TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

真面目な若者たち

2007-04-20 23:18:54 | 野球
四国ILの速報板を見ると、香川は塚本、愛媛は浦川の予告先発。どちらも大好きな投手なので、仕事をえいやあ!でまとめて東予球場へ。途中、西条市でボコ混み。重機を積んだトラックが何台もあって、行く手を阻む。ちなみに妻は「今日は寒そうやし、それ以上にこの前の試合内容が寒かったのでパス」とのことで、一人で行く。

そういうわけで、初回裏、愛媛攻撃の途中で球場入り。良く分からないが2点先制後。1死1,3塁で大島選手。塚本ってのは神戸大学を上位に押し上げた投手で、下から物凄く良く制球された切れのあるボールを有する。こういう投手は漫然と打っていても打てない。基本に返り、インサイドアウト、ボールの内側から粘りつくように打つべし打つべし打つべし。

で、大島選手、全くその通りの打ち方をして芯で捉えてセカンドライナーがバウンド、おあつらえ向きのダブルプレー。結果は残念だったけど、去年には感じられなかった意図を感じてよかった。

さて、初回は乱れた塚本だったが、その後はいつもの通りコントロールされたカーブやらシンカーやらで的を絞らせず、相手を術中に嵌める。愛媛も必死こいて上の打撃を繰り返していたんだが、慣れがないせいか仕留められない。小田島なんか、ほとんどベースの後ろで打つような感じ。引き付け過ぎかなあ。右打者はほとんどそんな感じ。真面目な若者たちだなあ、と思った。

浦川投手、2、3回は神。4、5回、ちょっと抜け気味の球が多めで、そこに不運な当たりやプレーも絡んで2失点、追いつかれてしまった。どうなるのかな、と思ったが、6,7回も神だった。何でこの人、NPBじゃあないんだろう。香川の堂上と同じく、このリーグの謎。センスといい、十分やん。あ、9回、最後の打者かその前の打者、去年見たヤクルトの村中や館山よりもはるかに速いと思われる球があった。去年、浦川はこんなの投げていなかった。やっぱり、今年は速くなっている。さて、2ストライク後、浦川は物凄く力の篭った速球を何度か投げていて、それがまた良く高めに抜けていたけど、これはそのうち決まりだすようになるだろうし、そうなると大きな武器になる。臆せずドンドン投げ込んでもらいたい。


あと、気になったことなど。(何か去年も書いていた)
・内野手は全般にボールを待ちすぎ。待って変なバウンドになるとジャッグルする確率が上がる。
・トランペットの応援は、奏者が少ないから疲れない程度でいいと思う。メガホンと太鼓だけでも、十分に良い応援だった。
・外野手、打球の判断悪い二塁打があったけど、ありゃあ、経験積まないと分からないだろうなあ。

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帰り、「りょうか」に寄って 肉玉つけめん大+から揚げ を頼む。少し寂しいからメンマもつけてもらったら、メンマはサービスでくれた。そりゃあ良いんだけど、20代なら物足りないくらいなのに、今日は「残そうか」と思うくらい腹いっぱいになった。もう、歳だな。帰りにカゴメの「野菜一日これ一本」を購入。これはグビグビ飲めた。
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読書メモ:『はじめての部落問題』

2007-04-18 23:44:03 | 読書
『はじめての部落問題』(角岡伸彦著、文春新書)

 物凄く好感の持てる著者だった。著者は被差別部落(以下、著者に倣って「部落」)に生まれたが、子供の頃は全くの“ひとごと”と感じて育った。で、高校生の頃に差別への不安からか部落問題に関心を持つ。違和感を感じて。なりたくもない風紀委員を割り当てられたような気分だった。(p8)大学入学後、部落解放研究部に入るが、モロ左翼(書き方からすれば「日本のこえ」?)で後悔する。知ったことは、差別に反対して声を上げる部落民が、きわめて少数(p9)であること。そのうち、自分ひとりにクラブの存続がかかるようになり、必死こいてこの問題を勉強し、差別落書きがあれば糾弾したりした。しかし、本音では落書きで傷つくほどひ弱ではなかったし、そんなものが部落差別だとは思えなかった。(p10)

 とにかく、良い具合に力が抜け、公平で正直なのである。だから、書いていることが変な粘性(抵抗)なくスッと心に染み入ってくるのである。

 さて、著者は差別されることについてスタッズ・ターケルの『人種問題』の黒人男性の話を引用する。

(差別に対して)もの静かにしてる人も、敵意をむきだしにする人も、根は共通なんです。つまりは、はき心地のよくない靴をはいているわけです。(p11)

 この本の意図の一つは、この違和感を掘り下げることである。


 以下、余り本を読み返さずに書く。(メモが最近長すぎるから。)

 ぶっちゃけ、アタリマエと言えばそうだが、部落民は基本的に外の日本人と変わらない。しかし、自他とも部落は「浮「」「ガラが悪い」とかのマイナスイメージが染み付いている。著者はそのイメージがあることを受け止める。で、そのイメージが歴史の中で育まれてきた事を示す。それは差別の歴史の中で再生産されてきた、と。差別に対する怒りが、そういう行為を通じて「浮「」とかのマイナスイメージを作った、と。決して、どこぞの運動団体のようにそういうイメージそのものが「差別だ」とは言わないのである。

 さて、かつて部落は「士農工商穢多非人」という江戸時代の階級・非階級の政治制度として作られたと言われ、そして家制度と絡んだ血の問題とされていたが、どうもそうじゃないらしい。政治起源説は否定され、家や血は、例えば京都の部落の調査で「明治時代の部落の住人は、今はもうそこには血筋が残っていない」例さえあるそうだ。そして、調査によると基本的には地縁ということになるそうな。人の入れ替わりも結構あるようだ。結局、部落というものは曖昧模糊としており、根拠薄弱なのだ。

 で、そんな馬鹿らしいまでの根拠のないものなのに、部落差別は再生産される。著者が言い、そして小生が同意するに、それは日本社会の「世間」のもつ同質化圧力であろう。いくつかの差別事件を著者は挙げる。それから明らかになることは、差別者も、差別はいけないと思っている。しかし、部落の「血」が入ると世間様に差別される、それは嫌だと本気で思っている。娘や息子には「普通」の人と結婚して欲しい、と。著者は言う。「普通って何?」小生は言う「世間て何?」

 部落差別を問うことは、日本社会のあり方を問うことである。上の例を見ると、差別者を糾弾しても余り仕方がない。彼らも「弱き犠牲者」なのだ。著者にはこの視点がある。


 さて、同和教育の必要性について触れる。知識なくして部落というものに日本人が直面すると、上のような次第で差別の再生産に加担させられる恐れがあるので、必要だと著者は言う。しかし、政治起源説という事実とは乖離した教育になっていたり、キレイゴトがちりばめられた教育(「美辞麗句の押し付け」p158)になっていたりして、要はリアリティーなく、詰まらない教育になっている現実を示す。

 著者は阪大講師のときどうしたか。食文化を教えることから入る。知らないことはゲストを呼んでフォローしてもらう。キレイゴトではない喜怒哀楽を含む等身大の提示。外のマイノリティー問題の提示と比較。こうして、均質化圧力の強い日本社会について考えさせる。これはナイスだ。著者は直接には触れていない(暗示はしている)けど、人間は本質的に区別をする生き物であり、それが必要以上となれば差別をすることになるからだ。(差別の定義として)「必要以上の区別」などは傑作だと私は思う。

 繰り返すが、日本社会の異質排除傾向=同質化傾向が差別が再生産される理由の一つなのだ。


 最後に部落差別のなくし方。同質化圧力のある日本で、部落民の地区外への「同和」は危険という主張をする。戦前体制翼賛への合流の歴史を踏まえた文章で、同意する。しかし小生は、水平社創立集会で「天皇陛下万歳」を唱えた、一君万民思想への傾向を克服できなかったことを問題にしたいが・・・。しかし、天皇陛下万歳を唱えた気分も分からないではない。それはともかく。

 夢物語かも知れない。しかし、かつて小林よしのり氏が『解放論スペシャル』で示したことと通じるが、部落であるというアイデンティティーが部落や部落民が、なにがしかの社会的な存在意義を持ったとき、部落差別は消滅しているはずなのである。そして、こういう方向の動きは、部落解放同盟の一部で起き始めていることを小生は書いておきたい。だが、決定的なのは、地区外の我々一人ひとりの意識・行動でもあろう。


 さて、最後に著者による一部の解放運動批判を記しておこう。今までの運動の腐敗の例示として。(これを腐敗と感じられない感性なら、運動は枯れるだろう。)解放運動の必要性を痛感しているからこその指摘であろう。

【ハンナンの事件について】
経済活動では結果的に部落民の立場を利用しながら、いったん犯罪の容疑者になると「部落について言及するな」というのは虫がよすぎるのではないか。(p196)
 率直に言って、タブー視の原因は部落側、正確には部落解放同盟にもあると思う。「同和」の名がつく組織の幹部が犯罪を起こし、お縄になったのなら、出自を明らかにされても仕方がない。それを人権侵害だ、差別だと主張するのは、ご都合主義である。(p199)


 さて、飛鳥会にまつわる報道を見ると、一部運動団体の腐敗は極致に達しているようである。かつて「知らないことが差別だ」と言っていた連中が、「知らなかった」の尻尾切りで済まそうとしている。かつて、大阪でもイチニを争うとされた同和教育モデル校の出身者として、怒りを込めて書いておこう。小生が受けた解放教育は、そんなご都合主義を許さなかったぞ!!
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大学で殺人と言えば

2007-04-17 22:26:55 | よしなしごと
小生は目撃者である。一連のことは今でも時々夢に見る。ほんで、事件のあと、福島さんが病院に送られたわけだが、その事件があったのまん前の教室で、「何ごともなかったかのように」英語の授業が行われたわけだ。小生も出席した。まさか殺人事件になっているとは誰も思わずに。

大学の甘さが報道されている。しかし、「まさか」と大学も警察も思っていたのだろう。そして、その「まさか」は分かる気がする。
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胸にこみ上げるものがある

2007-04-12 21:19:10 | 音楽
時々、聞いてしまう。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3684/kaihou/inter.htm

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読書メモ:『ネパール王制解体』

2007-04-11 22:06:05 | 読書
『ネパール王制解体』(小倉清子著、NHKブックス)

 マオイストに寄り添いながら、批判的視座を忘れずに記録を残した好ましいルメB小生もマオイスト上がりなので、はじめは「マオイスト」と聞いたとき、何か嬉しかったが、ネパールにも行ったことのある元同志情報によると、どうも我々が意識していたマオイストではなく、輝ける道的な、マオイストであり、物凄く幻滅したのがネパールマオイストである。そして、以下の本を読んでその印象はかなり強められた。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/304.html

 そもそも、ロゴスに拘る思想潮流というものは、仲間殺し、ひいては自分殺しを内包しているようで、マルクス主義もそのご多分に漏れない。で、本家毛沢東は革命前、ABL事件でそのことに気づいた。その後、毛沢東に指揮された中共は、敵の中に仲間を作ること、多少のことでは身内を粛清しなかったこと、戦線を離れざるを得なくなった仲間に温情を示したこと、要は、日本の左翼が学ばなければならなかった数多くの実践を示した。いや、権力握ってからのことは置いておくとして(苦笑)。

 そういう次第で、この本を読み始めたとき、本家毛沢東が最も輝いていた時代の姿から遠い、そして著者によっても指摘される農村での恐武ュ治などの姿も描かれていて、「ああ、やっぱりなあ」というものであった。また、マオイストと政府に限らず、ネパール会議派、統一共産党も対立する党派の党員・支援者・議員へのテロ行為を手段としていた。マオイストだけではなく、これは政治的風土とでも言うべき悲しむべき「伝統」である。

 そして、深い絶望、苦しみからの脱却に命を賭ける人々が族生するのも事実である。そうした中、あらゆる政治的試みに腐敗と、マオイストなど比較に出来ない残酷な弾圧でしか応答できなかった政府の姿は、マオイストへの民衆の同情心・ひいては協力心を惹起していく。単なるテロ支配ではこうはいかないだろう。ここ数年でマオイストが、政治的影響力を大きく持った理由は、ここにあると思う。

 そして、政府の残酷は都市部の人への弾圧ともなり、それが2006年4月のカトマンズでの民衆決起に繋がる。著者は言う。「国王、ラナ家、そして議会政党と、ネパール統一以来の二三八年間、カトマンズからこの国を統治したあらゆる支配者に対するネパール国民の反乱」がこの民衆決起だったと。

 また、り、山のテロ支配を知る著者は山で選挙可能かどうかという懸念、そして山と都市の格差・相互不信についても指摘している。すでに山のマオイストは議会政治への参加を目指すプラチャンダ党首らと袂を分かったという報道もある。

 心配事は尽きない。しかし、今、ある人によると若者に物凄く人気があるらしい、マオイストの主張に、世界の形骸・硬直化した共産主義運動の突破口という期待を見てみようか。自己絶対化からは距離を置こうという姿がこのマオイストたちには見られるからだ。

「私たちは伝統的なコミュニストではありません。人民戦争が始まってからも、私たちは国民の決定を受け入れるつもりでした。二〇〇一年の最初の和平交渉のときに、制憲議会選挙の要求を打ち出したのはそのためなのです。私たちは『融通性の利かない政治』をしたことはありません。常にフレキシブル(柔軟)だったのです」(p298)
「私たちは思想のガイドラインとしてマオイズム(毛沢東主義)を踏襲していますが、戦略に関しては常に独自の方針をとってきました。私たちは中国のような一党独裁制度は間違っていると考えています。中国の共産党は支配政党になったあと、党幹部が資本主義者のようになり腐敗しました。これは国民に政治的自由を与えなかったために、国民による政府のチェック機構が働いていないために起きたことです。私たちは国民に思想の自由と国家に反逆する権利を与えるべきと考えています。政党間の自由競争を通じて、国家が誤った方向に進んでいないかどうかチェックするシステムが必要と考えるのです」(p242)

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