TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『坊ちゃん』

2007-04-27 20:38:36 | 読書
『坊ちゃん』(夏目漱石著、新潮社)

 30年ぶりくらいに読む。いやあ、気違い、気狂、ちゃんちゃん(←チャンコロと同意)とか、何か出版禁止レベルだな・・・と下らない混ぜ返しはともかく。うん、外にも political correct から見たら偏見丸出し。松山の人間、思いっきり馬鹿にしているし。

 親譲りの無鉄砲さは何を表しているか? 江戸のお武家様の気質を現している。勝海舟を思い出す。今風で言えば、主人公は一種のDQNである。結局は気が合って一緒にコトに及んだ山嵐は会津っぽである。彼らは古きものを代表している。

 赤シャツは腹の底は見えないが、とりあえず「悪人」ではないだろう。しかし、悪人である。これは開国した日本に順応した新しい人間を示している。結局のところ、主人公らは負け、うらなり君の力にはなれなかった。

 しかし、この小説を読んだ人、特に日本人は清清しさを覚えるのではないだろうか? 勿論、主人公はゲバレベルでは勝利したけど、社会的には・・・。だが、社会的がどうした、本懐を遂げることこそ大和男子(おのご)である。そういうメンタリティーは、近代日本と雖も払拭できなかったし、しなかった。

 それが良かったかどうかというと、分からない。制度は一気に変えられるが、意識はのろのろとしか変わらない、とトロツキーは言った。確かに。毛唐の猿真似から入り、脱亜入欧を掲げた近代日本。しかし、その裏で沈潜したオクシデンタリズムは大和魂(もののあはれのほうではなく、軍国主義のイメージが色濃く焼きついたほう)を解放し、赤シャツ的なもの(ある種の西欧の規範)を憎悪・殲滅するパトスで日本を破滅においやった。

 同時に、「法律さえ守れば何をやってもいいんじゃあ!」という精神を厭う、“健全さ”が日本社会に残ることで、資本主義の制度が齎す殺伐を緩和してきたのも確かではなかろうか。最近はやばげだが。



・で、松山。ボロクソに書かれているなあ。温泉くらいしかない、か。あ、かまぼこが黒いとあったが、ジャコ天? それとも、簀巻き? どっちも黒いよ。
・で、松山には「坊ちゃんスタジアム」が今、あったりして。
・工房はいつでもDQN。小生も、近大付属とか色々「天敵」がいたなあ。明治の終わりも今も、そんなに変わらない(笑)。
・マスゴミは昔からマスゴミとして認識されていることが分かりました。
・マドンナ、ほんのちょっとしか登場してへんやん。
・で、松山には「マドンナスタジアム」が今、あったりして。

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