在日韓国人の蔑称「半チョッパリ」
韓国のあるTV放送で、韓国系日本人サッカー選手、李忠成を取材した番組が流れたことがあった。その中で李忠成がこのような発言をしていた。
「(韓国で)半チョッパリと言われたことを伝えたら、父が怒りました」
言語的にも、文化的にも韓国人よりも日本人に近いと揶揄する意味で、在日韓国人を半チョッパリと表現しているのだが、これはあきらかに差別用語であるし、ヘイトスピーチの範疇に入る言葉だ。
間違いなく不愉快な言葉であるのに、不思議なことに、在日韓国人達からこの言葉に対し、批判、あるいは不満の声はほとんど上がってこない。
一部の在日韓国人達は、長い間、日本国内で「差別」を受けたと糾弾してきた。日本人が使う用語や制度、機会の付与などについて「国籍による差別」があり、問題であると主張してきた。このような意見には共感できるし、実際、そういった意見を支持する日本人も少なくない。
ところで、同じ国籍であるのに、明らかな差別を受けた秋山成勲や李忠成について、母国である韓国に対し抗議するというケースは、ほとんど聞かない。何か不自然なような気がする。
日本社会での差別に対しては、とても敏感に反応するのに、もっとひどい待遇を祖国で受けることについて問題視しない理由は何だろうか?その理由について2つの可能性が浮かぶ。
1つ目は、在日韓国人に対する韓国社会の差別が日本社会のそれよりも酷いという意見が出れば、日本においてこれまで行ってきた、差別に対する抗議運動を続けるのに支障をきたす。
そして、今さら本国の酷さを認めることは、自らダブルスタンダードの姿勢をとってきたことを認めることになってしまうからである。これを認めたくないがために、韓国で受けた差別の経験に対しては沈黙し、なかったことにするのだ。たとえ、秋山成勲や李忠成のような被害を受ける者が出たとしても。
2つ目は、もし在日韓国人から「日本より韓国の方が酷い」という意見が出れば、在日韓国人は韓国社会から「半チョッパリ(半分日本人)」ではなく「完全なチョッパリ(完全な日本人)」扱いされることになり、日本や日本人よりも、もっとひどく恨まれることになるのが目に見えているからだ。
「日本よりも酷い」という表現は、日本を絶対的な悪者と認識している韓国人にとって、これ以上にない批判であり、侮辱だ。