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TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『新しい左翼入門』

2014-04-28 16:41:00 | 読書
 『新しい左翼入門 ――相克の運動史は超えられるか――』(松尾匡著、講談社現代新書=2167)

 はっきり言って、従来の左翼運動に愛想を尽かした本だと思う。社会党の残党や共産党について、あからさまには書かないが、何も期待していないと思う。それはそうだ、彼らは反省しないんだから、どうしようもない。変わる気もないんだろう。ならば、滅びるに任せるしかなく、同時に、有為の人材がそんなところに行かないようにするのが、誠実というもの。では、どうするか。著者はNPOや、企業に期待する。戦前からそのような活動はあり、ささやかながら成功事例もあるのだ。忘れられたかに見えるこれらの歴史を掘り起こすとともに、社共に代表される政党に連なる運動がどうして失敗し、今や風前の灯になっているかを説明する。それから何を学び、どうするべきかがこの本の課題である。

 風前の灯となった理由は、著者によれば社会変革運動が宿命的な対立を克服できなかったからである。著者は大河ドラマ「獅子の時代」の二人の主人公を例に挙げて説明する。エリートの視点から社会変革を志した嘉顕と、大衆主義・実感主義の銑次。それぞれに「嘉顕の道」「銑次の道」と名付け、それぞれの欠点をp209で描いている。引用しよう。


 「嘉顕の道」……現場の個々人の暮らしや労働の事情から遊離して、理論や方針を外から有無を言わさず押し付けて、現場の個々人に抑圧をもたらす。
 「銑次の道」……他集団のことを配慮に入れず、外部に害となる集団エゴ行動をとったり、伝統的因習に無反省でメンバーを抑圧したり、小ボスによる私物化が発生したりする。


 「嘉顕の道」の失敗の典型例は日本共産党であり、「銑次の道」の失敗の典型例は社会主義協会や部落解放同盟である。勿論、これらは同一組織や運動体の中で絡まり合っているのだが、それでもこの本による分け方はとても有効だと思う。

 両方の道は言うまでもなく必要である。この本でも紹介された『アナ・ボル論争』(大窪一志他編)では、宮崎学氏が「アナ的ボル、ボル的アナ」という書き方をされていたが、そういう人たちが生まれることがベスト。しかし、現実の歴史を見るとそれに失敗している。著者は最後のほうで事業を興す中で、両方の道を行き来しつつ血肉化していくしかないのではないか、と書いているが、そうだと思う。悪いほうの総合は簡単なんだが、滅んでいくよね。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/172.html

 では、章ごとに。気になったことなんかを思いつくままに。
 第一章はキリスト教社会主義対アナルコ・サンジカリズムと題して。
・をを、黄金の日々、草燃える、獅子の時代。権力に絡め取られ初心から離れ、陰湿な権力者になるお話だな。
・嘉顕の道:理想や理論を抱いて、それに合わない現実を変えようとする道
 銑次の道:抑圧された大衆の中に身をおいて、「このやろー!」と立ち上がる道
 それらは相容れない(とは小生は思わない。対立はするが。)ずに共唐黷ノなってきた。
・右側も無縁ではない。「皇道派vs統制派」「国家社会主義vs農本主義」。十分に理解されていないが、戦前軍国主義はこれらの対立をも粉砕しつつ進んだのだ。
・左翼運動での元祖「嘉顕の道」はキリスト教社会主義。山川均、大杉栄、荒畑寒村をはじめ、出発点はここ。
・田中正造の直訴状は幸徳秋水が原稿を。荒畑寒村の処女作は鉱毒事件レメB
・お行儀のよい「嘉顕の道」に反発する人たちが労働者の中に入り「銑次の道」を歩みだす。
・幸徳秋水はアナルコ・サンディカリズムを持ち込む。そうなのだ、銑次の道にしても「外部注入論」は有効なのだ。山川らも影響を受ける。一方、片山潜らはキリスト教社会主義にとどまり、穏健派となる。「硬派(銑次の道)/軟派(嘉顕の道)」という分岐。硬派は大逆事件で主だったところが殺される。(主犯とされた幸徳秋水は天皇暗殺計画に反対していたのは有名な話。)

 第二章は「アナ・ボル抗争――大正期」と題して。
・労組の近代化、米騒動、ロシア革命の衝撃でマルクス主義が人気に。
・以前このブログで書いたと思うが、近代国家では労働者は愛国主義に組み込まれるものだ。第一次世界大戦において、山川はサンディカリストさえ愛国に飲み込まれたのに失望した。レーニンに共感を覚えるのも無理はない。堺利彦首班の第一次共産党結成。労使協調の友愛会(後の総同盟)にも影響力。
・その「総同盟」とアナ系の「同盟会」が合同して「日本労働組合総連合」結成のとき、アナ派とボル派が対立。論争は『アナ・ボル論争』に譲ろう。
・山川はエラそうに見るが、銑次の道も知っている。病弱で会議にも余り出ないし、リーダーシップはそれほどでもない。
・対立の本質は、組織論。アナ派が多数の自派加盟組合から理事を出すことを無理強いした感じがする。「当時の交通状況を考えると、それで組織は動くの?」技術論に過ぎないことを、山川が原理原則にまで高めてしまって抜き差しならなくなった。
・ボル派は罵痘p語に過ぎなかったが、カッコよかったので貼られた側が受け入れた(笑)。両者の運動方針にはそれほど違いはなかった。
・総連合流産のあと、関東大震災。大杉が殺され、アナ系は急速に力を失う。そして本物の「ボル」組織が誕生する。

 第三章は「日本共産党結成と福本・山川論争――大正から昭和へ」と題して。
・一九二二年、山川が「無産階級運動の方向転換」を書き、嘉顕の道から銑次の道への方向転換を告げる。とはいえ、「高く心を悟りて(嘉顕)俗に帰る(銑次)べし」。軍縮の金をどうするか、など、具体的かつ切実な運動方針の必要性を訴える。
・マルクス主義、ひいてはマルクスその人は、両者の道を総合するために苦闘してきたはず。マルクス本人は疎外論でそう思えるが、一方、マルクス主義者となると、どうなんだろう? 修正主義論争の結末など。日本でも、一定成功したのは堺利彦くらいかも知れない。「人間」のことについて、マルクス主義は失敗の歴史である。
・「自由な人間の自由な諸連合」。初期マルクスの有名なテーゼを率直に受け止めると、アナルコ=サンディカリズムではある。
・一九二二年は左翼攻勢の時代。水平社、第一次共産党、日本農民組合。九月の大震災をも利用して、体制側は弾圧の攻勢に出る。刑務所長が憲兵を追い返して第一次共産党のメンバーを結果的に守った話は、どこかで読んだ。山川も命が危なかった。
・第一次共産党は壊滅。モスクワに行っていた荒畑寒村は解党に反対するが、無力。一九二五年に堺らの会議で正式に解党を決めるが、寒村が残務処理委員会である「ビューロー」の設立を提言して通る。寒村はそのメンバーに。
・第一次共産党の主要メンバー(堺、山川)にコミンテルンからの働きかけはあったが、胡散臭く感じて避けていた。代わりに大杉栄が上海で活動資金を得たが、堺は受け取るのを断り、大杉の機関誌の発行費用に。あ、近藤栄蔵(笑)。コミンテルンより彼が胡散臭い(爆笑)。
・再建された日本共産党はコミンテルン主導に。荒畑寒村は干されて関西地方委員長で、徳田球一が主導権を握る。
・労働問題で左翼小児病丸出しのトッキュー。総同盟は分裂し、左側から日本労働組合評議会が創立される。共産党指導下に入った評議会。労働運動の分裂は固定化される。
・一九二五年の普通選挙を巡ってもゴタゴタが。一九二六年に共産党が地下で再建されると、労農党と日労党の合同の動きを葬り去り、分裂は固定化。
・昭和の御世になり、福本和夫デビュー。初期マルクスをドイツで読んでいて、古参の社会主義者をこき下ろす。拝外主義的なインテリちゃんに受ける。おフランス帰りのイヤミちゃんをおちょくるくらいのセンスが当時の日本人にあれば。
・ただ、「結合の前の分離」は、運動を進める上で必要だろうとは思う。「嘉顕の道」の必要性を考えれば、福本への批判はよくよく考えなくてはならない。理論では激しく対立し、課題や問題点を明らかにすることはとても大事なことだと小生は思う。理論と行動は、一応切り離さなくてはならないはずだ。そして、理論の根拠は日常にこそあるべきだ。悪名高いレーニンの『なになす』も、そのような本として若い日の小生は読み解いた。セカイ、特に政治がらみのそれは逆説に満ちている。「素のまま」では現実に弾き返される。理論の世界で徹底的に詰める必要があるのだ、ナャ激Iンが戦いの前に何十回もシミュレーションを行ったように。レーニンにせよ、福本にせよ、「嘉顕の道」のイケナイ面を持つのは確かだが、しかし、受容者の問題がとても大きいと小生は思う。小生は、レーニンの外部注入論を今でも基本的に正しいと思っている。ここはこの本の著者と小生の考えの最大の違いである。(「外部」について小生がどのように考えているかは、『指導という名の欲望』に書いた。興味のある人は、Kindle版で恐縮だが、読んで欲しい。年内に紙化出来たらいいけどなあ。)
・本書からちょっと離れるが、日本人は情緒と論理の問題を分けて考えるのが実は不得意なのではないか、と思う。それが運動圏によく見られる「永遠のサヨウナラ」運動の本当の理由ではないだろうか。「和して同ぜず」がどうして出来ないのだろうか。
・福本に対抗して山川は銑次の道を持ち出す。両方の道を実践した山川だけに重みがあるが、若い福本には多分理解できなかっただろう。ただ、細かい突っ込みを入れるならば、大衆運動の道をマルクス主義者が受け入れたのは、アイゼナッハ派とラッサール派の合同以降であり、大衆運動の道はラッサール派のそれである。
・を、『左小』。この本は本質的にレーニンの自己批判の本である。
・コミンテルンに福本が批判されて福本イズム終了。日本共産党の今に続く体質。徳田球一の豹変の話は何度読んでも笑える。
・ああ、次の指摘は大事だな。特に、今みたいな危機(直前)の時代には。銑次の道の人々が、戦争支持に走った歴史をこの国は持っている。

 大衆の実感に依拠する「銑次の道」は、その実感が、世界に通じる普遍性のあるものか、ある特定の職種なり、ある特定の民族なり身分なりにしかあてはまらないものか区別できない短所も持っているわけです。

(p105)
 だからこそ、「外部注入論」の構図自身が必要なんだと小生は言いたい。

 第四章は「日本資本主義論争――昭和軍国主義時代」と題して。
・一九二七年、堺、山川、寒村らは雑誌『労農』創刊。他に猪俣津南雄、鈴木茂三郎、若手のホープ、向坂逸郎。この創刊により、党員でもない山川、荒畑に日本共産党が「除名通告」という訳のわからない処分を行う。
・一方、労農党に日共は党員を送り込み、労農派の多くも労農党の党員。合法無産政党間の選挙協力があったが、日共は目玉選挙区でそれを反故にして労農党候補を擁立。共産党の病気の一つ「引き回し」がさく裂。協力関係はズタズタに。
・1928・3・15、社会ファシズム論で共産党と他の無産政党の協力は不可能に。「xxと言えるのは日本共産党だけ」という、これまた我々が良く知る――そしてそれが嘘と欺瞞だと良く知る――主張はこの頃から。
・そんな愚かな日本共産党を横目に、山川は統一無産政党の実現を目指す。論争は公開の場で。それらを包容する。目指すところはご尤も。そして「日本大衆党」が出来るが、内紛が絶えなかった。荒畑は自殺未遂を。「全国大衆党」「全国労農大衆党」と変化し大きくなる。
・だが、「大衆は近代国家の下では原理的に体制派となる。(小生の考え)」満州事変が起きると、全国労農大衆党が支持するような動きをする。堺利彦は激高し、闘病生活の後、死去。党からファシストが抜けるが、残った部分もまた軍部への迎合を強める。山川は党内に留まってファシズムに少しでも歯止めをかけようとする。その党、すなわち「社会大衆党」はどこよりも熱烈に軍部を支持するようになり、大政翼賛会に行き着く。
・そんな頃、日本共産党は「武装(強盗)共産党」「リンチ共産党」などを経て壊滅。ようやく反ファシズム人民戦線をコミンテルンが提唱しても時すでに遅し。むしろそれが労農派弾圧の口実になる。農民運動、組合運動のみならず、リベラルや宗教家も弾圧されて日本は泥沼の戦争への道を転がり落ちる。
・大衆が排外主義に煽られた時、銑次の道も無力であった。
・「講座派」vs「労農派」の日本資本主義論争。講座派曰く、明治維新は絶対王政を齎したので、来るべき革命はブルジョア民主主義革命だとする。労農派は明治維新をブルジョア革命だとし、来るべき革命は社会主義革命だとする。だがもう広く知られているが、両者の主張は相手の主張を結構受け入れ、結論には大差がない。ただ、コミンテルンから「明治政府は絶対王政」だとする三二年テーゼを講座派=日共は押し付けられ、それをありがたく頂いたので、引っ込みがつかなかったのだろう。それもあり、全体的には労農派の言うことが正しいと著者は言うし、小生も同意する。
・「ブルジョア民主主義革命」という文言は、天皇制打唐ヲす可能性が高いので、講座派のほうが急進的になった。確かに社会主義一般と天皇制は必ずしも対立しない。社会大衆党の麻生執行部は天皇神格化をしつつも、「社会主義建設を期す」と党の綱領に掲げた。
・地主制度では小作に土地改良などのインセンティブが働かないし、そもそも省力化可能となれば首になるのでそういうことをしない。よって農業生産性は向上しない。すると剰余人口がないので、工場労働者は増えず、日本の発展はなかった。自作農化という農地改革は必要であった。そういう「民主主義革命」を「暴力的に」担ったのが、占領軍。「押しつけ憲法」とか「押しつけ改革」とか、一部の頭の悪すぎる――あるいは欺瞞を弄している――保守派は言うが、GHQの改革は日本のエリート層が必要と考えていたことが一杯含まれるのだ。
・戦前左翼の敗北の理由は、ファシズム論にあり。講座派は「天皇制ファシズム」論。大衆の意識と乖離していたのは方々で言われる。その最大の証明こそが「転向」であろう。労農派はファシズムになびく中間層的大衆に引きずられた。

 純然たる資本家の味方のはずの保守政党の方が「陸軍パンフレット」を批判し、正真正銘のブルジョワ政治家、斎藤隆夫が堂々の反軍演説をしたのです。山川たちは、この事態に直面して事実上お手上げになってしまいました。

(p127)
・大衆自身の持つ抑圧性と、どう向き合うか。それが「銑次の道」の、今に続く課題だと思う。小生の汚い言葉で言えば「戦後民主主義の気分の成れの果て」である、昨今の右傾化を見て、そう思うのだ。(以下ツイッターから)

戦後日本では「愛国無罪」は強いタブーだった。それを国家レベルでやっている国に、強い嫌悪感を持つのは当たり前だろ。

極右の俺から見たら、今の嫌韓・嫌中ってのは、戦後民主主義の大衆的気分の成れの果てに過ぎず、それを右傾化とかいうのは筋違いも甚だしい。


・ファシズムの定義として、著者のいうことは妥当。中間層が没落の危機に際して、強い力でなんとかして欲しいと権威を求めて発生するものだ。小生が追記するならば、大資本家は革命よりも、現体制を前提とするファシズムのほうがマシと判断するのだ。彼らは貿易で財を成すことが多いので、排外主義と結びついたファシズムなど、本来願い下げなのだ。だが、彼らが強大な権力を握ったファシズムと闘うことは、自らの没落を決定づけることなので、それは出来ない。
・反ファシズムのためには早期に広範な、自由主義者や大資本家を含む統一戦線を作るしかなかった。
・さて、日本型ファシズムに加担した社会大衆党の麻生久。「こんなブルジョワ議会政治などやっつけてしまい、軍部の力を利用して社会政策を実現しよう」(p131)庶民には反軍感情があり、それを政治的に利用することも可能だったが、どちらの道にもある「左翼身綺麗主義」が事態を破滅に追い込んだと言えなくもない。著者は政治的自由を充実させられなかった、両方の道を批判している。まさに、現在の問題である。

 第五章は「戦前における「下から」の事業的変革路線」と題して。
・再確認。山川らは元々アナルコ・サンディカリストに惹き付けられていた。
・山川らがマルクス主義に移った後も、労働者自主管理路線が潰えたわけではなかった。まさに「銑次の道」。
・これらの動きを示した書物は『労働資本とワーカーズ・コレクティブ』(樋口兼次著、時潮社)くらい。
・農業では小作によるこういう動きが盛ん。共同経営に至った例も多い。確か、雪印もそうだったような。
・第二次産業では大日本印刷の前身の「秀英舎」が共同経営会社として発足。本格的なものとしては「測機舎」(後のソキア)。
・自治工場。「イエスの友大工生産協同組合」(賀川豊彦の指導)、「十三鉄工所」「神戸印刷工組合自治工場」「尼崎ゴム自治工場」など。
・総同盟の日本裁縫組合は労組などの注文を受けて作業服などを生産。
・最盛期には全国に約八十の生産組合があった。ただ、殆どは失敗。
・アナ・ボルの革命派はこういう動きに冷ややかであった。その例外が賀川豊彦。神戸購買組合(後のコープ神戸)の創立者。キリスト教社会主義者。但し、修養団体的だった友愛会を近代的な労組「関西労働同盟会」に変えるなどの面も。戦後は社会党創設者の一人。自伝的小説に『死線を越えて』。
・労使協調志向、暴力革命反対、反戦活動で捕まったあと、戦争協力、社会党設立時に「天皇陛下万歳」、一億総懺悔運動。とはいえ、素朴な労働全収益説論者であり、搾取の廃絶を訴える。これは確かにマルクス主義の学説よりもわかり易い。
・多くの面で対抗し合った大杉との共通点は「自由なる個人」を出発点としていたところ。
・戦前最大の労働争議である、二一年の神戸川崎造船所・三菱造船所の大争議(二万五千人のスト、三万人のデモ)は彼の指導による。最高級の戦闘的活動家でもあった。本気で経営を奪いに行ったので、大弾圧を喰らった。
・民衆の自主的な労働と物流管理をやろうとした。農民組合、消費・医療生協、共済組合・・・。
・日本の労働運動の父は鈴木文治。友愛会をほぼ独力で作ったキリスト教社会主義者。建前は親睦団体。政官界にコネががあり、保護されるとともに穏健な組織に。しかし、友愛会が三万人を超えると鈴木流嘉顕の道では行き詰まる。そんな時に賀川が友愛会に接触。
・賀川は会費の値上げ、専従の設置、機関紙の発行、職業別組織という近代化をすると共に銑次の道の組織にする。鈴木は組織の改編をわだかまりなく認めた。
・だが、銑次の道であるがゆえに、日本の大衆に引きずられるようにして戦争協力に進んだことも見なければならない。但し、小生に言わせれば正当にも欧米帝国主義へのカウンターとして太平洋戦争を捉えていたことも見逃してはならない。

 第六章は「共産党対社会党左派・総評」と題して。
 第六章は「共産党対社会党左派・総評」と題して。
・日本共産党に言わせれば、戦後日本は対米従属の半植民地である。だからこそ、民族民主革命が必要であり、それは戦前と同じく二段階革命論である、ということになる。
・安倍磯雄、賀川豊彦、片山哲ら旧社会民衆党系の人によって戦後すぐに社会党が結成される。発足時は反ソ連だね。
・片山内閣は財界、占領軍に遠慮して公約を骨抜きにした。議員だった荒畑寒村は怒って離党した。
・一九五一年、サンフランシスコ講和条約を巡って社会党は右派と左派に分裂した時に、左派は旧労農派の人脈で「社会主義協会」を作る。戦後日本の左翼のガンの一つだと小生は思う。
・「労使協調」のボス支配、共産党支配を民主化で打ち破った総評だが、まとめたのは旧労農派の流れを汲む高野実。「ニワトリがアヒルに」総評のバックアップにより左派社会党が有利になったところで、55年の再統一。
・左派主導の社会党は一段階革命理論。これも戦前と変わらない。日帝は米帝に進んで従属している、民主主義革命は不要。
・社会主義計画経済の実行は、米帝の自立よりも簡単だと思われていた。
・労農派は当初単独講和やむなしと考えていた。スターリン体制のおぞましさを知悉する山川らは、アメリカのほうがはるかにマシと正当にも認識していたのではないか。
・小堀甚二(じんじ)が仕切る山川新党の準備会は西側との単独講和を優先すべきと主張し、非武装中立を否定。
・社会党左派は、党外世論に引きずられるようにして全面講和と非武装の方針を出す。中間左派が軍国主義に走ったことの裏返し。「戦争はこりごり」という大衆感情がそれを後押し。
・社会党左派と共産党の政策の差異はほとんどない。六全協前後、日本共産党は戦後憲法反対から護憲に転じる。本質的に平和革命論、天皇制容認、福祉の充実。
・違いは「嘉顕の道」の共産党と「銑次の道」の社会党。それぞれの欠陥がそれぞれを衰退に追い込んでいる。優等生の共産党とアウトロー的な社会党。
・共産党は教師聖職者論。合理化を一概には否定しなかった。だが、管理者や保守政権は「聖職者なんだから」と綺麗ごとを押し付けてきたように、共産党もそれに加担するのかという反発が現場で起きる。だがそれを口実に、住民不在の行政、行政と解同の堕落的癒着、八鹿高校事件の一般生徒不在(これは共産党側も同罪か)を引き起こし、一般大衆の反発と離反を招いた。
・ちょっと脱線。銑次の道は嘉顕の道に転じることが結構多いと思う。ここで部落問題を出したが、これなんか典型かと。すなわち、解同が部落大衆を代表すると称して、自分たちに反対する部落民を排除し、行政との窓口一本化により、どのように堕落したかは大阪人なら大抵知っているであろう。そして、知識の欠如をも「差別」といいなし、糾弾という人殺しをしたことも、大阪人なら知っている。彼らは「組織トップ」に立った時点で、嘉顕の道に転じ、一般住民、自分たちとは違う考えの部落大衆に対して抑圧者となった。同じことは国労に国民の支持が集まらなかったことにも言える。
・部落解放運動については、このブログ記事の紹介でいいかな。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1394.html

 社会党のほうが朝鮮総連系の連中に引きずられて、小生の恩人の言い方をすれば「日本の左翼は朝鮮人にとって良い面の皮」状態になったのは、「銑次の道」で突っ走ったからだ。北朝鮮批判は全て「差別につながる」として恫喝されたことも記録しておこう。

 第七章は「ソ連・北朝鮮体制評価の行き違い軌跡」と題して。
・社会党は元々反ソ反共であった。だが、山川が死んでから変わる。
・スターリン批判後の「集団指導体制」を労農派の高橋正雄は「大大名だけの民主主義」と皮肉る。ハンガリー弾圧を批判。(要は、日本共産党よりも物事が見えていた)
・山川なきあと、向坂逸郎が主導権を握るにつれ、ソ連への批判がなくなっていく。六〇年代半ばから「マルクス=レーニン主義」を名乗りはじめ、六八年のソ連によるチェコ軍事介入(プラハの春)では西側の陰謀と決めつけてソ連を支持。(この頃には日本共産党のほうが物事が見えていた。目くそ鼻くそではあるが)荒畑は向坂を「ソ連のお茶坊主」と批判。
・七〇年代に入ると向坂の弟子たちがさらに親ソに。同時に、北朝鮮の手先になっていく。
・「ソ連の核は美しい(大意)」とソ連盲従振りが酷かった日本共産党だが、部分核停を巡って中国側についたあたりでソ連とケンカ。中国から武装闘争を押し付けられそうになった時は、50年問題のこともあるし中国とケンカ。青瓦台事件では北朝鮮を擁護するというヘマをやらかすが、「金日成にプレゼントを贈れ」と朝鮮総連強要されてブチ切れ。「南北共同声明」の無条件支持をも拒否。ちなみに「ソ連のお茶坊主」に支配された社会党はどちらも受け入れた。バカか。こうして日本共産党は目出度く「自主独立」に。
・じゃあ、日本共産党が民主主義的な政党になったのかというと、そうではない。党への干渉に反発しただけである。チャウシェスクのルーマニアと最後の最後まで友党であった歴史を忘れてはならない。党内はミヤケンの茶坊主以外は排除されたから、急な方針転換が可能になったのだ。
・過去の主張を何の検証もなく、方針転換するミヤケンのセンスは凄いが、学者なら学者生命終了レベル。こんな党が「科学的社会主義」を掲げているのはブラックジョークだね。
・ミヤケン時代のコワモテイメージを払しょくするために、不破指導部はソフト路線を出そうとするが、裏目に。中国、北朝鮮との関係改善から始めてしまった。もし、ミヤケン時代のように中朝を厳しく批判していれば、今ほど退潮していなかっただろう。この間の悪さは、大衆感情と切り離された「嘉顕の道」、上意下達の集権党という組織原理に内在する。
・今やソ連が「国家独占資本主義」であったことは、左翼であれば承認することであろう。対馬忠行以前に、既に山川均はそう分析していた。但し、「銑次の道」を貫く山川は、議論を棚上げにして運動に勤しんだ。当時の大衆は、ソ連や中国に輝かしい未来を見ていた。確たる理論のない中間左派に引きずられる社会党は良い意味でも悪い意味でも大衆政党であったのかも知れない。
・社会党が変節の末、解体する時に最左派と共に筋を通したのは、右派である田英夫、上田哲。中間左派は真っ先に変節して今は民主党に合流。まあ、最左派の新社会党もどうなんだか、とは思うけどね。
・社会党には穏健な社民主義者とマルクス=レーニン主義者が同居していた。その共同戦線は「主敵」を措定すると、「敵の敵」の批判を遠慮するようになる。大同小異は美徳ではあるが、自分の足を引っ張ることがある。「アメリカ帝国主義」を敵と定めると、中ソや北朝鮮というおぞましい国家への批判はタブーになった。個人的には88年、「拉致問題を話題にすること自身が、北朝鮮差別だし、帝国主義への利敵行為だ」という批判を社会党員から受けたことがある。
・だが、70年代半ば以降、一般大衆はソ連や中国には幻滅していた。本来、銑次の道はそういう大衆の感情に敏感なはずだが、社会主義協会は反応しなかった。著者は「運動現場の実感は、他所でもあてはまる普遍性のあるものか、そこでしかあてはまらないものなのか区別できない点に限界がある」(P187)と書いているが、むしろ、過去の成功体験から「嘉顕の道」に迷い込んだのではないかと小生は思う。

 第八章は「戦後近代主義対文化相対主義――丸山眞男と駐熏D」と題して。
・丸山眞男は過去の人呼ばわりされることが多いが、戦後民主主義の知識人のチャンピオンであり、いまこそしっかり読まなければならないという著者の指摘に同意する。著者のお勧めは「超国家主義の論理と心理」「軍国支配者の精神形態」。
・「超国家主義の論理」では、欧米の機能主義的国家=個人主義、自由主義を前提しているのに対し、明治以降の日本は国家が価値を体現するものとされ、個的なこと=疾しいこと とされたことを示す。反照として、全くの個的なこと(端的には私企業の活動だと小生は思う)が公的なことにされ、結果として「公的なもの」という建前が多くのことを隠蔽する。国家の中心=天皇に近いほど価値があるというどうしようもない差別構造が、セクショナリズムを産む。上位者も抑圧を感じ、下位者へのハラスメントでうっぷんを晴らす。これが対外侵略の論理に繋がる。
・「軍国支配者の精神形態」では、軍国エリートの有様が描かれる。ナチスは自覚的な悪であったが、日本のエリートは、日中戦争にもドイツとの同盟にも日米開戦にも少なからぬ個人が反対であったが、「国が決めたことだから」ということで粛々と業務遂行。そして誰も責任を認めない。何のことはない、原発維持の構造と同じだ。
・一言で言うと、個人の確立がなされていないし、尊重されていない社会であるということ。
・大塚久雄は「本源的蓄積」の研究者だが、ヴェーバーの影響を受けている。例の「禁欲」ね。(実はマルクスが皮肉で触れているのだが、これは共産趣味ネタ)大塚はプロテスタント。節欲が資本の蓄積に繋がったという話だが、日本はそうじゃないと捉えた。(そんなことはないと没落ブルジョアの末裔としては思うのだが、まあいいや。)
・内田義彦は講座派の影響を受けたマルクス経済学者にしてアダム・スミスの研究者。開かれた一物一価の市場社会でこそ、広く他人への共感に支えられた利己心が社会の調和を齎すと考え、市民社会の形成を構想したらしい。
・丸山は全共闘運動の「銑次の道」から批判された。ナチス云々は有名なエピソード。また、ジャパン・アズ・ナンバーワンで日本の自己肯定論が流行し、戦後近代主義者は色あせた。
・「銑次の道」を徹底したのが駐熏D。実は、丸山眞男と仲がいい。彼の戦争批判は丸山と違う。小生に言わせれば日本は西欧に「過剰適応」したがゆえに、西洋流の、アジアでの優等生になり、結果的に奴隷になった。駐烽フ見解も同じ。さらに、中国が近代化において劣等生だったのは、自分を守るために西洋化に抵抗したからである。「この「抵抗」にこそ注目しなければならない」(p200)
・戦後しばらくの日本はアメリカばかり見て、亜細亜を無視していた。駐烽ヘそれを批判している。
・対外膨張こそが合理的進歩を求めるヨーロッパ近代の宿命だと駐烽ヘ見抜いた。それへの抵抗こそがアジアの解放である、と。この考えは小生と同じく、毛沢東の高評価につながるであろう。駐烽ヘ五四運動こそが中国近代化の始まると見、中国共産党の歩みに西欧的でない近代化の道の希望を託した。そして、最晩年は文革を支持した。
・駐熏Dの考え方には銑次の道の危うさがある。だが同時に、文革の中においては、毛沢東の主張を錦の御旗にした嘉顕の道の押しつけが内部的にあったことを見なくてはならないと小生は思う。
・銑次の道への期待と失望の繰り返しとしての、ベトナム、カンボジア、パレスチナ、イラン革命、リビア。銑次の道の究極例がタリバン。
・「結局、世界の中心勢力に抵抗する周辺に期待しては、裏切られて幻滅し、(中略)……ということを繰り返し、ますます周辺の、ますます土着的な勢力に期待を移していくのですが、その結果はいつも、環をかけた野蛮を発見して終わる」(p206)
・土着の抑圧のほうが、西欧流の価値観に基づく抑圧よりも酷いなんてことはいくらでもある。結局、北朝鮮の抑圧体制に目をつぶる左翼勢力に代表的なものの考え方は、思考停止ということに尽きるだろう。それを指摘したのがアマルティア・センの『アイデンティティと暴力』(勁草書房)。
・ちょっとだけ著者に反論。右翼ナショナリズムの道を曹ォ清めたのは、日本流銑次の道では決してないと思う。現在、右翼ナショナリズムの本筋は余りにも弱い。そのように語られるモノに、反西欧思想はない。むしろ、西欧価値観の優等生としての日本に自らを同一視し、中韓の「遅れた面」を馬鹿にする風潮に過ぎず、そんなものはナショナリズムでは本来ないし、亜細亜解放のイデオロギーである右翼とは無関係である。
・民族独自の文化よりも、人類は共通性のほうが大きいということは、『ヒューマン・ユニヴァーサルズ』(ドナルド・E・ブラウン著、新曜社)に詳しいとのこと。

 第九章は「市民の自主的事業の拡大という社会変革路線」
・「市民リベラル」は恵まれた地位にいながら、弱者憑依して大衆に説教するから、大衆は反発して「右傾化」するという指摘は半分正しいと思う。それだけじゃなく、弱者団体批判を弱者差別とわめいたから、思いっきり反発されるのだ。
・小生は大坂仰山党の綱領に「勤労大衆の利権の擁護」と掲げている。利権を人権より低く見る奴らは、多分俺たちの党の敵だ。エコロジーが不況容認論にまで行き着いている部分もあるが、こんなのは抑圧的言説に過ぎないという著者の指摘は大事。
・嘉顕の道と銑次の道の総合という難しさ。著者は運動そのものではなく、事業という形で提案を行う。一番の失敗は、嘉顕の道を押し付けた連中が失敗の責任を取っていないこと。日本共産党なんか、「選挙の天才(皮肉だよ)」の委員長を更迭することさえ出来ない。
・資本主義の生命力の一つは、不確実な新規事業が次々と試みられること。さらに、それらが淘汰され、時代遅れの事業も淘汰されること。リスクテーカーがいるから可能なのだ。社会主義経済圏が大失敗したのは、リスクテーカーがいなかったから。
・「(不確実性を有する事業を行うにあたっては)失敗したときの責任をそれを決めた者が負って、同意していなかった者にまで被害を及ぼさないようにしなければならない」(p216)ことがャCント。

 ちなみにこの点では、大阪東住吉・平野地区の民商の幹部は経営者の風上にも置けなかった。人様の経営に、「俺の弟のやってた事業だから俺が関与してもいいだろ」と乗り込み、会社の金を共産党関連の出版社に突っ込み、失敗して穴をあけても責任を取らなかった。明白な背任行為であるにも関わらず、日本共産党系の弁護士団を作り、最後まで責任を認めなかった。小生の身近であった話だ。

・著者は言う。左派系ワンマン経営者のほうが嫌らしいと。その理由は、実質的にはワンマンのくせに、形式上は機関決定した組織の名でなされるから。そしてワンマンは責任を取らない。
・リスクは情報を有する主体が分散的に担うべきという、ハイエクによる社会主義(国家による中央集権的な経済運営)批判は実に正しい。
・従来の運動の失敗から、上のことを学ぶとして、何が出来るか。労働者自主管理の発展形としてのNPO。樋口篤三の取り組み。フェアトレード。銑次の道特有の腐敗現象があるにせよ、開かれることで防ぐことは出来る。単語だけ。コミュニティビジネス、社会的責任投資。
・事業の発展期は、リーダーシップが特に必要で、どうしても嘉顕の道の性格が強くなる。未知でリスクのあるところで民主的討議は相応しくない。独裁こそが相応しい。リスクが強いと異論によって事業そのものが潰れる公算が高い。そして、賛同者だけで事業を始めるべきである。政治団体などの嘉顕の道と違うのは、リスクをきちんと取らなくてはならないところ。そして、成果がはっきりと出るところか。
・実は難しいのは事業が成功した後。未知のリスクはない。人も金も寄ってくる。仕事はルーチン。リスクテーカーはリーダーだけに担えなくなる。同時に、特権享受もほどほどにしないと腐敗である。ここではステークホルダーによる合議制が相応しくなる。責任を分散させる必要もある。組織は開かれ、大衆的になり、銑次の道に歩むことになる。とにかくコミュニケーションが大事だ。但し、それでも銑次の道は閉鎖性を生みかねないので、新規事業を興す場合は嘉顕の道が必要となるだろう。
・こうして、嘉顕の道→銑次の道→嘉顕の道というスパイラルを辿ることになり、止揚?される。

 第十章は「「個人」はどのように作られ、世の中を変えるのか」と題して。
・カント的だが「個人が目的」でなければいけない。その意味では、明治以降の日本の課題である「自立した個人」という課題は解決していない。世界に開かれた公共性を身に着けていなければ、世界に通用しない。
・「自立した個人」の道は江戸時代にもあった。石田梅巌の商人道など。また、真っ当な商人はお客様のためにと考えるもので、上から目線になるのは無理。相手の真のニーズを捕まえられるかどうか、ということ。何かレーニンの「良き商売人に学べ」とかマルクスの「大衆を掴むやいなや」を思い出すね。売り方を考えていない今の社共は、著者の意見を取り入れないだろうね。著者はもう、期待していないのではないか。P17に「大いに応援したい」と書いているが、それは社交辞令だろう。
・属性の多様化。それが個性を殺さずに、自由をたっとび、集団のアイデンティティーに圧殺されない方法。多数の集団に帰属すると、一つの集団に埋没することは出来なくなるからだ。となると、日本共産党員はまず党から出ることが大事になるね。
・左翼内部の不寛容の一つの理由は、ボリシェヴィズムとされている。(若干異論はあるが、書かない)天下り理論(宙空論理)としての唯物史観。だが、マルクスに触れたことのある人なら、マルクスの描く歴史が、実に生き生きと生身の個々人が描かれていることを知っているだろう。生活上の都合の上に政治体制の変革が位置づけられていて、その逆ではない。それは決して、天下り的な「必然法則」などではない。
・「資本主義から社会主義へ」の「移行法則」だけが、「客観法則」とされて押し付けられたのか。「未だ存在しない経済」だから、無理にでもそういうことにするしかなかった。そこで、特にエンゲルスが描いたような「経済システムが政治システムの桎梏を打ち破る革命が新時代を作る」革命に、社会主義革命がならなかった理由がある。
・著者は明示しないが、社会主義が次代のシステムであるとするならば、資本主義の中にもっと内包されていなくてはならない。そして、それは資本主義の中で、資本主義の企業群よりも生命力がなくてはならない、ということになるであろう。
・政治闘争にかまけた左翼はもう終わり。生活の場から、同時に世界を意識した、多分法則も意識した事業を興すこと。カトリック的なマルクス主義よりも、プロテスタンティズム的な運動を。

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Unknown (トテトテトテ )
2014-04-15 08:11:35
タマです。飼主は言います。思い出した、と。以下、引用。

浅田 ヘブライの神というのは絶対的な他者であり、絶対的な他者であるがゆえに逆に浪曼的に内面化もできると思うんです。絶対的な他者にむかって情熱的に投身することが、労農派が福本を批判して言ったような浪曼派極左主義というところへ、帰着せざるをえないという構造が最初からあったのではないか(柄谷行人編「近代日本の批評1」講談社文剣カ庫)
柄谷 当時の福本ブームがどういうものだったかを想像するためには、数年前のいわゆる浅田ブームと比較してみるといいと思うのです。浅田彰と福本和夫は別に似てはいないが、浅田現象と福本現象は似ていると思う。それは、きわめて高度な難解な理論が大衆的な人気を獲得したということです。
浅田 福本ではなく福本のイメージによってヘブライ的なマルクス主義への浪曼的熱狂をかきたてられた連中がいるわけですね、困ったことに。
三浦 ギリシア的なマルクス主義が大正で、ヘブライ的なマルクス主義が大正末から昭和初期にかけて福本主義で来ちゃったということになるわけだけど。
浅田 ヘブライの神とイエスは違うと思うんです。絶対的な他者、絶対的な死に対する浪曼的投身といったものが明らかに最初はある。しかしそれを還元していった後に、相対的な他者の問題、相対的な死(すなわち相対的な生)の問題の絶対性が出てくるかどうか、言いかえれば超越的ではなく超越論的な問いに行き着くかどうか、それがャCントでしょう?それはたとえば小林にはあったし、中野にも出てくると思う。最初からマルクス主義がそういう他者性を持っていたというのではなくて。

らしいです。トテトテトテ~。
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Unknown (贋餓鬼)
2014-04-15 15:36:51
はじめまして。突然失礼いたします。キンスレ65からですが、コメント512~529のあたり、
>国の帰属への懐疑・見直しは最終的には国家の解体を目論む左翼には当然の帰結だろ。
>解体を目論んだのは資本主義国家であって、ソビエトの元に統合するのがコミンテルンの戦略だろ?
>左翼にとってはソビエトすら過程であって、究極的には国家の止揚を期してるじゃなかったっけ?
>(もし全世界ソビエトに統一などというイベントが仮に生じたとしても、連邦の形態じゃクニは解消はしていないわけで)まだまだその先でしょうよ(^w^)
>クロンシュタット市の前例が間違いであると証明もせぬまま、国家の止揚がソヴィエトであることを無視する身勝手自分勝手のみならず、
両者共にソヴィエトについての基本的理解を欠いた印象があります。ぜひともご意見を伺いたく(できればキンスレ上にて)、よろしくお願い申し上げます。
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Unknown (TAMO2)
2014-04-15 16:21:19
タマ様:
革命的マルクス主義という側面と、改良主義的(社会民主主義的)マルクス主義という側面のお話でしょうね。

小生の理解では、今は顕教としての革命的マルクス主義と、密教としての改良主義的マルクス主義という気がしてきています。

で、福本イズムにある程度接したのは30過ぎで、それまで広松渉をそれなりに読み込んでいたので、あの衒学的な文章の衣装は結構はぎ取ってみたんですよ。で、出てきたのは革命的マルクス主義者としてはゆるがせに出来ない筋論でした。それはそれで納得できるんですよね。

まあ、これから出かけるためまとまりませんが、この辺で。

あ。別の方からもう一つ難しいコメントが投稿されていますが、それは後日にでも。
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Unknown (贋餓鬼)
2014-04-16 01:49:31
投稿を承認くださったこと、まずは御礼申し上げます。

キンスレ65内での当該やり取りや、宮地健一氏サイトなどを見ても、なかなか理解が及ばず、その点は『指導という名の欲望』や、キンブロにて掲載「革命とは何だろう」を精読いたせば済むかと存じますが、個別の疑問には個別の回答があるものと考え、お尋ねした次第です。

以前に、キンブロでキンピーさんが「共産主義は無くなりませんよ。共産主義とは―絶えず現在を止揚する運動である」とコメントされたのを見たことがあります。ここからすればですが、キンスレ65内でやり取りされている部分について、静的な国家の止揚≒国家の消滅あるいは昇華は、その運動の停止であり、それは共産主義の死そのものを意味するとも理解されます。

したがって、絶えず現在を止揚する運動が続くためには、現在≒国家を常に必要とし、共産主義とは動的でおいてのみ生を受くということになります。ならば、ソヴィエトを過程として、国家の止揚を期してしまうと、それは動的から静的への転換が生じてしまうと思われます。

結果、動的の前提を維持する必要から、ソヴィエトは国家の代替物として#機能#しており、また同時に外形的かつ静的な意味においては国家の止揚であるということでしょうか。こうなると、共産主義はいわば宗教であり、ただしイスラム教の祭政一致ではなく、バチカン同様の永遠の外部とも思われます。だから副産物として、西欧諸国の民主制政体での三権分立の代わりに、共産主義あるいは共産党は、常に敵≒国家という政体を必要とし、そして共産党という聖と国家という俗とが一致した、その#~人民共和国あるいは~社会主義共和国連邦#内部において権力闘争であったり粛清が絶えないのでしょうか。

最後に、話を余計にややこしくしてしまって申し訳ないのですが、共産主義者を標榜する当の本人は、自らの信じるそれを#科学#と称しているようですが、あらゆる物理的存在が、人の目には静的に見えても、原子レベルにまで細部を観察すれば、その存在の要素≒最小物質は、常に運動を続けているという、つまり動的に存在しているということに通じるように思います。ということは、彼らの信じるそれが#科学#と称することについて、あながち間違ってはいないという印象があります。
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Unknown (焚火派GALゲー戦線)
2014-04-17 20:07:53
>はっきり言って、従来の左翼運動に愛想を尽かした本だと思う。社会党の残党や共産党について、あからさまには書かないが、何も期待していないと思う。

 本音ではそうなのかもしれないが。
>同時に、有為の人材がそんなところに行かないようにするのが、誠実というもの。

 これについては、一応は(誉め殺しかもしれないが)P.17で「引き続きこれらの組織の中で・・・大いに応援したいと・・・」とあります。

 また、筆者自身も述べているが、実は嘉顕の道と銑次の道というのは結構錯綜・入り組みがあると思う。 先の都知事選、今度の沖縄県知事選の候補選定において。

 追記、昨日某スレ埋め投稿をしております。
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Unknown (TAMO2)
2014-04-21 21:58:13
贋餓鬼様、こんばんは。

まず、最初のご投稿についてですが、ソ連に帰着してしまったソビエトはいかなる意味でも、国家の止揚体ではないでしょうね。なお、「ソビエトの下に諸国家を統合」というプログラムそのものはあったと記憶します。スターリンがぶっ潰しましたが(苦笑)。

多忙で出典等を示すわけにはいきませんが、ソビエトの父と言えるレーニンは、アジア・ヨーロッパ・社会主義共和国連邦としてソ連を措定し、それは「国家の集合体」として考えられたものでした。そして、彼の書物である『国家と革命』では、国家は階級死滅と共に死滅するものとされ、そういう段階に世界があったわけでは決してありません。

なお、2ちゃんねるは色々と落ち着きませんので、ROMさえ最近はしておりません。

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Unknown (贋餓鬼)
2014-04-22 02:51:30
キンスレにて、ぶさよ管理人さんが、TAMO2師匠は多忙であるとのコメを寄せてくださいまして、そんな中、ご回答をいただきましたこと、御礼申し上げます。国家は階級死滅と共に死滅するもの、というのは初耳です。とすると、ソヴィエトの存置だけでは階級闘争の勝利すなわち階級死滅ではなさそうですね。とはいえ、先のキンピーさんの言、共産主義とは―絶えず現在を止揚する運動である、を借りれば、闘争の勝利は運動の停止でもあるので、永遠に闘い続けることそのものが目的にも思えてきました。ならば、外形的には、静的に帰結したとしか見えないとも。そうでなければ、共産党幹部達が特権を有して遇されることについて、幹部という上流階級が存置できる根拠は、永遠の闘争中だからということにもなりかねません。
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Unknown (トテトテトテ )
2014-04-28 21:51:04
タマです。飼主は言います。

>「超国家主義の論理と心理」「軍国支配者の精神形態」

ごもっとも。だけど、

「『現実』主義の陥穽」を併せて読むともっと面白いと思います。

とのことです。トテトテトテ~。
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Unknown (焚火派GALゲー戦線)
2014-04-29 18:14:17
>では、どうするか。著者はNPOや、企業に期待する。戦前からそのような活動はあり、ささやかながら成功事例もあるのだ。忘れられたかに見えるこれらの歴史を掘り起こす

 これは間違いなく「必要条件」ではあると思います。 階級の自己統治能力の研鑽となり、それなくして「自ら統治する階級」にはなりえない。 ソ連・中国などで起きたことは大陸の北方民族の征服王朝が政治的・軍事的に勝利を得ながら結局は文化的に漢族に同化されて社会的な支配権を失ったことによく似ています。(軍事的要因は最後の一押しに過ぎない)

 ただ、気になるのは「サービス業」(比重を高めているにしても)ならともかく、重化学工業などで莫大な資本が必要(帝国主義時代開幕の一要因)なことや金融などの「管制高地」をブルジョワジーから奪うメドが立つか立たないかが、最終的に労働者階級が政治的支配階級になりうるか?ということに関連していると思う点です。(ネグリの議論は取りあえずネグリジェンス)
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Unknown (TAMO2)
2014-04-30 07:51:49
贋餓鬼様:
国家がなくなっても、生活は続きますし、その中でもヘーゲル流の矛盾は続くのではないでしょうか。

タマ様:
ご教授ありがとうございます。丸山眞男は長らくご無沙汰しております。いつかじっくり読みたいです。

ギャル戦同志:
そうですよね。この手の議論は大抵、資本の有機的合成の最終形態を無視していますよね。
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