TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『左翼はなぜ衰退したのか』

2014-11-09 20:59:00 | 読書
 『左翼はなぜ衰退したのか』(及川智洋著、祥伝社新書=386)

 左翼に関わり、見て来たものとしての結論は簡単である。「ペテンと欺瞞を弄してきたから」。そのことを著者は右翼との綱引きの歴史を絡めることで説明する。「近現代史入門」という著者の意図は成功していると思う。なお、左翼の歴史に昔から関心のある人にとっては常識に属することが多い。内容はまあ、結論以外は妥当だろう。でもなあ。社民主義って、左翼を救えるかと言えば、小生はそうは全く思えない。社民主義は様々なモノ・コトの位置づけに失敗しているから、とても不安定で、資本の攻撃に対してとても無力、というのが小生の見立てだ。ゴーデスベルグ綱領のドイツ社民党は世界を救い得るか? 黄色インターは世界の主導的地位に立ち得るか? その説明も絡めて読書メモを書こうかな。

 著者は伊東四朗――知る人ぞ知る反共俳優――が「左翼政権の時に天変地異(災害)がありますね」と『文件t秋』で感想を漏らしたことに時代を象徴させる。世間に蔓延する左翼嫌いの情念を。国政選挙に目を転ずれば、社民党は風前の灯、共産党は長期的な低迷に喘ぐ。新党は大抵右派かネオリベ。堰を切ったような反韓・反中本の氾濫。(個人的には、この手の本は大抵、レイシズムなんかではないと考えている。これまで「サヨク的雰囲気」における抑圧の代償だ。)憂国・愛国ほど戦後日本で抑圧された情念はなかったであろう。著者の左右の切り分けは「俗情との結託」なんだが、仕方がないかな。ばくっとした左右のイメージに言葉を与えた。背景に経済の困難、マスメディアが隠そうとしたが「日本が負けて大喜びする」「審判を買収したとしか思えない」韓国のスメ[ツでの実態。そして拉致問題。小生が思うには「経済交流」も。日本側の要因としては War Shrine と歪曲されている(と小生は思う)靖国への政治トップの参拝とそれへの中韓の反発。小生の身の回りに多数いた「かつての社会党支持者」はかくして「ネトウヨ」化している。


 歴史をさかのぼる。明治維新の革命原理は王政復古(天皇親政)である。今で言う右翼思想が革命思想であり、それを利用して日本は近代化した。権威好きの日本人は権力をバカにするところがあり、権力と権威を分けていた。そしてどちらも強度は緩かった。その幸運が天皇を召喚した。世襲はあちこちに見られる。鎖国で外国勢力が簡単に入り込めなかったことも幸いした。また、馬関戦争で西欧の強さを、本体は傷つかないが大いに恐浮エじる程度には見せつけられたことも幸いした。文明開化を急ぐ日本を見て、西欧列強は「武力開国しなくても統治能力あるし、市場獲得のチャンスもある」と見てそれ以上の干渉はしなかった。なお、テロリスト(例:伊藤博文)が明治の元勲に収まり、国を指導した。それは革命政府の常の姿。とやかく言うまい。ともあれ、日本は「右翼国家」として出発した。だがそれはそもそもから矛盾を孕んでいた。多くの近代国家と同じく。

 神国思想と文明開化は必ずしも相容れない。神風連の乱への共感を否定できるだろうか? 足尾鉱毒事件で田中正造が天皇直訴をしたことは? 明治の元勲は天皇幻想を利用しつつ、一線を超えると激しく弾圧した。実は、第二次世界大戦までそうなのだが。極右への弾圧は左翼弾圧と同様激しかった。明治維新期、ヨーロッパで左翼思想が熟成(著者は誕生というが)していた。マルエンが金持ち階級であるように、左翼思想を牽引できるのは金持ちだ。維新から40年ほどで日本にもそういう人たちが生まれた。福沢諭吉や夏目漱石は左翼の先行者と言えなくもない。

 中国から見れば沖縄(言うに及ばず尖閣諸島)はぼやぼやしているうちに(国際ルールの変更を気に留めないうちに)日本に掠め取られた土地である。徳川幕府は朝貢していなかった。朝鮮からは使節を受け入れたが日本は派遣しなかった。日本は西欧列強相手に開国したはいいが、対等になるには時間を要する。そこで、周辺を植民地化する道を選んだ。「万国公法で認められているからええやん」という訳である。だが、される側はたまったものではない。ましてや「格下」の日本だから。「三韓征伐」を根拠に(白村江の戦いで日本は負けたのだが)征韓論。朝鮮半島をバカにしているね。尤も、広く知られているように朝鮮の王朝は腐敗して無力だった。勿論開化派もいたが、清の横槍などで挫折。福沢は激怒し、中韓が未だに怒る「脱亜論」を書く。読めば分かるが極めて真っ当な本だがな。日本はロシアへの脅威のため韓国を併合した。ちなみに駐№ヘ朝鮮が無力な中、「合法的に」日本領とされた。琉球は早めに開国した日本に併合されるのが当然と西欧列強は考えた。日清戦争の結果、清は朝鮮半島から手を引き、台湾を割譲し、さらに当時の日本の国家予算三年分の賠償金を払う。「戦争は儲かる!」という意識が芽生え、それが後の日本の躓きの元になる。明治期の日本の行動を中韓は恨み、日本はャcダム宣言受諾で歴史の審判に耐えていると考える。これがこじれないはずがない。そして、某日本に住む中国人がネットでかつて、あけすけに言ったように「中国・朝鮮という兄貴分を差し置いて日本が文明開化のトップに走ったことがけしからん」という意識もあるのだろう。一笑に付したいが、一笑に付せないものを感じる。まあ、そんなのに迎合している一部左翼が日本人に嫌われるのも当然だが。

 そんな「坂の上の雲」を目指す日本に左翼思想が入ってきた。著者は大事なことを指摘している。国民国家~ナショナリズムあってこその同胞意識、平等意識であり、左翼思想なのだ。西洋である程度熟成したものであるから、主としてマルクス主義として入った。とてもバタ臭いものであった(言えば「異物」「他者」)。当面はインテリの一部に受けるものであった。それが観念的に暴走し、大逆事件へと繋がる。革命思想に政府は過剰反応した。だが、革命の理念(明治維新)が生きている時代に、更なる急進的な革命の理念(社会主義革命)を言うことは、いつの時代どこの土地でも激烈な拒否反応が起きるものだ。しかし、堺利彦らの灯を消さない地道な活動もあり、社会主義は完全には死ななかった。諸外国の目もあり、明治・大正の日本は意外と自由だったという評価もある。そしてロシア革命で息を吹き返す。マルクス主義が大流行。大正は米騒動の時代だが、自由主義経済の伸長で基本的に好景気。景気が良いと左翼が流行する。通常は格差が拡大するからだ。(多分窮乏革命論は普遍的ではない。)労働運動、農民運動が盛んになる。そして日本共産党結成。だが、もう広く知られているように、これは日本の土壌をかなり無視した組織であった。(今の日本共産党をも呪縛する32年テーゼが、日本人の手で作られたものを否定してソ連からお仕着せられたことが象徴的であろう。)日共が結成された直後の1923年は大震災。著者は「軍はこの際の攻撃によって、世論をつかむ貴重な体験を得た」(p98)と指摘する。これは左翼対策だけのことではない。直接行動を利用して輿論を掴むとは、戦争に至る道で反復された。なお、この弾圧で壊滅的被害を受けたのは、マルクス主義陣営(ボルなど)ではなく、アナキスト系であったことを小生は記しておこうかな。後に名付けられた言葉で言えば、労農派と講座派が生き残ったことになる。彼らは国会に議席を有する程度には伸長した。1928年、すなわちパリ不戦条約の頃が日本の戦前左翼の絶頂期。パンクでゲバな共産党対策で治安維持法の最高刑が死刑となる。そういう「苛烈な」弾圧(実のところは自滅)は日本共産党神話や幻影を齎し、若者は共産党に惹きつけられた。特に知識人や金持ちの子弟。ロシアへの幻想は、日本的風土も相俟って共産党への愛情は一部神がかりとなった。(なお、近づいた人間が幻想から覚めるのも当然あるわけで、殆どほぼ全員はそうなったのだが。それが「共産党の倫理上許されぬ」転向の本質だと小生は思う。転向しなかった人間がいるのではない。転向出来なかった人間がごく少数いただけだ。)ともあれ。「戦争は儲かる」という経験が、大衆をして好戦的にし、大衆を利用しつつ獲得する中で軍部は破滅への道を突き進んだ。右翼は一部を除いてこれに迎合した。総じて、「右翼の勝利」の時代となる。

 さて。革命の原理(明治維新)が、新たな革命の原理を恐浮オ潰すのは古今東西一杯ある。昭和初期の日本もその道に入る。で。明治維新の教理はは密教としての天皇機関説(本音)、顕教としての天皇全権説(建前)が矛盾しつつ並列していた。末法としての昭和に入ると、建前が本音を凌駕した。輿論において右翼的建前が勝利してしまった。天皇機関説(本音を明示したもの)弾圧からリベラルに過ぎない滝川博士への弾圧。「昭和維新」が人口に膾炙する。すでに大正の世に原敬が右翼少年に射殺されていたが、昭和に入って濱口雄幸、井上準之助、犬養毅が殺される。このような右翼テロに輿論は同情する。テロリストはスターとなった。極めつけは2.26。大衆はもう既に左翼を相手にしなくなり、「右翼」とシンクロした。かつての屈辱(不平等条約)を忘れない日本及び日本人は、奴ら(西欧列強)のやり方を満州はじめとするアジアでやり始めた。中国利権から力で西欧を排除しようとしたのだ。それは一九二八年のパリ不戦条約を反故にする行為であった。西欧列強も日本の立場に一定「理解」を示した妥協案を出すが、軍が政治を飲み込んでいた日本は拒否して国連脱退に至る。もう、夜郎自大。国民は熱狂的に支持した。かつて臆病なまでに国際法を遵守していた日本は、平気で国際法を破るようになった。ルサンチマンの表出だね。ギリギリまで日本と友好を保っていたアメリカさえ、手を焼いて日本を見捨てることになる。「ちょっとやられればちょっと思い知る、徹底的にやられれば徹底的に思い知る」(毛沢東)。大東亜戦争での壊滅的な敗北で、日本国民は軍部と右翼が大嫌いになる。乗せたのは君らやっちゅうねん。そして、日本共産党は「帝国主義戦争に反対した」という点で大尊敬されて戦後は始まる。日本共産党員になるという「バス」に乗り遅れることは知識人の恥であった。

 さて。このブログ的には繰り返しになる、というか、河原宏氏の『日本人の「戦争」』に詳しいが、昭和天皇はクーデターを恐れて対米戦争を詔勅し、そして共産革命を恐れて敗戦を受け入れた。昭和天皇にとっては天皇制の維持のみが命題だった。天皇が有する戦争への責任は、戦前の構造を知る日本人によって、そして何よりも天皇の権威を統治に利用しようとするGHQによって不問に付され、全ては超国家主義に成り果てた「右翼」と、軍部の責任にされた。そしてそれを煽ったはずの国民の戦争責任が問われることはなかった。(それを問おうとする動きは、恐らくは「華青闘の告発」を受けた1970年代以降のことであろう。)GHQは民主化を進め、労働運動が官主導で進められた。憲法はアメリカのニューディーラー左派の理想を書いたようなものであった。天皇はそういうものにはむかうことは出来ず、天皇もまた「敗北を抱きしめ」た。これらの流れを見た知識人は、バスに乗り遅れるのを恐れるだけではなく、戦争突入~敗戦の歴史を見ていたことから「悔恨共同体」(丸山眞男)とでも名付けるべき心情を有した。「二度と破滅を許さず、西欧の規範を日本に根付かせるにはどうすればいいのか」という心情である。丸山は宣言する。「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」と。さて。ソ連がいかにおぞましい国家であるかはスターリン死後まで広く知られず(勿論後にトロツキストと呼ばれる先覚者はいたのだが)、進歩=マルクス主義という左翼ボーナスは、本来これを批判すべきリベラルさえ蝕んでいた。ともあれ。朝鮮戦争に代表されるように、冷戦は米ソの間に亀裂を齎した。日本の左翼は言うまでもなくソ連側。アメリカはかつての右翼=本当の敵と手を結ぶようになる。自由党の結党資金は児玉誉士夫から。親米右翼という、とてもねじけた右翼が日本の右翼の本流となる。というか、反左翼(反マルクス主義)=右翼。象徴的な人物が児玉誉士夫。右翼は二度死んだ。敗戦とアメリカへの従属で。六〇年安保で左翼運動は最高潮を迎える。その実態はアメリカ大好きな日本の大衆が「民主主義を守れ」と叫んだことだが。運動には指導部が要る。それが左翼だった。著者は注意喚起する。岸は安保の不平等性を改めようとしていたが、それに焦ったこと、非武装中立には大衆に対する説得力があったこと。そしてこの「成功体験」が、非武装中立の持つ根源的な矛盾から左翼の目を覆ったこと(小生はしかし、新左翼系と日共はそこは理解していたと思う。)そんな時代、西欧ではソ連のスターリニズムと左翼も対決することを余儀なくされる。社民党はバート・ゴーデスベルク綱領で、ソ連の権威主義が強い「マルクス主義」と距離を置くことを宣言した。イギリスは労働党主導で非マルクス主義的な国家社会主義・福祉国家を目指した。イタリア共産党は独自路線に。まあ、フランスは「モスクワの長女」だったが、トロツキストをはじめとする「豊かな共産主義運動」を脇に抱えた。さて。ちょっとだけ著者に噛みつこうか(笑)。「マルクス主義を卒業できなかった左翼」とあるが、どうかな? 卒業する必要はあるのかね? 「資本主義が続く限り、マルクスは乗り越え不能(BY サルトル)」と小生も思う。問題は、マルクス主義に権威主義を付与し、官僚的独裁をイデオロギー面でも貫徹しようとした左翼党派の数々(日共、社会主義協会、新左翼諸党派)なのではないかな。資本主義ある限り、マルクス(主義)は永遠の参照項だよ。それが「人の上」に来たことが問題であり、卒業する必要なんかまったくないよ。社民主義の迷走の根本原因は、こういうところにあると思うし、社民主義に対する限りない小生の軽蔑の念もここにある。話は簡単だ。日本の左翼が総体として、ソ連、中国、北朝鮮を批判しぬけるほどにマルクス主義を理解せず、実践できなかったことに問題があるわけで、マルクス主義を卒業しなかったところにあるわけではない。ちなみに、世界の多くではマルクス主義は参照項たりえていて、ソ連崩壊後ますますマルクスを自由に使っている。それはともかく。左翼的な風潮は、高度経済成長と共に庶民に埋め込まれたのは確かだ。反戦平和、国際連帯、弱者配慮は当たり前のことになった。それは世界的なものだった。その傾向への行き詰まりが、68年学生反乱の理由であった。日本では社共の得票率が三割を超え、革新行政が席巻した。右翼=バカという軽蔑があったことは小生も覚えている。石油ショックを経て、高福祉は高負担=税率向上と世界的になっていく。一方、日本では「軍事費削って福祉財源へ」と言っている。それじゃあ全然足りないのに。

 2010年。社会保障関連費は一般歳出の51%、約27兆円。まあ、税制に関して著者を批判するのは専門外と思うからやめておこうかな。一つ言えるのは、直接税が減りまくり、間接税が増えまくったのが現在の世界的傾向であり、こういうものはまさしく「階級闘争」の結果である。社民主義の「敵前逃亡」は批判しこそすれ、そんなものに小生は未来を託する気は全くない。そして税制一つとっても、今のままでは世界中の国家は共唐黷ノなるであろう。資本の侍従たる社民主義でそれは可能か? そのためには、黄色インターを超えた、社会主義(共産主義)インターが必要であろう。税における国家間の連携はとても重要なのだが、その背後には国際的な階級闘争で力のあるものがないと、結局は労働者農民への収奪に帰着するであろう。

 再び日中韓関係。戦後の立ち直りも日本は早かった。1980年には世界の先進国と認められていた。出る杭は打たれるとも言える。中曽根公式参拝から靖国は国際問題化。これには靖国神社側の一方的な「解釈」でA級戦犯という、戦地で死んだわけではない人間を国難に殉じたという理由で合祀したことが背景にある。個人的には合祀が無理筋だと思う。根拠薄弱な従軍慰安婦「強制連行」という物語に韓国は飛びついた。(従軍慰安婦はいたし、南方戦線では連行などの強制性の強い話もあるが、日本と朝鮮半島の女性に対する強制性は同等だとみなすのが妥当だろう。)彼らは国家運営に行き詰まれば「反日」をカードに使う。日本人には彼らのカードが妥当とは思えなくなってきた。こうして「反・反日」の感情が日本に出てくる。

 福祉国家は財政危機を世界中で招いた。資本主義の根本矛盾を資本主義国家は統制出来ないということだが、処方箋として「全てを市場に委ねよ、さすれば・・・」という神がかりの新自由主義が世界を席巻した。結果、確かに経済は活性化したが、国家財政は全く好転せず、貧富の格差が開いた。この新自由主義を貫徹するために、イギリスでは炭鉱労働者組合が、アメリカでは自動車労組が、日本では国鉄労働組合が破壊された。労働組合が世界的に破壊されたのだ。世界的に労組の力は落ちて行き、労働者はプレカリアート化している。左翼バネの主力だった労働組合の影響力は労働者主流に及ばなくなった。

 ソ連の崩壊の衝撃もあった。著者の言うようにソ連の崩壊の理由の第一は「個人の欲望に応えられるシステムではなかった」ということである。中国は89年に天安門事件を起こした。日本共産党は「(ソ連崩壊を)もろ手を挙げて歓迎する」といい、社会党は社民党に鞍替えした。だが、本質は何も変わらないことを庶民は感じ取った。そう、「ソ連や中国と」何も変わらないという本質を、だ。レーニンは「学ぶ気があれば、学ぶであろう」と言ったが、社共はそうではなかったと証言しておきたい。

 そして21世紀。不況は長引き、労働者の不安定雇用が進み、彼らは赤木智弘氏に代表されるように「不可視なエスタブリッシュメントよりも、身近な大企業正社員や公務員を叩く」ようになった。「弱いものがさらに弱いものを叩けばブルースは加速していく」状況だ。一方、グローバリゼーションはグローバル競争=徹底的な弱肉強食を全人民に押し付ける。それに対抗するには国際的な連帯組織、それも強制力(暴力)を持った組織が必要だが、特に左側にはない。「せめておいらの国だけでも(包括的な福祉を可能ならしめるのは現状国家だけ)」という思いから、国家主義に自覚的な労働者は絡め取られていく。そして競争からドロップアウトした非就労者、障碍者などへの差別感情を伴って。それは競争勝者である高所得層も持つ。そして日本の場合は「社会主義」を標榜する国家群の非常識さ。これらが日本における左翼勢力への壊滅的な打撃となっている。韓国への嫌悪感は、それまでのメディアによる反韓感情への抑圧への反動でもある。これも愛国心を後押しし、抑圧へ加担した左翼への強烈な反発心を後押しした。一言で言えば、是々非々でことに臨んでいて、国際的な視野と行動を左翼が行っていれば、本来左翼を支えた人々が、右に走っているのだ。ってか、むしろ、右に走らないほうがおかしい。ここで言う右は、戦後長く続いた右翼とは全く関係がない。一応、自由民権の昔からの右翼の思想に興味があり、共感する人間としては今のネトウヨ化は、厳密には右翼化ではないと思っている。

 少なくとも、中国や韓国に関する不快感を表明することが差別やぁ!というようなことは左側はやめたほうがいい。歴史問題、経済問題で「白髪三千丈」に迎合する必要はない。よくドイツが引き合いに出されるが、ドイツが謝罪しているのは「ナチスのやったこと」で、ドイツそのものが問われるときは毅然とした態度を取っている。ギリシャの甘えをはねつけたのは有名な話。で。増税以外の道はないが、それは国際的な階級闘争の話になるだろう。この著者の言う社民主義のままでは、「新自由主義の長女」になるであろう。
 万国の労働者、被抑圧民族は団結せよ!


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