TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『岸田ビジョン』

2022-07-11 23:24:08 | 読書

 『岸田ビジョン 分断から協調へ』(岸田文雄著、講談社+α新書=846-1C)

 まあ、共感するところ多とはいえ、安保や経済で論理がひっくり返っているなというのが正直な感想。例えば、米帝のトランプについて触れていて、トランピズムの危険について論じていながら、日本の安全保障は日米同盟を前提にしているところ、広島県人としては反核への思いは本物だとは思うが、レーニンが言うところの「泥の底をのたうち回る現実主義」に過ぎない反核プラン、本からは外れるが、結局は庶民が全く見えていない「投資で資産アップ」という間抜けとしか言いようのない、目玉のはずの「新しい資本主義」という経済政策。

 加藤の乱で露呈した、宏池会のひ弱さを引き継いでいると正直思った。悪い人ではないのだがなあ。政治は、良い人というだけでは無理だ。地獄を引き受け、地獄に行く覚悟が必要だ。場合によっては地獄を(出来たら部分的に)現出する覚悟も。あるいは、恨みを引き受けて地獄を現出しない覚悟も。経済政策ってのは、そういうものだろう。今の岸田政権の経済政策では、格差は広がり、インフレに突入した今、年金生活者はとても厳しいことになる。

 では、上に書いた「本末転倒」について、何故そう感じたのか、本に沿って書いていきたい。

 「はじめに」は中々良い。常にA6判のノートを持ち歩き、寝る前に印象に残ったことを記録。聞く力=受け止める力。批判は貴重なアドバイス。自分自身も自民党も変わらなければならない。出口の見えるコロナ対策(四本柱)。経済では、「トリクルダウンはなかった」。母子家庭や非正規雇用に目配りした「分配」。教育費・住宅費支出を支援する中間層復活案。消費者=労働者。外交については「民主主義」「平和と安定」「人類への貢献(で国際社会を主導)」。だが、「日米同盟を強化」。短期的には仕方ないとはいえ、うーん、がっかり。

 第一章は「分断から協調へ」と題して。日本の平均年齢は47.8歳。年金や福祉、税金は確かに応能負担で判断すべき。民主党の無策から、アベノミクスが出て結構経済が良くなったのは認める。経済無策になった理由として「経済財政諮問会議」という、財政政策と金融政策を統一的に議論する場を民主党は、「自民党政権が作ったものだから」と廃止したから。良いものは敵のものであっても使う、という覚悟がなかった。ロシア革命期、レーニン政権はSRの政策を丸呑みしたような覚悟が。安倍首相はそれを復活させ、一定の成果を挙げた。が、国民全体に成果は行き渡らなかった。異次元の金融緩和で放出された銭は、大企業の内部留保に化け、循環しなかった。下手にやめると株価暴落。金融政策のしわ寄せは、著者の古巣の銀行や地方に。社会保障費の膨れ上がりで財政は困難に。このしわ寄せは科学技術予算に。外交力にも影響。でもね。「だから余裕のある財政=財政健全化」を書いている・・・・。?????(それは景気が良くなってからのことじゃないか、ケインズの教科書的には。) 財務省に言いくるめられている感じがある。悪夢の野田民主党政権かよ? 家賃補助、ベースアップ企業の優遇、リカレント教育は良いかな。産業構造が変わる時代にこれは大切。OJTをやる余裕をなくしている企業も多くなってきたしね。かつて中小企業の声は商工会議所から自民党に伝わったが、そこが疲弊している。中小企業については、ガバナンスの改革による生産力強化と所有と経営の分離、、か。一言で言えば近代化だけど、うーん、、、。 産業革新としての「ビッグデータ」×「先端技術」×「α(=教育、防災、医療、インフラ)」。 を、アーウー大平さんの「田園都市構想」。この方がもう少し長生きしていれば、日本はバブルで傷つくこともなかったろうなあ、というのはともかく。「デジタル」がついてるね。でもこれを書くなら、東京に集中し過ぎた機能の分散について具体的に書いて欲しかったな。農業は、実態に即した改革が必要だね。多様な形態が確かに求められる。大学については、大学発のベンチャー社員としては苦笑い。何故、大企業がCVCとか積極的になってきても、大学に投資しないのか、考えたことがあるのかな? まずは独法化は大失敗だったという現実を直視してください、としか言いようがない。当面は運営交付金を年率10%アップすべき。年金については、一元化やむなしだし、高齢であってもフル収入のある現役ならば年金なしでも個人的には構わないと思う。ただ、民間活力導入は、違うと思う。僕みたいにとっくの昔にやっている人は、余裕があるからやっているだけだ。出来ない人にまで「活力」などの口実で言うべきじゃない。保険については、その性質上、運営母体は大きければ大きいほど良いと数学者は言っていた。医療も含め、民間活力に幻想を抱き過ぎだ。客観的に見て、日本の場合は民活の失敗=失われた30年ではないか。「民間にしかできないことを民間で」と、提起しておこう。エネルギービジョンは大体同じかな。だが、小生は再生エネルギーの輸入が当面必要だと思う。それはともかく、環境・エネルギーのコア技術については日本はかなりのものがある。その国際的移転に協力してくれれば。ワンチームとしての日本には共感する。そのためには、しんどい状況の人々を支える仕組みが必要だろう。

 広島出身者として「核軍縮」について「分断から協調へ」「対立から協力へ」を首相は掲げる。自主自立のゆるぎない立場を維持しなければ、というのも同感。だが、そうであるならば何故「その根幹は強固な日米同盟」(p64)なのだ? アメリカの身勝手は歴史的に証明されているのに? 価値観(自由、人権、民主主義、法の支配)を共有する国々との連携は良いけど、国際的にそれを口実に戦争を仕掛けたり引き受けてきたのはアメリカではないか? それはともかく。2017年8月「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」を提案。外務省主催で日米露中独濠エジプトニュージーランドなどの10ヶ国が参加。核保有国と非保有国など、様々な立場の国家が参加。これは決して悪くはない。だが、トランプの騒ぎ立てで北朝鮮やイランは態度を硬化させている。NPDIの枠組みについては米露は一定回答を寄せたが、中国は実質ゼロ回答。INF全廃条約に縛られない中国は核兵器開発も含めて軍備拡張にひた走る。賢人会議からも離脱? 状況は困難だが、話し合いを重ね、CTBTの早期発効やFMCTの早期交渉を開始し、核兵器の量的・質的向上の制限を掛け、検証体制を構築し、数を減らして行き、「最小限ポイント」に達した段階で核兵器のない世界の達成と維持のための法的枠組みを導入するというスキーム。漸進的。北朝鮮問題については韓国の協力が要るとはいえ、当時の文在寅政権が「前の政権が決めたこと」と約束を空文化していることにかなり首相は怒っている。そりゃそうだな。日本は力に頼る外交は望めない。仲介役、架け橋というのも良いが、「日米同盟」が前提ならば不信感を持つ国家もあるだろう。「日米同盟」の上に来る価値観を明示し、それに従属する形で、「日米同盟」を位置づけるべきだろう。こういうところが自民党の骨がらみの対米従属なんだよなあ。とりあえず、国民皆保険を米帝に飲ませろ(爆)。そんなことでは「ルールメーカーとしての役割を果たすこと」(p79)なぞ無理だよ。科学技術の能力を維持するならば、独法化で傷ついた大学に銭を回すべき。価値観を共有する国家群と連携することは大事。それをそうじゃない国家群にどうやって広めるか。そのためには、米国にも率直に物を言うことは大事。だが「真意を探る」が先に出てはね。堂々としなさい。集団的自衛権の先駆けとも言えるPKO法は宮澤喜一総理の時だったな。宏池会の人。総合安全保障。著者は「これからも憲法、そして憲法九条の平和主義を大切にしながら」(p87)と書いている。その上で、自衛隊の矛盾(素直に考えれば違憲)がそのままで良いとは思わないと記す。そして「一票の平等」「教育の充実」「緊急事態対応」に関連して自民党の改憲の素案について述べている。(小生は糞みたいな改憲案と思うし、ここに示されたことも現行憲法で処理可能と思う。その上で、小生はラディカルな改憲派であるが、本読書メモの範囲を超える。)外交は日米同盟を基軸に、独自外交も追求、と。政権交代で約束を平気で反故にする韓国にはかなり厳しい目を向けている。「国民情緒法」「ゴールポスト」と、サヨクに言えばヘイトと言われる単語を使っている。かなり怒っているなあ。原理原則を曲げずに折り合うしかない。オバマの広島訪問の文章は印象的。オバマはコロンビア大学時代に「アメリカ・ソ連の効果的な核兵器管理」を研究したとのこと。核兵器削減で働いたゆえにノーベル平和賞。911で核兵器が使われたら、という思いがあるようだ。(恐怖の総和だな)そのオバマと抱き合った森重昭氏は被爆死した米兵たちの調査をし『原爆で死んだ米兵秘史』(光人社)を出版。実は岸田首相は、オバマの信頼の厚いケリー国務長官に広島訪問を働きかけていたとのこと。ケリーもまたベトナム戦争経験者。左太ももに榴散弾の破片が残る。岸田首相のこの章の最後の文章。「核兵器は人間から何を奪うのか。核兵器の非人道性を語りつづけることが、広島出身の日本の政治家としての私の務めでもあります。」(p105)

 政治家との個人的関係は平常時には大事だな。だけど、安倍元首相とプーチンの関係を見ると、そうとも言い切れないなあ。その上で、岸田首相はジョン・ケリー、キャロライン・ケネディー、ボリス・ジョンソン、セルゲイ・ラブロフとの関係構築について述べている。ラブロフは特に印象的で、築地の寿司屋で一杯やっている酒好きである。「よっぱらいおじさん」w 日本のウイスキーが好き。また、誕生日プレゼントにサントリーの「響21年」のお返しに豪華な装飾本を贈られたところ、中身はウォッカw だが今、ラブロフは立場上、プーチンの戦争を支えている。領土問題で原理原則(道理)を主張しても、ロシアは屁理屈に満ちた彼らなりの原理原則を返すだけ。未来のための妥協点の探り合いが確かに外交というものだ。だが、大原則を相手が破ったとしたら? ウクライナの問題のように、妥協の余地がないとしたら? リベラルはこの難題に立ち向かえるのだろうか? 屁理屈に満ちた原理原則を言うだけ、というのは中国も同じ。レーザー照射問題のあった2013年、王毅外相も同様の態度。ただ、著者が宏池会であることを知っていたので、流ちょうな日本語でそのことに触れ、著者が「会長である」と言うと、「会長でしたか!」と返したのは面白い。「宏池会は中国との関係を大事にするはずだ」。吉田ドクトリン(アジア重視)に従い、大平首相を始め、日中国交後の実務に携わった宏池会の人は多い。「言うべきことは言い、正すべきことは正す」。

 岸田首相の生い立ち。父は通産官僚で、著者は小学校1~3年はニューヨークで過ごす。当時の日本の主要輸出品はミシン。そんな子供の頃、1学年下に織田芳子さんという女の子と知り合う。後に同期当選となる根本匠氏の奥様。ニューヨークでは白人の隣で用を足すと舌打ちされる時代。全日制の日本人学校はなく、白人、黒人、インド人、韓国人がいて、差別が存在。白人の女の子は手を繋ぐのを嫌がる。その体験が政治家を志す原点となる。長じて開成高校へ。野球に明け暮れる。今は守備は捨てて打撃に専念することで有名。野球からチームプレー、裏方の大事さを学ぶ。何となく東大に入れるつもりでいたが(東大一族だもんな)、三度落ちて早稲田へ。そこでは政経学部の岩屋毅氏と出会う。そのため政治家が将来の選択肢として現実味を帯びる。岩屋氏は学生時代から鳩山邦夫氏の選挙を手伝うなどしていて、そのまま秘書に。その後大分から立候補して当選。著者は長銀へ。まずは社会経験。金利8%の時代。高松市への赴任で、四国巡り。今造、穴吹興産、来島、伊予銀、伊予鉄。船で島巡り。高速が出来たのは1985年11月、川之江~土居w わざわざ出かけて何往復も。を、連絡船の讃岐うどん。東京へはYS11(空飛ぶ棺桶)。家族経営が多い海運業は博打みたいなもの。夜逃げも日常茶飯事。月に一度は確認のために漁船をチャーターしてまで訪問。窓明かりを確認する。経済の呼吸を覚える。その合間に父親の選挙を手伝う。祖父からは20年の空白後、地盤はないようなもの。買収を持ちかけるヤカラもいるが、公職選挙法違反なので乗るわけにはいかず、さりとて雑に扱うと悪口を言いふらす。出されたものは食べきらないと不公平w 当時は中選挙区。一回目は激烈な選挙になると思われたが、ライバルが体調不良で実質無風(相手は共産党候補にw)。大平解散で半年後に2回目w 同情票で地滑り的大勝利。83年の3回目は、公明党が立候補。組織の公明は勝ち目のないところには立てない。ライバルは自民党内の粟屋敏信氏。元建設省の事務次官。彼がこのキャリアでは初の落選となる。霞が関は大騒ぎで、岸田文武を許すなとなる。中選挙区制では自民同士の争いが激しかった。上州戦争と言われたなあ。中曽根レストラン、福田料亭、小渕飯場w 岸田ー宏池会ー通産省vs粟屋ー経世会ー建設省。結局、ドブ板で一軒一軒回って握手とお辞儀をした数がモノを言う世界。近道はない。「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」(p159)。 1999年、著者が建設政務次官として建設省幹部との会合で、この選挙戦の話をしたら、大爆笑。なお、根本氏が結婚の時、新婦側の主賓として岸田文武氏を招くことになったが、根回しが大変だったとのこと。うーん、役所、人事異動を省を超えてしろや、、、。87年、著者は父の秘書に。92年、その父が死去。父の「信頼される政治」が今の首相の「聞く政治」の元なんだろう。自民党内での父の経歴の後追いとして特筆されているのが経理局長。集金係とのこと。経済界、財界と交流するのが仕事。集金した後の使う係が幹事長。選挙資金もここから出る。著者が経理局長の時、小泉純一郎総理に安倍晋三氏が幹事長に抜擢される。同期当選でもある。

 著者は選挙に強いと言われるらしい。常日頃からいつ選挙があっても良いと心がけること、後援会組織をしっかり育てること、街頭演説を大事にすること。岸田家は代々地主の家系で曾祖父は奉天、大連などで高級百貨店などを経営。「一般の商品は三越百貨店、高級品は幾久屋百貨店」と言われたらしい。満州の発展と共に。従業員の待遇と教育に重点を置いた。「国家の繁栄も、企業の隆盛も、根本は人づくりにある」(p173)。改革開放直後の78年にも建物は残っていたらしい。小生の父や祖父母も通っていたかもしれない。その後政治家に。寿司や酒を有権者に振る舞うwなどして当選。演説も数多くこなす。海軍政務次官などを歴任、公職追放解除後に最高得票で当選。財産の大半は大陸に残し、昭和初期に買った都内の土地を切り売りして出馬。最後を考えると典型的な井戸塀政治家。政治は名誉職、金儲けに繋げるのは卑しいとされた時代。なお、著者は新党ブームの93年が初出馬。若いから新党からと言われたらしいが、自民党以外の選択肢はないと考えた。政治の師に支援を依頼。宮澤喜一総理。広島三区。縁戚関係もある。「ブームは一時的だから」。高姿勢でも低姿勢でも駄目。飾らない「正姿勢」。(ただ、言い出したのが安岡正篤ってのがw) 結果はトップ当選。ただ自民党は惨敗。野党議員としてのスタート。駐車場はガラガラ、来客がない党本部。これらの経験から選挙について常に考えるようになる。結論の一つ。街頭演説を大事にすること。期日に関係なく実施。声を掛けられたらチャンスと思うこと。ただ、出世すると人だかりが出来、カメラが来るので迷惑になるので控えるように。「聞かせるのではなく、見ていただく」(p188)。メリハリをつけること。強調すべきはゆっくりと。大きく高く。政令指定都市の人間関係の複雑さから、ピラミッド型組織は機能しない。「みんなそれぞれが好きな人を集めて講演会をつくってください」(p190)既にリゾーム型組織の後援会を作っていたw 10人程度でも座談会(国政報告会)をする。小さいほど真意が伝わりやすい。対話の積み重ね、小さな民主主義。共感を覚える。さてリーマンショック後の麻生政権時代。大衆の、凄まじい自民党への嫌悪感。罵倒に対しては「暖簾に腕押し作戦」で笑って受け流す。それでも支える支持者。「雨天の友は真の友」。何とか勝利。逆風で勝てる議員は一目置かれる。「10年は徹底して選挙区を回れ」(p197)。有権者が何に困っているか、率直に話してくれる関係を作ること。自民党という大看板がなくても当選できるようにする。

 宏池会は池田勇人が1957年に総理・総裁を目指すために出来た派閥。以後大平、鈴木、宮沢を総理として輩出。官僚出が多い「政策の宏池会」。経済優先。保守リベラル。「いま、国民が求めているものは何か」を大事にする。同時に徹底した現実主義。一方、政局に弱いお公家集団w さて。代替わりの1998年12月、宏池会の臨時総会があり、宮澤喜一から「宏池会のプリンス」加藤紘一に派閥会長が引き継がれる。それを受けて「自民党のプリンス」河野洋平が派閥を離脱。翌年、自民党総裁選で加藤氏は立候補、小渕首相に三倍以上の差をつけられ、惨敗。宏池会は冷や飯を食わされることに。そんな中、小渕総理は池田行彦氏を党三役の総務会長に指名。池田氏は宏池会の派閥レースで敗れていたとも言える。派閥内に衝撃。そんな中、2000年4月に小渕首相が脳梗塞で倒れる。政治空白を作りたくない党首脳は、総裁選を待たずに森氏を指名。急なことで自民党内で異論噴出。「小渕の後は加藤」という流れが断ち切られる。6月、衆院解散で選挙。自民大敗。森首相は言葉の切り取りで失言にされることが多い首相だった。人気がなかった。野党の提出した内閣不信任案に加藤が乗るか、どうか。2001年2月、「えひめ丸」事件。初動をミスった森首相。加藤は「の私の携帯には菅(直人)さんの番号が入っています」(p207)などと、野党との連携をほのめかす。確かに森は不人気で加藤は人気だった。ただ、不信任案は国会議員の多数決で決まる。国民人気はこの投票に影響を与えるほどのものか。英語、中国語を操り、運動神経も抜群な加藤。勝負に出る。だが、野中広務幹事長や清和会の小泉純一郎らによる切り崩しが始まる。YKKの小泉が、である。宏池会に集う議員は減っていく。残った者同士でお酒。石原伸晃がドライマティーニを作る。「なあ、オヤジ、俺はこのまま突き進むべきかな」と独り言ちて。著者も自問自答。「自民党から除名になる。これでいいのか」。他に塩崎恭久、根本匠。固めの杯の後、「一緒に討ち死にしよう」。だがその段階で勝敗は決していた。加藤の乱が始まった時、幹部クラスは説得をするも平行線。加藤の側近、古賀誠も野中(かつて加藤の盟友と言われた)の説得に応じ切り崩す側に。決定的だったのは、野党との連携をほのめかしたことか。野中は激怒。野中は幹事長として森首相を支える立場だった。不信任案に賛成した者は除名もしくは党公認をしないと幹事長。さて。確かに鎮圧側が有利にはなったが、加藤氏は巻き返しを図り世論を味方にすれば再逆転の可能性もあった。だが。11月20日21時から内閣不信任案の採決が始まる。その直前に山崎派・加藤派の合同総会。加藤派はたった30名の結集。それを見て、不信任投票に行くのは加藤と山崎のみにする、と、加藤氏。他は残れ、と。が、結局加藤も戻ってくるw 恐らくは若手を守るため。屈辱のピエロを引き受けた。それが良かったかどうかは誰も分からない。著者が考える敗因の真因。加藤は相手の意見に耳を傾けることが不足していたのではないか、よって派閥の人間をまとめられなかったのではないか。なお、乱に参加した若手は不問。これが自民党の懐の深さだ。さて。12月5日の第二次森内閣で、鎮圧側が主要ポストを占める中で、空席となっていた党経理局長に著者は抜擢される。12月30日。堀内元通産相が加藤の詫びを持って事態収拾を図ろうとしたが、加藤氏は詫びず。詫びがあると加藤氏はじめ、除名嘆願が出来るのだが。こうして宏池会・堀内派が出来て著者も参加。2001年、小泉内閣が国民の熱狂と共に誕生。著者は文科副大臣。大臣は政治家ではない遠山敦子氏。国対は著者が。さて、ドライマティーニの四人は毎年、11月20日に飲み会を開く。政治家は勝負をかけるとき、絶対に負けてはならないと著者は言う。うーん。

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