TAMO2ちんのお気持ち

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読書メモ:『人新世の「資本論」』

2021-01-24 21:34:00 | 読書
 『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著、集英社新書1035A)

 この本は、社会革命の本である。正確には、エンゲルス流の革命論である。人類の活動は気候変動を起こすレベルにまで到達し、今のままでは人類社会が持たないことを前半で示す。気候変動しているから「人新世」と題に入れている。共産主義の幻想が20世紀終盤に崩壊した後、強者の論理に過ぎないリベラリズムとその経済表現である資本主義が世界を覆った。それにより、経済活動は活発化し、二酸化炭素の消費に象徴される環境破壊は進行し、人類の存在を今危うくしている。

 マルクスの経済学批判は「資本論」に象徴される。彼の搾取論は、人間活動の矛盾を「外部」に押し付ける理論と解釈することが可能である。労働者への搾取は階級闘争と技術進歩により「しんどいところ」は、先進国の外部、すなわち第三世界に押し付けられた。鉱山による鉱毒被害、地域農業破壊があり、それへの反抗に対しては軍隊が向けられ、甚だしきはジェノサイドが行われた。そして地球温暖化による最悪の影響は、先進国ではなく、まずは第三世界に現れる。

 日本国内に限らず、左翼からリベラルに転向した人たちの多くは、若者などの「外部」を犠牲にするような脱成長を唱える。それに対して比較的若い著者は批判をする。資本主義の運動原理をそのままにした脱成長は、経済弱者への抑圧と収奪を強めるだけだ、と。全くそのとおりである。だが、その上での脱成長を唱える。環境問題が資本主義のこれ以上の延命を不可能にしている今、根本的には民主主義的な経済運営を地域主体にやり、「成長」速度を落とすしかない、と。そのためには、私有化された資源と環境を、コモンの手に取り戻し、民主主義的に運営する必要がある、と。

 マルクスの経済学批判は、従来は生産力主義として理解され、多くの批判に晒された。そして、その論理に従ったソ連の科学主義が資本主義以上の環境破壊を内部に起こしていたのは広く知られている。それにより、マルクスは多くの批判に晒されている。だが、資本論執筆と並行したマルクスの仕事は物質循環に向けられ、人類の生存可能性を探るものであった。これは的場昭弘氏らの仕事に詳しく、新MEGAに詳述されることであろう。著者もそれを強調している。

 そこで資本主義を食い破る対案として提示されるのはアソシエーション論である。個人的には懐かしい思いで読んでいた。その中で新しいと思ったのは「グローバル・サウスに学べ」ということかな。そしてその動きは先進国ではスペインなどに結実し、欧州に自治体レベルのアソシエーション論が実践され、国家権力を動かそうとしている。トップダウンではなくボトムアップが主体で、考えるに新しい民主主義を作ろうとしている。そして、そのような人間が非暴力で3.5%いれば世の中が変わる、と。著者の言う脱成長は、そういう「新しい民主主義」の上に成立する、犠牲を出さない形の提案である。

 元左翼学生活動家として、左翼に色々幻滅した後でも共産趣味者としてマルクス関連はかなり読んできたので色々ツッコミどころがないわけではないが、この時代にマルクスを紐解く理由はある、特に新MEGAの現代は「新たな(でも論理構造的にはそうでもない)」マルクス解釈の可能性、そしてそれを行動に反映する可能性は感じる。肯定的に受け止めたいが、マルクスが具体的な革命の実践については様々な先行者をついぞ乗り越えず、「青写真を描かなかった」と言われたものと同じ限界は感じた。それは今後の著者、そして読者の宿題だと受け止めたい。本著の評価は、新MEGAが明らかになるときに再度行いたい。また、グローバルに生産が展開している今、どのように生産を「取り戻す」のか、これは過去のアソシエーション論と同じく説得的な話はなかった。具体的には巨大コンビナートをどのように運営するのか? これなしでは、潤沢なコモンの資源としての電力を生み出す太陽電池を作ることは無理である。

 なお、個人的な話を。今、仕事で社会革命としか言いようのない技術革新に携わっている。だがそれが広く導入されると、世界中で数百万は下らない失業者を生み出すだろう。資本主義的な競争原理ではそういうことに帰着する。自殺者=死者も多数出るかもしれない。社会革命であれ、政治革命であれ、革命とは本質的に人殺しである。ネチャーエフだったか「革命家とは予め自らに死刑を宣告する者のことである」と言った。今の会社に入り、しばらくしてその思いは自分のこととなった。その「破壊的技術革新」による犠牲を低減するためにも、著者の提案を受け止めたい。この技術革新自身は、エネルギー消費や資源循環に多大な貢献をする。

 また、著者は新エネルギーに期待しつつ、様々な懸念(地下資源の収奪は止まらないのではないか、など)を表明していて共感するが、だが物質に関するエントロピーを考えると、物質を循環させるために自然エネルギーを使うとかなり無理のない形で可能ではないか。実はそちら方面にも自分たちの開発している技術を用いることは出来る。個人的にはキレート化学に期待している。今の実務で3.5%を応援することになるかな。

 最後にちょっと苦言を。マルクス学者ならば、『哲学の貧困』をバックボーンにしたプルードン批判に言及しないほうがいいんじゃないかな。個人的にはそういうことは廣松渉に学んだと記憶。読み比べたら、貧困の哲学の結論と、哲学の貧困の結論は被っていたり、マルクスはプルードンをひっくり返して理解していると思った。もう、25年前の検討だけど。革命理論に詳しい知人が「やっつけ仕事の駄本」と断定したことに理由がないとは言えない。
コメント (2)
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