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アンディ ウォーホル経歴

2010-07-05 06:26:50 | Weblog
1月21日午後

<韓国 ソウル>

ソウル市立美術館ではアンディウォーホル展が開催されている。



アンディウォーホル経歴

 1928 アメリカ合衆国ペンシルヴァ二ア州のピッツバーグでチェコスロヴァキアの移民の炭鉱夫の家庭に生まれる。父親は高校卒業前に亡くなる。カーネギー工科大学で美術史、社会学、心理学を学ぶ

1949 ニューヨークへ。「ヴォーグ」誌などのイラストなど広告グラフィックの仕事を行う。ティファニー宝石店のウインド装飾なども。商業デザイナーとして出発。

1952 NYのヒューゴー画廊で初めての個展開催

1954 「サムという名の25匹の猫と1匹の青い子猫ちゃん」というタイトルのイラスト集を刊行

1957 靴の広告デザインで<アート・ディレクターズ・クラブ・メダル>を受賞。NYのパドレイ画廊で個展。60年まで毎年同画廊で個展

1960 フリーとなりアーティストを目指し絵画制作

1962 ロサンゼルスのフェラス画廊で「キャンベル缶シリーズ」の個展開催。酷評を受ける。シルクスクリーンの制作を開始。

 シルクスクリーン・ペインティングの作品を制作し、NYのスチーブル画廊で個展を開催。これが大評判となり、一躍著名に。

NYのシドニー・ジャニス画廊の「ニュー・リアリスト展」に『キャンベル・スープ缶』を出品。“ポップ・アート”がここから始動する。

同年に亡くなった『マリリン・モンロー』を制作

1963 ファクトリーを開設。死を主題とした作品を制作。最初の映画を製作

1964 アムステルダム美術館の「ポップアート展」に出品。NYのレオ・キャステリ画廊で個展。パリのイレーナ・ゾンナーベント画廊で「花シリーズ」の個展

1965 ペンシルヴェ二ア大学インスティチュート・オブ・コンテンポラリー・アートでの個展でとてつもない入場者を記録。収拾がつかなくなったともいわれ、名声が決定的となる

1966 NYのグッゲンハイム美術館の「フォトグラフィック・イメージ」展に出品。ボストンで現代美術協会による「アンディ・ウォーホル」展。

 制作した映画「チェルシー・ガール」がヒット。同作品がウォーホル制作映画で最も商業的に成功したものとなる

 ヘリウムガスを入れた風船を画廊内で漂わせたインスタレーション《雲》を発表

1967 映画「ロンサム・カウボーイ」を制作。以後もアンディ・ウォーホル制作映画は数多く作られるが、自身がカメラを持った最後の作品となる

1968 ウォーホルの映画にも出演したことのある女性に狙撃されて重症を負う。同年は、黒人運動指導者キング牧師やケネディ大統領が暗殺されるなどのテロが吹き荒れた。以後の映画はファクトリーのスタッフが演出していく

カッセルのドクメンタⅣに参加。ストックホルム近代美術館で「ウォーホル展」

1969 ベルリン国立美術館で個展。ショービジネス界で著名な人物にインタビューした誌面だけで構成された「インタビュー」誌を創刊

1972 社交界からの注文肖像画の制作を始める。『毛沢東シリーズ』を制作

1974 日本で回顧展を行い、来日。

1976 ヨーロッパ各地の美術館で個展巡回

1977 ドクメンタⅥに参加

1978 ヴェネツッア・ビエンナーレに参加。チューリッヒ美術館やロンドンの現代美術協会で個展

1979 ホイットニー美術館で回顧展「70年代のポートレート展」

1980 ヴェネツッア・ビエンナーレに参加

1981 ロンドン王立美術協会の「ア・ニュー・スピリット・イン・ペインティング」展、ケルンの「西欧美術」展に出品

1982 ベルリンでの「ツァイガイスト」展に出品。ドクメンタⅦに出品

1983 冬季オリンピック・サラエボ大会のポスター制作

1985 NYのトニー・ジャフラジィ画廊で「ウォーホル+バスキア展」

1986 ケルンのルートヴィッヒ美術館の「ヨーロッパ/アメリカ」展に出品

1987 ニューヨークで死去

1989~ ニューヨーク近代美術館で大回顧展。翌年、世界で巡回の回顧展

   

 

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