田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

井上ひさしの芝居1「イーハトーボの劇列車」「シャンハイムーン」「頭痛肩こり樋口一葉」

2020-10-16 12:57:24 | ブックレビュー

 『東京人』11月号は、没後10年 「井上ひさしの創造世界(ユートピア)」。そう言えば、彼が書いた芝居を幾つか見ていたことを思い出した。

 

「イーハトーボの劇列車」(1993.11.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 宮沢賢治(矢崎滋)、宮沢政次郎(佐藤慶)、宮沢とし子(白都真理)、稲垣未亡人(中村たつ)

 井上が敬愛する宮沢賢治の生涯を描いた伝記劇。とかく聖人化されがちな賢治像に対するアンチテーゼ劇でありながら、逆に、そこから賢治の別の魅力が浮かび上がってきて、不思議な切なさを感じさせられる。何とも見事な「宮沢賢治論」である。この世への「思い残し切符」という小道具が絶妙だった。


「シャンハイムーン」(92)(1995.4.16.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 魯迅(高橋長英)、許広平(安奈淳)、内山完造(小野武彦)、内山みき(弓恵子)、須藤五百三(辻萬長)、奥田愛三(藤木孝)

 今回は魯迅を主人公にして、彼の心の屈折やコンプレックス、罪の意識などを浮き彫りにしながら、その魅力を明らかにしていく。これは「イーハトーボの劇列車」の宮沢賢治と同じ手法だ。

 しかも、そこに、アジア諸国では何かと評判が悪い、日本人の善行を描き込むあたりが憎いほどうまい。だからこそ、最後に魯迅の臨終に立ち会った(世話を焼いた)人々の名を挙げながら、「これはとてもふしぎですが、皆さん、日本の方でした」と語るセリフがとても心に響くのだ。

 ほぼ6人しか出てこない芝居(その6人が皆素晴らしい)の中でも、普段はエキセントリックな役が多い藤木孝の変身ぶりがお見事。宇野誠一郎作曲の中国風の哀愁があるテーマ曲も心に残った。


「頭痛肩こり樋口一葉」(84)(1996.11.9.)

 演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 樋口夏子(香野百合子)、樋口邦子(白都真理)、樋口多喜(渡辺美佐子)、花蛍(新橋耐子)、中野八重(風間舞子)、稲葉鉱(上月晃)

 「イーハトーボの劇列車」の宮沢賢治、「シャンハイムーン」の魯迅同様、井上ひさしが芝居仕立てで語る作家論。今回は樋口一葉である。

 そのどれもが、ただの作家礼賛ではなく、彼らが抱える矛盾や嫌らしさも示しながら、最後には愛すべきキャラクターとして浮かび上がらせる、という手法も共通する。しかも、決して堅苦しくはなく、平易なストーリー展開の中に、適度なユーモアとペーソスが相まって語られるから、見ている方はたまらない。

 特に、この芝居は、盆という日本独特の風習を巧みに利用して、生者と死者との関わりを、楽しく切なく見せながら、一葉に代表される、明治時代の女性知識人の無力さやあがき、悲哀なども、見事に描き込んでいた。

 これまで見てきた井上芝居は、半分ミュージカルでもあったから、宇野誠一郎の音楽に酔わされながら、安奈淳、順みつき、そして今回の上月晃といった、宝塚出身の女優たちの魅力も再発見させられた。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『トゥルーライズ』

2020-10-16 09:41:59 | ブラウン管の映画館

『トゥルーライズ』(94)(1994.12.14.渋東シネタワー)

 凄腕のスパイが、その身分を家族に隠しながらテロリストと戦う姿をコメディタッチで描いたアクション映画。タイトルの意味は「本当の嘘」。

 確かに、壮大でド派手で、いかにもハリウッド映画らしい金の掛かったアクション大作ではある。だが、見ている間はその上辺にだまされはするものの、見終わった後には何の感慨も残らず、ひどく空虚な気分になる映画でもあった。

 例えば、百歩譲って、これはあくまでもジェームズ・キャメロン流の、007などのスパイ映画へのパロディであり、コメディ映画なのだ、と自分に言い聞かせてみても、では、なぜここまで派手なドンパチや破壊が必要なのか、という疑問は消えない。これは、一家族の崩壊を食い止めるために、国家的な組織や抗争を利用したミーイズムの映画だと言えないこともない。

 そして、ハリウッド映画の欠点である短絡さが、アラブ人グループへの一方的な悪役のイメージや、あまりにも無知で安易な核爆発の描写(先の原爆記念切手の問題と根っこは同じだ)などに、如実に表れてもいる。

 スパイの仕事とプライベートという、二重構造が生み出すギャップの面白さに目を付けたところは、なかなかよかったのだし(オリジナルは日本未公開のフランス映画とのこと)、妻役のジェイミー・リー・カーティスや相棒役のトム・アーノルドのコメディリリーフぶりも冴えていただけに、もう少し小品として作った方がよかったのでは、という気がしてならない。

 これでは、アイデアはいいのに、シュワルツェネッガーを主役にしたからには、派手にしなければ…というお約束の殻を破れずに失敗した、先の『ラスト・アクション・ヒーロー』(93)と同じである。

【今の一言】われながら、随分酷評しているとは思うが、あの時の心境はこんな感じだったのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする