TAMO2ちんのお気持ち

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読書メモ:『ネパール王制解体』

2007-04-11 22:06:05 | 読書
『ネパール王制解体』(小倉清子著、NHKブックス)

 マオイストに寄り添いながら、批判的視座を忘れずに記録を残した好ましいルメB小生もマオイスト上がりなので、はじめは「マオイスト」と聞いたとき、何か嬉しかったが、ネパールにも行ったことのある元同志情報によると、どうも我々が意識していたマオイストではなく、輝ける道的な、マオイストであり、物凄く幻滅したのがネパールマオイストである。そして、以下の本を読んでその印象はかなり強められた。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/304.html

 そもそも、ロゴスに拘る思想潮流というものは、仲間殺し、ひいては自分殺しを内包しているようで、マルクス主義もそのご多分に漏れない。で、本家毛沢東は革命前、ABL事件でそのことに気づいた。その後、毛沢東に指揮された中共は、敵の中に仲間を作ること、多少のことでは身内を粛清しなかったこと、戦線を離れざるを得なくなった仲間に温情を示したこと、要は、日本の左翼が学ばなければならなかった数多くの実践を示した。いや、権力握ってからのことは置いておくとして(苦笑)。

 そういう次第で、この本を読み始めたとき、本家毛沢東が最も輝いていた時代の姿から遠い、そして著者によっても指摘される農村での恐武ュ治などの姿も描かれていて、「ああ、やっぱりなあ」というものであった。また、マオイストと政府に限らず、ネパール会議派、統一共産党も対立する党派の党員・支援者・議員へのテロ行為を手段としていた。マオイストだけではなく、これは政治的風土とでも言うべき悲しむべき「伝統」である。

 そして、深い絶望、苦しみからの脱却に命を賭ける人々が族生するのも事実である。そうした中、あらゆる政治的試みに腐敗と、マオイストなど比較に出来ない残酷な弾圧でしか応答できなかった政府の姿は、マオイストへの民衆の同情心・ひいては協力心を惹起していく。単なるテロ支配ではこうはいかないだろう。ここ数年でマオイストが、政治的影響力を大きく持った理由は、ここにあると思う。

 そして、政府の残酷は都市部の人への弾圧ともなり、それが2006年4月のカトマンズでの民衆決起に繋がる。著者は言う。「国王、ラナ家、そして議会政党と、ネパール統一以来の二三八年間、カトマンズからこの国を統治したあらゆる支配者に対するネパール国民の反乱」がこの民衆決起だったと。

 また、り、山のテロ支配を知る著者は山で選挙可能かどうかという懸念、そして山と都市の格差・相互不信についても指摘している。すでに山のマオイストは議会政治への参加を目指すプラチャンダ党首らと袂を分かったという報道もある。

 心配事は尽きない。しかし、今、ある人によると若者に物凄く人気があるらしい、マオイストの主張に、世界の形骸・硬直化した共産主義運動の突破口という期待を見てみようか。自己絶対化からは距離を置こうという姿がこのマオイストたちには見られるからだ。

「私たちは伝統的なコミュニストではありません。人民戦争が始まってからも、私たちは国民の決定を受け入れるつもりでした。二〇〇一年の最初の和平交渉のときに、制憲議会選挙の要求を打ち出したのはそのためなのです。私たちは『融通性の利かない政治』をしたことはありません。常にフレキシブル(柔軟)だったのです」(p298)
「私たちは思想のガイドラインとしてマオイズム(毛沢東主義)を踏襲していますが、戦略に関しては常に独自の方針をとってきました。私たちは中国のような一党独裁制度は間違っていると考えています。中国の共産党は支配政党になったあと、党幹部が資本主義者のようになり腐敗しました。これは国民に政治的自由を与えなかったために、国民による政府のチェック機構が働いていないために起きたことです。私たちは国民に思想の自由と国家に反逆する権利を与えるべきと考えています。政党間の自由競争を通じて、国家が誤った方向に進んでいないかどうかチェックするシステムが必要と考えるのです」(p242)

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