話」ができあがったのと同じパターンである。
 
霞ヶ関には、「トラブルをおこすと出世の妨げになる」という神話があるため、真実や国益を主張して相手国とやり合うより、謝ってひっこむほうが懸命という“事なかれ主義“が横行する。


霞ヶ関に、「ならぬものはならぬ」というハラがあったら、日本の子供たちに誤った古代史をつたえる教育破壊も現在の従軍慰安婦問題もなかったのである。

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