TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『「お手本の国」のウソ』

2013-08-24 14:33:00 | 読書
 『「お手本の国」のウソ』(田口理穂ほか著、新潮社)

 昔から言う、「隣の家の芝生は青い」と。実際、青かったり、そうでなかったり、色々だが、この本に例示されたものも、とても青かったり、意外とそうでなかったり、という感じ。で、最後のギリシャについては「日本人の感覚ではお手本になりそうもないが、意外とそうでもなく、お手本になるところもありますよ」というものである。さて、個別に。


【「少子化対策」という蜃気楼――フランス(中島さおり)】

 出生率2を超えた!それは、少子化対策の成果だ!と言いたいところ。しかし、何が効果的だったかというと、もっともっと広い子育てへの保障、様々な家族のありようへの社会的承認、ということになろうか。一方、若者層では古式ゆかしい家族へのあこがれもある。それから、移民の出生率は殆ど影響がないようだ。


【“世界の教育大国”に「フィンランド・メソッド」はありません。――フィンランド(靴家さちこ)】

 教育大国で、高負担・高福祉というイメージのフィンランド。最大25人教室、クリエイティブ職とされ裁量の大きい教師。教科書は現役教師による共同執筆。統一指導要領はない。よって、「共通のメソッド」はない。マインドマップはまず使われない。基本的に競争はないが、習熟別クラス編成や飛び級や落第はあり、それなりにプレッシャーに。福祉は厚いが、キャパに制限があり、有料サービスは結構高い。自立意識が高く、家族同居は殆どない。国民総背番号で収支はガラス張り。冬の厳しさゆえに、「国民みんなで生き残ろうよ」という意識が強いのかなあ、と思った。


【「第三極」にふり回された二大政党制お家元――イギリス(伊藤雅雄)】
 日本では民主党が理想的に言い出したシステム。当時「そんなわけないやん」と、唯一者を自認する小生は思った。で、最近、凄くおかしい議論がまかり通っている日本に釘を刺す指摘がされている。野党に期待されるのは、「オャWション(反対勢力)」という役割から、「政権与党の徹底批判を行う」ことである(P78)。保守党の歴史は古いが、労働党は一九二三年に脚光を浴びてしばらくしてから保守党と政権を交互に担う。それが二〇一〇年の選挙で「第一党なし」という事態が起きる。自民党の躍進である。保守党は自民党との連携を選んで政権運営する。付加価値税増税反対、公共予算削減反対、公務員削減反対を公約にしていた自民党は公約を反故にする。元々小政党に不利な選挙制度であるイギリスでは死に票が多く、第三政党は躍進しにくい。そんな中で自民党が躍進したのだが、これらの反故で支持率は急落。

 さて、二大政党制と議会運営の仕組みなど。シャドウ・キャビネットは本格的に「組閣」され、名物クエスチョンタイムで、現大臣と丁々発止のやり取りをする。ヘタを言えば更迭されることもある。上院(貴族院)に対して下院(庶民院)の優越が決められているので、「ねじれ」はない。

 二大政党制に相応しい仕組みがカタラクシアに作られているが、死に票が多い、第三勢力が伸びてこないなど、必ずしも原理的には良いとは思えないのが二大政党制なのだ。


【私なら絶対に選ばない陪審裁判――アメリカ(伊万里穂子)】
 著者は裁判所の書記官。アメリカでは裁判の前に罪状認否という段階があり、検察から多少短めの量刑が示され、それを受け入れて裁判にしないことが多い。民事では示談。民事なら、裁判ではコストが鰍ゥり過ぎる。刑事事件では、陪審員の前に被害者家族などを登場させて量刑を重くしたい検察の思惑と、裁判で時間がかかることにより、娑婆に長くいたい被告の思惑が一致し、陪審裁判が多くなる。

 陪審員は市民の中からランダムに選ばれ、まずは呼び出し状が送り付けられる。その番号が電話やインターネットで「掲示」されたら裁判所に行き、面接などで選抜される。英語が出来る、事件についての「専門家、当事者」でないことが試される。皆、陪審員などやりたくない。ふるい落とされるとガッツメ[ズする人もいるようだ。面白かったのは、夫が妻の浮気相手を殺した事件の裁判で、「間男は殺して当然。妻も殺されて当然。」と言った中東系の男性。当然選ばれない。異文化共生、あははん。選ばれやすいのは、純朴な人。端的には「お母さんタイプ」。検察と弁護側が人選をする。100人~900人の間から12人が選抜されるらしい。これは一仕事だ。平均4~5日、長いと一か月の裁判となる。手当は一日約1000円。酷いね。椅子は最悪。バネがボヨヨンというのもあるらしい。そんな最悪な状況に置かれて不機嫌な陪審員の心証を損ねたほうが負け。マナー良く、手短に、謙虚に。それからCGは効果的。陪審員が自己主張の強い民族か、そうでないかで判決が変わる可能性がある。陪審員制度のおかしさは次の著者の夫の言葉に集約されるだろう。


 「メキシコ人の言うことなんてあてにならない。あの証言は信じない」と言い切ったというのだ。本当にこれらがアメリカの憲法が定めた裁判と言えるのだろうか。

(p137)

 アメリカの裁判所は賭博場と化している。


 Do you really want to be judged by someone who was not smart enough to get out of Jury duty? (陪審員の義務から逃れられないほどどんくさい奴に裁かれたい?)



【自然保護大国の「破壊と絶滅」の過去(内田泉)】
 四百万人しかいないニュージーランドで自然保護に鰍ッる予算は日本よりも多い。だが、それは、絶滅種だらけの歴史が背景にある。元々、二種類の蝙蝠しか哺乳類がいないNZは鳥の天国。俺の天国だ! それが、人間が哺乳類を八〇〇年前に持ち込んでから危うくなった。そして、欧米人が家畜を持ち込んだために絶滅の危機。象徴的なのがカカメiフクロウオウム)であろう。人間が近づいたら、逃げるどころか興味深そうに寄ってくるのだ。何ていうか、食べ放題だな。たった五〇羽に減った頃から精力的に保護運動が取り組まれる。そのやり方が結構エグい。小島の哺乳類を毒入りの餌などで撲滅して、そこに移植したりするのだ。駆除なんてレベルじゃない。だが、甲斐あってカカモヘ復活気味。キリスト教的価値観では、人間のために自然を改変するのは善だが、逆に自然保護出来るのも人間、という、あくまで人間本位主義が背景にあり、「生きとし生けるもの」という日本人の価値観ではちょっとついていけないところもある。で。カカモヘかわいい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15327547


【「ヒトラー展」に27万人、ドイツ人と戦争責任――ドイツ(田口理穂)】
 二〇一〇年、ベルリンでヒトラー展が行われた。どうして人々が熱狂したのか、などを冷静に振り返る企画である。ヒトラーと言えばユダヤ人大虐殺が多く取り上げられる。だが、彼の「遺産」は今も使われる。アウトバーン、フォルクスワーゲン、失業対策、本には取り上げられていないが労働者優遇(福祉)政策。「ヒトラーがもし存在しなければ、ベルリンをはじめドイツの各都市は今とは違う様相だっただろう」(ベルリン歴史博物館のトラボルト氏;p184)。

 ナチスの歴史的犯罪が他と違うのは、彼らは合法的に大虐殺などをしたことである。例えば、日本軍の残虐行為は、少なくとも軍律に反していた。ナチスの合法虐殺の加担者の多くは戦後ドイツを生きている。こんな人もいるのは知っておくべきだな。「祖父も父もナチスの党員だったので、私は子どもは産まない」(p187)。(勿論、遺伝は関係ないのだが。)加害者の子孫にはストレスによる流産も多いらしい。なお、ドイツにはナチス時代を忘れないための仕鰍ッが国内に多くある。例えば、「つまづきの石」。

 ヒトラー自殺後、米英仏ソの四か国はナチスとドイツ国民を分けて扱った。ドイツ政府はナチスの罪を徹底的に暴き、原因究明で応えた。EUに至る流れもその一つ。ユダヤ人への賠償、イスラエルへの支援。だが。日本での「弱者憑依」に似たことが起きる。アウトバーンなどを肯定的に発言しては社会的に抹殺。左派がシオニズム批判したらエライことに。そういったことへの嫌悪感が、ネオナチが伸びる背景にあると小生は思う。そういう嫌悪感それ自体は、小生は断固として支持する。また、イスラエルに対立するイスラム系の人間への差別や迫害については、非常に甘くなっている。

 なお、「罪」と「責任」を分けて考え、取り組むドイツの姿勢は、広く知られていよう。日本はどうか? ごっちゃになり、また、多くの談話は賠償的支援を行ったのは国内で関心を持つ人には知られているが、世界的には知られていない。どんなに頑張っても大東亜戦争での日本の動きを肯定することは出来ない。ハル・ノートは結果に過ぎない。日本の今の右派のメインストリームの馬鹿炸裂っぷりは、この辺の議論で明らかだ。「戦争責任」については、その後の取り組みの、世界へのアピールも含まれると小生は思う。


【財政破綻、それでも食べていける観光立国――ギリシャ(有馬めぐむ)】
 日本でのイメージではとてもお手本になりそうもない、財政破綻の国。だが、そのイメージはエコノミックアニマルに偏した日本人の多くの見方に過ぎない。「それでも食べていける」国であるということは、生活保護バッシングなどで息苦しさを強める日本よりも優れた国であるということの証ではないのか? ギリシャは一体どうしているんだろう? 一言で言えば、観光立国のプロになれているから、だということか。数多いバカンスの島。リピーターを掴む仕組み。それは何か? 英語が当たり前のように通じること――日常会話レベルで十分――、案内標識の親切さ――日本は外国人が公共交通機関のみで目的地に行けるか?という番組企画が出来てしまうほど不親切――、景観保存に熱心な人々。 なお、英語は小4からスタート。また、日常的に外国人と接する機会が多いことも効果的だ。日本では英語教育の早期導入に慎重な方々も多いのだが、語学だけは早くから触れる機会があってもいいと思う。耳が鍛えられなければ話にならない。身の回りの人を見ていると、そのためには早いほどいいだろう。英語はあくまで道具なのだ。



コメント (1)
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