田中雄二の「映画の王様」

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『汚れた顔の天使』

2019-04-10 06:12:08 | 1950年代小型パンフレット
『汚れた顔の天使』(38)(1992.12.)



 死刑の宣告を受けたギャングのボス・ロッキー(ジェームズ・キャグニー)。彼と共にスラム街で育った牧師のジェリー(パット・オブライエン)は、彼と面会し、彼を崇拝するスラム街の少年たちのために“あること”を頼む。監督はマイケル・カーティス。

 自分にとっては“伝説の映画スター”の一人であるジェームズ・キャグニー。まだ若いうちに引退してしまったので、これまでは、テレビで見たビリー・ワイルダーの『ワン、ツー、スリー』(61)、ジョン・フォードの『栄光何するものぞ』(52)『ミスタア・ロバーツ』(55)あたりと、後年唯一復帰した『ラグタイム』(81)の印象しかなかった。つまり、ギャングスターとして鳴らした全盛期の部分が完全に欠落しているのである。

 その意味では、この映画はキャグニー再発見の恰好の一本と言えるのだが、実際に見てみると、思っていたほどのすごみはなく、小柄で身軽で早口で、どちらかと言えばやんちゃで憎めないキャラクターに映った。この映画でも共演していたハンフリー・ボガートや、ジョージ・ラフトといった同種と思われた俳優たちとは明らかに異質な感じがしたのである。もちろんキャグニーはギャング映画専門の俳優ではなく、歌も踊りも得意で、未見だが『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ 』(42)でアカデミー賞を受賞したことでも知られている。

 ところで、この映画は、キャグニー演じる主人公のギャングが、決して極悪非道には描かれておらず、ラストに至っては改心?まで示す。そうした“中途半端な悪党”を描いたために、ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』(32)や黒澤明の『酔いどれ天使』(48)同様に、本筋では悪を否定しながら、主人公が魅力的なあまり、彼らの滅びの美学や哀れさが際立つという、反作用を生み出してしまっている。そうした流れは「ゴッドファーザー」シリーズなどにも踏襲されている。

ジェームズ・キャグニー


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