TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

昔話:変化球が投げられなかった頃

2013-11-17 10:05:00 | 野球
 ツタヤで借りることが出来た『巨人の星』を読んでいる。それにしてもみんな良く泣くなあ。一徹オヤジからして。野球経験者からすると、凄く野球を分かっていて書いている部分と突っ込み所だらけの部分が満載なんだが、そういうのは別にして、生き方を考えさせられる名作であることは間違いない。あの森祇晶氏も学ぶことが多かったと解説で書いておられる。一九六〇年代の雰囲気が描かれ、あの熱い時代が描かれている。そういう時代の一途な若者が、野球一筋でいいのかと悩む姿も面白い。人も羨む青春時代なんだがなあ。だが、一流の野球選手は、他の一流の世界に触れておくべきだと言ったのは「ワシが許さん」の豊田泰光氏だったか。

 さて。飛雄馬は冒頭のシーンで一徹オヤジの無念の魔送球を見よう見まねで投げている。しかも左投げで。ならば、スライダーやシュートを誰にも習わずに投げられるはずじゃないか、とか思っていたが、話の中では一徹オヤジが変化球を教えなかったという設定だ。真っ直ぐ一本やり。高校野球ではスローボールを駆使していたが、それは腕を振らないスローボール。怪我をしていたんだから仕方がないが、それは本当はスローボールじゃない。


 というのは、本を読んでいて思い出したのは自分がピッチャーをやっていたころ。餓鬼の頃からカーブが投げられず、フォークが投げられるようになるまで使える変化球を持っていなかった。それでも、投手をやることがあった。遅い真っ直ぐと速い真っ直ぐだけで凌がなければならないのだが、遅い真っ直ぐが難しい。腕を振らなければならない。腕を思いっきり振った上で、スローボールにするには? この課題に面したのが、中学校の頃の草野球だった。腕を伸ばせば強くて速い真っ直ぐになる。ならば、肘を曲げて投げたら? だが、それだけでは見抜かれていまう。結論としては、肘の軌道を通常より低く落し、肘から先だけアホほどスピードをつけて振りぬくという投げ方だった。数年前に肩を壊してしまったが、この投げ方だけは今でも出来る。とても遅い真っ直ぐだ。

 フォーク、スライダーを覚えてから、めったに投げなかったが、大事な試合――県大会優勝とか、全国出場とか――なら、一試合に2、3球くらい投げた。まず、打たれなかったなあ。まあ、多く投げたら当然打たれるのだが。

 今、時折プロ野球でスローボールを投げる投手がいるが、腕が緩んでいるからあんなのスローボールじゃない、と思う。大リーグボールなんて無茶をせんでも、本当のスローボールを覚えたら、飛雄馬は無敵だろう、と思う。

 ちなみに、大人になった飛雄馬は成長が完了し、結構な大男で、得意ボールはシュートだったりする。(『新・巨人の星』)

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『いびつな絆 関東連合の真実』(工藤明男著(元関東連合幹部)、宝島社)

2013-11-10 15:22:00 | 読書
 ヤクザなんか格好悪いと思っていた人間集団が、暴力の行使において失敗し、ヤクザよりも格好悪い連中になったというのが正直なところ。何度かこのブログで書いているが、暴力は技術の問題であり、技術の問題には法則性が伴う。無軌道な暴力は、悲惨なだけでナンセンスの極み。そして思いっきり迷惑だ!

 なんてことは、著者には言うまでもない。関東連合のメンバーは、足を洗ったら過去の行動を恥じ、触れずに、連絡も取らずにいるそうだ。著者は関東連合を解散させたいと思っているとのこと。この無軌道で破滅的な連中は、自滅すると小生は思う。半端者が今、「関東連合」を、「元」とか言って名乗っているようだ。で、本当の元メンバーは、何かとお金をせびられ、大変なようだ。

 で、読みながら思い出したのは、新左翼の破滅の歴史。そしてその彼らのその後の生き様。彼らも暴力の行使において躓いた。また、大阪の下町でハンパなくグレる人間ってのは、背景に差別がべっとりと張り付いている者が多かった。流れ者、在日など。被差別部落の人間は、悪い意味で「徹底的にやられていて」非常におとなしく、いわゆる不良にならなかった。(少なくとも小生の学年では知らん。)ちなみに在日には、小生の二つ上の人で今は、大親分になっちゃった人もいる。ケンカの達人だったね。関東連合のメンバーもグレてはいるんだが、その理由が気になった。杉並区や世田谷区など、ちょっとハイソな地区の不良が、渋谷でブイブイ言わせたわけだが、グレるきっかけってのが、「中学お受験のための塾に行かなかった」からだ。言えることは、少年期の敏感な心は、選別・差別に非常に敏感だということか。俺の時代の俺の街で塾に行くのは、滅茶苦茶勉強が出来るか、全く出来ないかの両極端だったから、こういうのは理由にならなかったなあ。地域と時代が違いすぎるように感じてしまったのは何故?

 この本は実録物になるのだろうか。ならば、余り細かい読書メモを書かないべきだな。一つの章で5~6個に留めよう。



 第一章は「六本木クラブ襲撃事件」と題して。
・人定がかなりいい加減。不確定情報で誤爆。何の覚悟もない殺人。一言で言うと素人集団。
・とりあえず殴ってこけたらタコ殴りで殺してしまった。実行者には最低限すべき変装も顔の隠しもやっていない者も。後に明かされるが、連れション感覚で巻き込まれた感じの者も。
・殺したかったのは、抗争相手で、これまた無軌道なトーシローのキム兄弟の弟、という人らしい。
・犯行を店側のパフォーマンスと思い、スマホ撮影している人もいたらしい。
・犯行を計画、指示したのは「見立君」。物凄く頭の切れる人間にして、暴力は何かを狂わせる。暴力を行使するのは、大変難しい技術なんだと改めて小生は思う。

 第二章は「歓楽街のギャングスター」と題して。
・直接世話になったりしない限り、先輩や後輩、はたまた同輩と認めない集団らしい。敬語も使わない。
・「元関東連合」とは言わず、「関東連(関東連合の略称)だ!」と言うらしい。
・大規模な事件は、五反田・暴走族一〇〇人大乱闘事件(一九九七年七月)から。一九九八年には既に誤爆で人殺し。
・そういうわけで、人殺しを年に一度?くらいしていたので、「殺すぞ」にリアリティーがあった。
・グレるきっかけは、最初に書いた通り。
・超・硬派な恰好で、クリスマスに繁華街に繰り出し「俺たちにクリスマスなんて関係ないぞ」と周囲を威嚇していたら、Kという男と出会う。昔の関東連合の大物だが、いずれ著者は敵対すると考えていたらしい。だが、Kは硬派な彼らを気に入り、著者らを従えるようになる。著者らはこれをきっかけに、大人の夜の世界に入るようになる。Kには大会社の社長、券\人、様々な繋がりがあった。

 第三章は「ビッグマネー」と題して。
・Kは、関東連合の若者のような人間は「若くて威勢のいい奴ら」と考え、かわいがる券\会社社長に著者らを売り込む。だが、後輩を売り込むことでノウハウを吸収し、ビジネスを食ってしまうことまでは考えなかった。Kの売り込みで得た職を続けた者は殆どいない。また、KはKで後輩たちを使いっぱしりにした面がある。
・そういうわけでKには大人の世界を見させてくれた恩義があるものの、多くの者はKとの決別を選ぶ。訣別を強硬に主張したのは松嶋クロス(元AV監督)。
・訣別後、AV業界、闇金、オレオレ詐欺などにメンバーが進出。
・ヤクザの世界でも見られるが、金稼ぎのために関東連合の名前を使う人間を、そうじゃない人間は快く思わない。とはいえ、関東連合は何かの組織であり、金儲け部門とゲバ部門に分かれているわけではない。ここはヤクザ組織と違うところ。
・中にはヤクザ組織に身を寄せるものが出る。ヤクザになった者には、関東連合のありように疑問を持つ者も出る。「ヤクザでもねえのにあいつら……」(p135)
・著者は「ヤクザは割に合わない」と言う。小生も、幼馴染の父親なんか見て、そう思う。ならば、ヤクザより半端なことをどうして?とも思う。

 第四章は「朝青龍、海老蔵――六本木・西麻布コネクション」と題して。
・酔っぱらった朝青龍が狼藉を働き、諌めたKが頭突きや裏拳を喰らう。「多摩川に連れていって埋めてやる」とまで言われる。商売の手前、大事にするわけにも、かといってなかったことにするわけにもいかない。示談金は一五〇〇万円との噂。
・警察はこれを突破口に、関東連合の実態解明をしようとしたようだ。そのために、四か月後にKを別件で逮捕している。
・海老蔵事件は著者の後輩世代。この世代は何かと問題を起こし、先輩たちに尻拭いをさせていたようだ。で、海老蔵がかなり悪かったのは、報道の通り。
・とはいえ、海老蔵の歌舞伎に対する思いは本物のようである。
・海老蔵側は、変な写真を撮られているのではないかと恐れていたようだ。関東連合の松嶋クロスは、対立する暴走族のメンバーを捉えた時、二人の男に69の格好をさせ、後に雑誌で公開している。この公開は、関東連合のメンバーの間で大ひんしゅくを買ったようだ。「すでに暴走族を辞めた人間の写真を、どうして今更?」と。
・海老蔵事件についてマスコミに話した券\人になっている石元太一も大ひんしゅくを買う。そりゃあ、事件のカタがつこうとしているのになあ。
・硬派な暴走族の不良たちは、青春時代を取り戻そうと、夜の街で酒や女に溺れるが、失った青春は取り戻せない。
・「後ろめたいものを抱える人間は、表社会に出てはいけないのではないか。」(P174)
・なお、名前が出てしまう人間について書いているが、表社会で事業なり何かしらの活動をしていたり、券\人と頻繁に交流がある場合、とあるのが気になる。

 第五章は「いびつな絆」と題して。
・首謀者見立氏は国外に逃亡。一生逃げ切ってやるとか言っているが、それがまず不可能なのは、著者が説明。まず、金が続かないし、国際手配されたらなあ。
・後輩たちに全てなすりつけようとしている。この後輩たちの二人は、「ありのままを話す」として、見立氏側と対立。
・キム兄弟の弟を殺そうとしたのは、仲間の金村氏が殺されたことの復讐のためのようである。
・様々な支援者、弁護士の思惑が絡み、グチャグチャに思える。このことからも関東連合が「組織」じゃないことが分かる。
・暴力<強制力>で支配していた見立氏は、それへの疑問が出ると脆い。この構造、ヤクザの親分が親分を辞めるとみじめなのと被るなあ。
・ちなみに、見立氏の暴力実践は、弱いものイジメであり、権力構造を作った上での<強制力(ファロス)>であり、ある意味正しい。暴力の有する潜在力で人間を支配できるからなあ。尼崎のあのおぞましい事件でもあったであろう出来事。しかし、これは、歴史・地理などの外部で必ず検証される類のもので、継続的でないんだよなあ。
・関東連合上がりの人間に、色々と理由をつけて金を集めまくっていた見立氏。

 第六章は「東京アウトレイジ」と題して。
・六本木の事件の理由となっている金村剛弘(本名:金剛弘)氏殺人事件について詳しく書かれる。しかし、この事件、2008年3月16日なんだよなあ。報復の口実としては、結構前の事件のように思える。
・こちらの事件は、新左翼界隈で言えば革マルなみの完璧さ。おぞましい完璧さだが。
・金村氏は肉体を強靭に作ることに執念を燃やし、それを利用してかなり無茶に振る舞っていたらしい。一方、結構かわいいところも。親父さんの仕事を手伝っていたとのこと。関東連合とは付き合いがあるが、深入りはしていなかった模様。彼については、これだけにしとこ。
・金村氏が殺されたのは、前日の喧嘩、というか、相手を一撃で伸したことへの報復か? 本当のところは今なお不明で、未解決事件である。金村氏が襲撃された後、本当なら即死だが凄まじい生命力で一週間生き延びたとのこと。個人的には、脳髄を流して亡くなった、京大の先輩の福島氏を思い出す。頭をひどくやられたら助からない。
・この事件をきっかけに、関東連合は暴力団化していく。そう、暴力を行使する者には暴力の法則性が貫徹するものだ。リーダーの見立氏は関東連合を住吉会系S組に集約しようとしたが、プロのヤクザは、そんなものに乗るはずがないのは、ちょっと考えたら分かる。結局、見立氏も離れる。
・警察と、関東連合の各種取引は興味深いなあ。これもヤクザ化のためか?
・見立氏のIQは145を超える。これは、凄まじい数字だ。そんな彼でも、暴力の持つ狂気の前では、人生を棒に振るような判断ミス=理性の失策 を犯してしまう。


 まあ、こんなところで。人生で、暴力というものに向き合わざるを得なかった人は、一読の価値があると思う。

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読書メモ:『阪急 近鉄 南海 あるある』

2013-11-08 08:41:00 | 野球
 『阪急 近鉄 南海 あるある』(エスペランサ プロジェクト編/著、アスペクト)

 こういう本は、懐かしく共感するためにあるもの。で、書かれている内容の殆どは知っている。そして、読者はそれぞれ突っ込むだろう。小生の場合は、少年時代の英雄、藤瀬がなかったこと。代走であれほどの声援を受けた人があるだろうか? 単に読み落としていたとすればすまん。

 で、以下は「ほお!」と思ったことを。知らない話が中心。


・指名打者制は川上監督と西本監督の対談で、西本監督が好意的に言ったから。
・70年代前半の合併・1リーグ化は3球団のオーナーたちが阻止。
・ブレービーのみならず、ブーマーとアニマルのフィギュアは人気があるらしい。
・稲尾、杉浦が登板すると仮病が続出w
・ノムさんは、プレーイングマネージャーの時には5億円の年俸だったらしい。(うそ~ん)
・六点差を九回でひっくり返したり、代打逆転サヨナラ満塁優勝本塁打とか、近鉄は時折異常な勝負強さを見せてた。
・「広瀬さんは雲の上の人」(by 福本豊)
・長池は本来、南海ホークスに入るはずだったが、ドラフトが出来て阪急へ。
・内角球対策で長池はあの打ち方に。
・兜zは小さい体を活かすために、加藤秀司の折り畳み打法を真似した。
・いい人=梶本隆夫は「技術なら俺より上」と、金田正一に言わしめた。
・そうだよなあ、ドラマチック=バファローズを体現する投手は、野茂でも鈴木でもなく、阿波野だよなあ。
・マルカーノは年がら年中、世界を股にかけて野球をしていた。
・西宮球場の名物はお好み焼き。そうだったのか・・・。モデルはリグレーフィールド。
・意外と本塁打が少なかった藤井寺。生駒おろしのせいらしい。
・大阪球場ネタはさすがに全部と言っていいほど知っている。あ、追記するなら「ルーキーはベンチで頭をぶつける」かな。梁がでかすぎ。
・声援の差で負け続けたとも言える日本シリーズでの阪急ブレーブス。「たかが野球、もっと騒げ」と言って巨人相手に日本一に導いた足立はさすが。
・をを!蓑田の奇蹟のホームイン!!
・バックネットに達したボールが跳ね返って、本塁憤死が阪急°瑞lで交互に起きて、それで流れが決まってしまうとは。それがなければV9はなかったかも。
・よっしゃー!佐々木が本当はあの試合(江夏の21球)でサヨナラを放っていたのは、NHKの番組で証言していたね。近鉄としては、抗議して流れを断ち切るのを嫌がって、抗議しなかったと言われているね。
・「お前ら、帰る準備しとけよ」(高井保弘)
・「お前たちがつけている背番号は全て近鉄の永久欠番だ」(梨田)
・仰木監督は一流は放任、二流以下は管理。

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涙が止まらない楽天日本一

2013-11-05 19:03:00 | 野球
 悲しい涙の3.11を、嬉しい涙の11.3にした東北楽天ゴールデンイーグルス。小生はホークスファンなので、ホークスの出ない日本シリーズは、余り注視していない。昔は、全試合録画したりしていたが、特にCSが始まって、カズミの悲劇その他のせいで、白けてしまって。そんな小生だが、元青森県民として、合併騒動で生まれたチームに少しは応援する気持ちもあって、今年に関してはいつもよりは見ていたと思う。

 今年の日本シリーズは大変面白かった。楽天、巨人ともに死力を尽くしたと思う。強烈なプレッシャーが鰍ゥっているが故の凡ミスも結構あったが、これもまたスパイスになっていたように思う。結果として、楽天の投手陣が巨人の強力打線を封じ込めて勝利を掴んだといえる。また、打線も、チャンスによく繋いだ。

 第一戦は、両方の打者がプレッシャーで固かったように思う。だが、投手を含めた守備は素晴らしかった。亀井のスーパーキャッチ、ロペスの頭脳プレーが光り、巨人が先手。

 第二戦は、今年24勝0敗の田中が相手を圧刀B寺内への真中にいつもよりも切れの悪いスライダーが入ってしまい、本塁打された後は形相といい、ボールといい、鬼のようだったのが印象的。菅野も彼らしい力強いボールを見せてくれた。スコアは2≠Pだが、楽天の二点目は微妙な判定だけど、打者走者の必死さが生んだ「判定」だと思う。また、田中については、6回のピンチでインコースの速球で三振に仕留めたシーンが忘れられない。

 第三戦は、杉内の乱調が悔やまれる。日本シリーズでは必ずと言っていいほど活躍している杉内だが、楽天ファンの熱気にあてられたか? また、ホークス戦などで先発したら「何回に崩れるかな?」と思わせる美馬が、この日は素晴らしいコントロールを見せた。あと、巨人打線は長野を筆頭に、インコースを厳しく攻められたらモロさを見せるのだが、セリーグの投手には中々出来る人がいないけど、楽天は田中は言うに及ばず、則本、美馬、レイはそれを出来ていたと思う。そこが勝因かと。美馬に打球が当たったとき、嫌な雰囲気があったが、レイはじめ、リリーフ陣は頑張った。

 第四戦は、勢いに乗る楽天が初回に三点を取るが、先発のハウザーが安定しない。三回でハウザーを見切り、育成から這い上がった宮川が登板するが、ストライクが入らない。「何しに来たんだ、XX!」という、罵塔Rールを思い出す出来。こうなると、巨人に流れが行くもの。大ピンチを1点に凌いだ小山だったが、イニングをまたいだ先では逆転されてしまう。ロッテ相手に打ち込まれたリリーフ陣を信用できず、この後は則本を軸としたリリーフ起用となる。星野采配は昭和野球へとシフトする。巨人のほうは、マシソン、山口が圧涛Iな力を見せ付ける。

 第五戦は、楽天リードで迎えた九回裏、追い上げのホームランを放っていた男・村田が、リリーフに回っている則本から同点タイムリーを放つ。楽天の先発・辛島はランナーを出すも我慢のピッチング、則本は力のあるボールで封じていたが、九回につかまった。九回表から登板していた西村は、十回表、ちょっとおかしかった。ストライクは入らず、サインミスはする、そして、打たれるべくして打たれた。百戦錬磨の好投手、最優秀セーバーにしてこうなる日本シリーズ。凄いプレッシャーだったのだろう。総じて、楽天のほうが生き生きとプレーしていた。あ。十回の二点目のAJの「内野安打」も、とても微妙。十回裏は誰かな、と思ったら、則本続投。来年はエースにならなければならない男。星野監督は心中を選んだ。

 第六戦は、レジェンド入りの田中。だが、この日はいつもよりも切れ、コントロールが甘かったようだ。ロペスのエラーで追加点、と出たときは、楽天の勝利を確信したんだがなあ。そのロペスが、意地の同点本塁打。そして、このシリーズ、彼らしいクリーンヒット、というよりは渋い当たりの目立つ高橋由伸がしぶとくタイムリーを放ち巨人が逆転。田中は交代を命じられるが、続投を志願し、160球の力投も12安打4失点。この敗北は、巨人に流れを渡すものだと覚悟した。

 第七戦。美馬、杉内の投げ合い。杉内はスライダーが良かったと思うが、チェンジアップは見極められたか。初回、強烈なゴロを坂本が止めきれず、坂本には酷なタイムリーエラー。美馬は第三戦と同じく素晴らしい投球。こんないい投手だったか?といえば失礼か。何かを掴んだね。来年はかなり警戒しなくてはならない。展開としては、牧田の本塁打が効いた。近鉄OB。多くの近鉄ファンも泣いただろう。小生も少し泣いた。美馬は素晴らしいピッチングだったけど、日本シリーズの緊張と、彼「本来」のスタミナを考えると、交代は妥当。そして則本。惚れ惚れするなあ。この日も最後まで行かすのか?と思っていたら、ブルペンには田中が。まさに、昭和野球。稲尾、杉浦もかくやの待機。そして登板。いつもの勢いはないが、日本プロ野球史上最大と思われる──少なくとも記憶にはない──声援を背に、田中は力投。疲れ果て、筋肉はバリバリのはずだが、150km/h出すもんなあ。ピンチを迎えるも、びっくり箱・矢野を、このシリーズ楽天投手陣が軸に用いたフォークで三振に切って取り、楽天が日本一に輝く。球場にこだまする絶叫は、テレビを通じても良く分かった。ツイッターでは、街の様子が流されている。1985年の阪神優勝以上かも知れない。小生は涙を流していた。ファンじゃないチームの優勝としては、1996年のブルーウェーブ以来だな。ブルーウェーブと言えば、あの人がいるせいか(おい)、球場は雨。祝福のシャワーか、嬉し涙の涙雨か。

 どれだけ東北の人を勇気付け、喜びを与えたかは図り知れない。このことは各方面で論じられているのでそれに譲る。パリーグファンとしては、2004年の合併・一リーグ化騒動を思い出さないわけにはいかない。パリーグファンと選手が団結して、二リーグを維持する闘いがあり、三木谷氏が名乗りを挙げて生まれた球団。東北の人は温かい。我慢強く声援を送ることは分かっていた。だが、球場は狭く、新興企業が親会社とあっては、資金的に維持できるのか?という不安が正直あった。オリックスを蹴った岩隈が加入したとはいえ、各チームの余剰戦力を集めたようなチーム。鉄平などの素晴らしい選手が育っていたとはいえ、負けても責められない。初年度は百敗しそうだった。そこから、徐々に戦力を整え、田中を引き当て、野村さんが野球を叩き込み、そして今年はAJという、考えられないくらいに素晴らしい選手をメジャーから招いた。星野監督はその戦力をよく統率した。この人たらしめ(笑)! そして球団の努力が9年目に花開いた。

 子供の頃、楽天の前身と言えなくもない近鉄のファンだった人間として、元青森県民として、心からおめでとうございます。確かに見たよ、いや、ホークスファンとしては見せつけられたよ、「野球の底力」を。
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読書メモ:『石毛宏典の「独立リーグ」奮闘記』

2013-11-04 23:41:00 | 読書
 『石毛宏典の「独立リーグ」奮闘記――野球愛から始まった小さくて大きな挑戦』(石毛宏典著、アトラス出版)

 著者は甲子園こそ逃したものの、大学、社会人で中心選手を務め、日本代表にもなり、実質逆指名(笑)でプロのライオンズに入り、スター選手となり、出番を求めてホークスへ、そして二軍監督からオリックスの一軍監督へ、と書くと、凄く順調な人生のような気がする。

 ところが、意外とそうとも言えない気がする。野球を始めたのは「家に帰って苦労している母の顔を見たくないから、一番帰宅時間が遅い野球部に入ろう」と思ったのがきっかけで、野球が特に好きというわけでもなかったが、中学の監督が「才能があるから続けさせてやってくれ」と父親に進言したおかげでずっと野球をやることになったとのこと。その後は野球漬けのようだが、それ以外の色々なことを考え、追求していた様子も読んでいて分かった。それが、野球のありように対する問題意識に繋がり、独立リーグ発足という無謀とも言える行動に繋がった。

 日本人は根回しとかをしないと、大きな仕事を立ち上げることが困難だ。なのに、彼はまず、やってしまうことから出発した。著者の評判は、正直なところ芳しいものばかりではないが、しかしそういう声は日本的風土ゆえのところがあると思う。

 著者は時間を取ってやっていたら、いつまで経っても独立リーグは日本で設立出来なかったという。これは再現実験出来ないことであれこれ言えないが、著者なくして独立リーグは出来なかったのは確かである。

 さて。独立リーグの中から、独立リーグという枠を超えた野球界に新たな息吹を吹き込もうという動きが今、ある。言うまでもなく芦屋学園と兵庫ブルーサンダーズの取り組みである。今はブログで書くわけにはいかないが、高下氏は経営者というより、革命家に近い資質がある。新しいものは、ビジネスとして捉えていては、多分動かない。国際化と地域性。今の日本には二つのものが確実に求められている。理念から出発して、行けるところまで行くしかないと思う。

 では、いつもどおり、思いつくまま。



 第一章は「アマチュア野球時代 ――少年野球から社会人野球まで」と題して。
・小学生の時の将来像、「北海道に行って大農園をやる」と書いたらしい。
・家に帰ると野良仕事だし、苦労している母親の顔を見たくないので中学校で「一番帰宅時間の遅い」野球部に入る。子どもの頃は野球中継を見ていないし、そもそも野球に関心がない。
・ってか、野球を好きだと思ったことは一度もない。理不尽な野球部に対する意地で続けた中学時代。将来は大工もいいなあ、とか考えていた。
・素質はあったようで、中学校の監督に「石毛は高校で野球やれ」と言われ、監督の友人が監督をしている市立銚子へ。当時強かった銚子商業打唐ノ燃える高校生。
・全国優勝した銚子商業に花束贈呈させるって・・・。
・燃え尽きて花王石鹸に行こうとか思っていたが、駒澤大学の太田監督が試合を観ていてセレクションを経て大学へ。グレ鰍ッていたお兄さんが、弟のために百姓をやってしっかり働き出した話はいいね。張本さんの話を思い出す(張さんのお兄さんは真面目な人だが)。
・都会にびっくり、入部者の半分は甲子園組、負けられないと思う著者。授業は実質免除? とはいえ、試験前はしっかり勉強。
・教職課程で免状を取るつもりで入学したが、そんな暇はない。でも野球で頑張れば一流企業に入れると思い頑張る。
・太田監督は著者はプロに行くものだ、行きたいものだと思いこんでいたが、社会人希望でプリンスホテルに。堤義明氏が作った社会人野球チーム。
・プリンスホテルでは午前中、販売・営業の仕事。営業ツールにされることも。とはいえ、オフはフルでお仕事。後に凄く出世した人に、ホテルマンとしての素質も見出されていたようである。(これは、昔聞いたことがあるなあ。)
・親への恩返しの意味もあり、プロの世界に。同じグループという安心感からか、西武を実質逆指名していたのはよく覚えている。
・将来、駒大の監督という夢があったそうな。そちらがなくなりそうだったほうが、悲しいようで、指名がうれしいという気持ちはなかったようである。

 第二章は「プロ野球時代 ――選手、コーチ留学、監督」と題して。
・プロに入って痛感した差は、変化球のキレ。気風も違う。西鉄野武士集団の名残があった時代。選手生命も短かった。
・選手の心を考えない広岡監督も凄いが、それについていく著者も凄い。野球がうまくなりたい一心。
・自己流では頭打ちになるという教えそのものは正しい。
・コンディショニングの概念を広岡監督が野球界に持ち込んだと言えなくもない。(でも、なぜに痛風?)
・優勝を一番喜んだのは田淵幸一選手。
・根本監督は人づくりの人。ことあるごとに著者は相談した。
・チームリーダーに指名され、若くして中間管理職の仕事を始めた著者。森監督の意図を若手に説明する仕事。
・コンディションに関わるような失態を行った若手、たとえば清原や工藤を叱っていた。二人とも肉体改造などで長寿の選手であった。
・「スーツの似合う人間になれ」(根本さん)。一億円プレーヤーの時、「社会人としては二流」と指摘したアパレルの社長。一般常識を意識するようになり、野球屋から野球人へ。いずれは野球家へ。
・西武最終年で初めて競争を意識したが、それに勝ってしまい、現役に未練。監督打診は嬉しかったが、FAでダイエーへ。結果的に根本氏と行動を共にする。
・結果的に堤義明氏は「石毛に裏切られた」ように感じたらしい。独裁者が陥りやすい罠。
・三度目の結婚の後、福岡に行くが、1年目は一軍のスタベン。悶々とし、引退したいと根本氏に漏らすが、戦力として計算されている限りは来年も現役でいろと叱られる。
・監督として未熟だった王さんを引き合いに「ベンチの中から見て勉強しろ」と諭す根本氏。
・現役最終年で初めて二軍落ち。二軍の古賀監督は「(試合に出たいなら)出ろ」ということで精一杯プレー。「野球は友だち」と考える著者にとって、不義理はできなかった。
・引退後、球団職員という肩書でアメリカへ。そして一年間、ドジャーズでコーチ留学。主にマイナーを担当。電気釜を担いで移動。
・黒人差別、ヒスパニック差別、黄色人種差別はある。しかし、結果を出せば認めてくれる。
・優秀な人間は引き抜かれるのがアメリカ。だから、マニュアルやシステムをしっかりと作り、ゲーム数がすごく多い。だが、それでは伸びない芽もある。
・ドミニカに行ったあと、ピーター・オマリー会長にアメリカのシステムの問題点を進言。マイナーコーチの継続を打診されるが、来季のダイエーの二軍監督が決まっていたので辞退して帰国。
・自分の専門のャWション以外も知るべきと考え、守備位置をシャッフルしたり、打順をじゃんけんで決めたのだが、「適当にやっている」と思われてしまい、報道される。今、兵庫ブルーサンダーズは当時の著者と同じ考えで育成を行っている。著者の考えは正しいのだが。
・選手は自分の長所・弱点を誤解していることがある。選手の意識、技量を把握して、導くのがコーチの仕事。選手以上に勉強しておかなくてはならない。
・選手を多面的に見るために、コーチには自分の専門外の選手にも意見を言うようにした。投手の目からみて打者に、打者の目から見て投手に、など。
・将来のために、二軍監督として組織づくり、人づくりのレメ[トを提出したが、あのあほの二代目オーナー(俺も一応、ホークスファン、噂はいろいろと聞いているぞ)が「うちのやり方はだめなのか?」と曲解、著者を首に。
・そしてNHKへ。でもそれだけじゃあ食べられないので、講演の仕事を受ける。最初は姫路の山陽特殊。スャjチの評論家は月給三〇万円らしい。
・二〇〇〇年にアメリカへ。その前後から、独立リーグをはじめたいと考えていたらしい。最初は北海道を考えていたようだ。だが、ナイター設備がない。
・いろいろこじれた末にオリックスの監督に。立花打撃コーチが条件。主力がボロボロ流出し、ボロボロのチーム。だが、監督は十二人しかいない。やってやろうと思う。しかし自己保身が考えにあると、リーダーとしては失格だと小生は思う。
・ミーティングがなかったオリックスにミーティングを導入。仰木さんは、個別に選手指導をやってたらしい。
・フロントが引っ張ってきた外国人選手は日本野球でパニックになり使い物にならない。それでベテラン・大島を起用したが、フロントはそれが気に入らなかった。もう、ダメなチームの典型だね。そして著者は監督を解雇。
・権限のないサラリーマン社長は本社からの数年の腰梶B野球に対する姿勢、理念があるはずがない。オーナーにさえそれがなければ、チームが強くなるはずがない。「志」のない人が、野球の運営に関わるべきではないと小生も思う。

 第三章は「独立リーグ創設 ――四国アイランドリーグから、関西独立リーグ設立まで」と題して。
・大学の親友、大石孝氏に独立リーグの夢を目黒駅近くの小さな鍋屋で語ったことから動き出した。大石氏は証券会社の社員で、社内の会社設立のプロを二人紹介した。二〇〇三年九月のことである。
・月一のミーティングで場所は四国と決まる。年間六億のコストという試算は、妥当であった。趣意書は二〇〇四年二月。四月にはIBLJ設立。命名は大石氏。
・資金集めと宣伝を兼ね、四国の政財界の要人と、あらゆるコネを使って会うが、資金はなかなか集まらない。七月には大石氏の部下の中村洋一郎氏が本腰を入れるために会社を辞めてIBLJに入社。
・何とかメインスャ塔Tーは四国コカコーラに。アサヒは「アルコール」飲料という別枠とか、何とかしてライバル同士を並立させる。
・JR、JAL、太陽石油、明治乳業(乳飲料)などいろいろな会社が支援しだす。資本金として一億五千万のキャッシュ。
・高知にはナイター設備がなかったが、自治体は協力的で比較的はやく日程が決まったが、徳島はお役所仕事丸出し(著者は気を遣ってそう書いていないが、どうみてもそうだろ)で、いろいろとなかなか決まらず。17時開始の背景は、そういうことか。
・NPBやマスターズリーグのコネを活かして、選手集め、監督・コーチ集め。指導者は意気に感じた人たち。今思えば、指導層も再チャレンジの場であった。高山さん、森さん、加藤さん。
・思い出づくりとしか思えない参加者もいたが、そういう中からも後のチームの顔が出たことも ええ話 ではある。野球は人を本気で真剣にさせる何かがあると小生は思う。
・素質、将来性を重視したが、ゲームを成立させるためにまとまっている選手も採ったようだ。
・一方、怪我を押してチャンスに賭けた若者もいたようだ。百人キャンプでそれが分かる。
・ユニフォームは開幕二日前にできるなど、まったく余裕のない運営だった様子が窺える。中村氏はどれだけ頑張ったんだろう。
・実は二〇〇四年一一月に、資金難に見舞われた。一二月には増資で七千万円になったが、五千万円はデータスタジアム。一億五千万円は「開幕したら」という条件だった。
・デイリーにすっぱ抜かれて、地元新聞は冷やかに(笑)。だけど四国の新聞は、発足以来大きく取り上げてくれているけど。
・二〇〇四年一二月には、業務がパンクしそうになったので、素人スタッフを七人採用。彼らも頑張った。徳島担当は一人になってしまい、いろいろ大変だったのは噂で聞いている。
・「百勝の会」など、地元サメ[トがはじまる。
・野球が始まると、素人同然のプレーが続出。全チームの監督・コーチが全チームの選手を育てる意識で指導。ダイエーの経験が活きている。
・開幕当初は自転車操業。スャ塔Tー契約の甘さから、入ると思っていた金が入らず。助けたのは鍵山さん。ただし、旧経営陣は責任をとって退陣。著者は看板なので残る。
・試合後の選手・コーチ・監督によるお見送りは確かに衝撃的だった。それに限らず、地域活動に取り組むことは今までになかったことで、野球だけじゃなくいろんな地域スメ[ツで大事なことだろう。
・野球ばかりしている野球選手は意外と伸びない。高卒ドラフト指名者は確かに、大きく育つことも多いが、多くは途中で消える。人間としてのキャパシティーを広げるためにも、地域に出ていくことは大事だ。そしてそれが野球勘につながる。
・野球を諦めるときのためにもキャリアサメ[トはよかったと思うが、労働法が立ちはだかったらしい。今は短期アルバイト扱い。
・NPBはアマに遠慮したドラフト指名制限を鰍ッようとしたが、世論が。「それはおかしい」と言った。最大の恩恵者は角中であり、NPBである。
・分社化を機に、差別的待遇導入。プロなんだから当たり前と小生は思う。
・講演で二千万円を稼ぐなど、オーバーワーク気味の著者。お金はすべてアイランドリーグに。居眠り運転事故を起こしてしまうほどに働く。
・我流ではなく、しっかりした理論で、野球が体に染みつくまで練習を課し
・色々噂話は聞いたが、理想を追い求める著者と、現実に向き合わなければならない経営陣が衝突して、著者はリーグ代表を辞任。名誉的なコミッショナー、そして愛媛のアドバイザーに。愛媛には今も、石毛野球塾がある。
・BCLは近鉄・オリックスの統合問題がきっかけでできたらしい。そもそもは新潟と石川で新球団構想があったが、楽天の発足で消えたため、新潟が独立リーグを立ち上げることに。その中心人物は著者の大学の後輩、村山哲二氏。電通でアルビの運営を応援していた。アルビの成功はスメ[ツ界の話題になっていた。
・アルビのオーナー、池田弘氏は「次は野球」と考えた。池田氏の命で、村山氏は四国を視察した。そして著者の協力を仰ぐことに。
・BCではなかなかリーグのオフィシャル・スャ塔Tーが集まらなかったらしい。とはいえ、地域のチームは多くの人に支えられた。
・選手は選手の地元に帰り、地域でオフシーズンの就業をしない人も多かった。半年は仕事、半年は野球、というスタイルが確立できたらいいんだが。
・ちなみに中村氏もBCの立ち上げに加わったが、立ち上がると東京に戻って官僚に。
・関西独立リーグは、中村明氏の見込みの甘さが際立つなあ。思い切って書くが、今はそれぞれの三チームは、それぞれの方向を向いている。
・各チーム二千万円(本では三千万円)の分配金が払えなくて、チームが立ちいかないというのも確かに変な話ではある。
・関西独立リーグについては、小生は急ぎすぎたと思っている。それと、石毛氏のアドバイスを、各球団経営者、リーグ運営者は聞いていたのか? 失敗事例として興味は尽きない。

 第四章は「野球の未来に向けて ――子どもたちの育成と、より地域に密着した球団へ」と題して。
・石毛野球塾には下手な子が多い。著者にとっては教え方を勉強する場となった。
・まずは挨拶から。それも含めて「今までできなかったものができた」という感動を与えるのが指導者。
・指導者を指導するのが理想的。もっと気軽に利用してほしいと著者は思う。レッスンプロというゴルファーがいるように、バッティングセンターにレッスンプロの元NPB選手がいてもいい。
・独立リーグは今、宙ぶらりんだ。アマは必ずしも敵視していない。Jリーグ百年構想と同じで、地域のプロスメ[ツとして根付いていけば、と思う。そのためには、小生は、トッププロとの交流、試合、人材、できれば資金も含めて、と思う。育成だけじゃなく、背番号二けた、一けたの二軍の若手を独立リーグに短期派遣し、独立リーガーとともに地域活動や、場合によってはほかの仕事に就くのもよかろう。強き日の南海ホークスの若手は、鶴岡監督の故郷で林業を手伝った。社会人としての常識を育て、野球勘を育てるためにも。
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