『東京人』11月号は、没後10年 「井上ひさしの創造世界(ユートピア)」。そう言えば、彼が書いた芝居を幾つか見ていたことを思い出した。
「イーハトーボの劇列車」(1993.11.)
演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 宮沢賢治(矢崎滋)、宮沢政次郎(佐藤慶)、宮沢とし子(白都真理)、稲垣未亡人(中村たつ)
井上が敬愛する宮沢賢治の生涯を描いた伝記劇。とかく聖人化されがちな賢治像に対するアンチテーゼ劇でありながら、逆に、そこから賢治の別の魅力が浮かび上がってきて、不思議な切なさを感じさせられる。何とも見事な「宮沢賢治論」である。この世への「思い残し切符」という小道具が絶妙だった。
「シャンハイムーン」(92)(1995.4.16.)
演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 魯迅(高橋長英)、許広平(安奈淳)、内山完造(小野武彦)、内山みき(弓恵子)、須藤五百三(辻萬長)、奥田愛三(藤木孝)
今回は魯迅を主人公にして、彼の心の屈折やコンプレックス、罪の意識などを浮き彫りにしながら、その魅力を明らかにしていく。これは「イーハトーボの劇列車」の宮沢賢治と同じ手法だ。
しかも、そこに、アジア諸国では何かと評判が悪い、日本人の善行を描き込むあたりが憎いほどうまい。だからこそ、最後に魯迅の臨終に立ち会った(世話を焼いた)人々の名を挙げながら、「これはとてもふしぎですが、皆さん、日本の方でした」と語るセリフがとても心に響くのだ。
ほぼ6人しか出てこない芝居(その6人が皆素晴らしい)の中でも、普段はエキセントリックな役が多い藤木孝の変身ぶりがお見事。宇野誠一郎作曲の中国風の哀愁があるテーマ曲も心に残った。
「頭痛肩こり樋口一葉」(84)(1996.11.9.)
演出・木村光一、音楽・宇野誠一郎 樋口夏子(香野百合子)、樋口邦子(白都真理)、樋口多喜(渡辺美佐子)、花蛍(新橋耐子)、中野八重(風間舞子)、稲葉鉱(上月晃)
「イーハトーボの劇列車」の宮沢賢治、「シャンハイムーン」の魯迅同様、井上ひさしが芝居仕立てで語る作家論。今回は樋口一葉である。
そのどれもが、ただの作家礼賛ではなく、彼らが抱える矛盾や嫌らしさも示しながら、最後には愛すべきキャラクターとして浮かび上がらせる、という手法も共通する。しかも、決して堅苦しくはなく、平易なストーリー展開の中に、適度なユーモアとペーソスが相まって語られるから、見ている方はたまらない。
特に、この芝居は、盆という日本独特の風習を巧みに利用して、生者と死者との関わりを、楽しく切なく見せながら、一葉に代表される、明治時代の女性知識人の無力さやあがき、悲哀なども、見事に描き込んでいた。
これまで見てきた井上芝居は、半分ミュージカルでもあったから、宇野誠一郎の音楽に酔わされながら、安奈淳、順みつき、そして今回の上月晃といった、宝塚出身の女優たちの魅力も再発見させられた。
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