TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『権藤成卿』

2005-11-20 22:16:18 | 読書
『権藤成卿』(滝沢 誠著、ぺりかん社)

 昭和維新運動に影響を与えた思想家の生涯。彼の思想をあえて左翼的な言葉で語ろう。彼は「日本のプルードン」ということになろうか。日本国は古来から社稷と呼ばれる共同体を単位とした国であり、社稷の目的は民衆の衣食住とその再生産(男女のこと)である。その目的に合致し、信認される限りにおいて各種の体制(律令制にせよ、武家社会にせよ)が承認され、支配権を認めるのである。それが破壊される場合、孟子を引用して革命権を彼は認める。その最古の例は、南淵請安の書に示される(どうやら権藤のでっち上げらしい)大化の改新である。そして、それは古来中国(のみならないが)の喩えとして、過去を挙げて現在を撃つ、昭和維新に仮託した「発掘作業」であった。

 権藤によれば、明治維新の最大の負の側面は、江戸時代の社稷=共同体の構造を、土地の私有とそれに伴う現金による課税にある(地租改正)。これにより、衣食住のことどもは全て、商品化し投機対象となった。確かにそうだ。米価や蚕繭~生糸の暴落や騰貴で庶民の生活は圧迫された。最大の困窮者は農村であり、その子供たちとしての都市プロレタリアートだ。これが、血盟団、5・15、2・26の背景である。ただ、誤解してはならないのは、大衆に仮託されたエリートの決起ではなく、権藤は社稷そのものの決起こそ願っていて、それしか道はないと考えていたと思われる点だ。これは、天皇主義者、国粋主義者と決定的に異なるところである。そしてそれは権藤が徹底した民衆主義、現実主義に依拠していた証明である。

 昭和維新運動の前に、権藤は黒龍会のイデオローグ会員として活動した。黒龍会は、対ロシア政策において積極的に提言・実践した団体であり、ソ連期を貫いて存在するロシアの膨張主義に対峙しようとした団体である。対ロの観点から日韓併合を考え、併合後に満州に朝鮮人を殖民することを推進した団体である。その結果の悲惨さは言うまでもない。だが、当時の文脈と情勢では、「皆(日韓満州の民衆)が幸せに成り得る選択肢として存在していた、ユートピアの火花(ジジェクがレーニンに仮託した言葉)は確かに存在した。このことは、右翼も左翼も踏まえておくべきだろう。そう、地獄への道は善意で満ちているのだから。

 清朝は満州に人を入れない政策をおき、満州は殆ど空き家のような状態であった。また、満人は漢族に抑圧されていた。孫文は革命後、満州を中華民国が手放す用意があることを日本側の活動家に伝えていた。――この辺の検証について、日本の左翼の事大主義の笑うに笑えない話がある、日本の左翼が衰亡するわけだ――。いつまで経っても変化のない朝鮮支配層に業を煮やした朝鮮人は、東学党の乱に参加した武田範之に呼応し、日韓合邦運動=韓国一進会を組織する。これは、合邦されたなら朝鮮人に広大な満州を提供する、という前提で成立していた運動である。満人とて、漢族の支配から逃れられ、権利として日朝人と平等になれば、得である。

 だが、現実の日韓併合がどういうものであったかは、歴史の教えるとおりである。李容九や武田範之の心中を察すると、こみ上げるものをとどめることが出来ず、本を投げてしまった次第である。そうそう。「新しい歴史教科書」なぞを作っている人たちの韓国。朝鮮(人)批判には正しいと思う面もあるが、連中が基本的にアカ崩れであることをも再認識した次第である(脱線)。朝鮮の発展に尽くした? はあ? 『バルト三国を重工業国ソ連に組み込むことで、バルト三国は発展した』ってか。アフガニスタンを含めても良いかなw。まあ、字面どおりの唯物論者とは、こんな程度である。


 権藤成卿の歴史的な最大の貢献は、日本の民衆の自治主義の理論的根拠を明示したところではないだろうか。勿論、課題や問題もあろう。天皇を巡る問題は、一読した限りでは矛盾しているように感じる。社稷の赤心の極致としての集約点(現在的には象徴か?)=天皇自身が、古代殺し合いに参加していた事実をどう説明するのか。

 そして、権藤が明示した明治国家の構造的問題は、現在に繋がろう。明治国家の官僚的統制の極北は昭和15年システムで、現在も続いている。戦争の位相を軍事から経済に移し、米軍~自衛隊~憲法9条の欺瞞の擬制を利用し、日本国は奇跡の復活を果たした。それの行き詰まりはあちこちに見られ、小泉ブームに繋がった。しかし、彼は欺瞞の擬制の最大の受益者=アメリカの意向に殆ど抵抗することは今(2005年11月)はない。行き詰まりを突破することは、おそらく不可能であろう。(新自由主義的改革としては、彼は『健全なる反動』ではある。だが、いずれ手をつけなければならないであろう米国債償却のとき、彼は政治の世界から逃亡しよう。)


 また、戦後社稷は会社主義にとって変わられたが、新たな「社稷」はキャッシュフロー化した今、根拠がますます乏しくなっていく。そのアンチテーゼと言えなくもないミーイズムとしての家族主義も、危ういものだ。まず、地域は多く崩壊している。会社主義はリストラ、M&Aで気息奄々。学校は権威なし。

 二つ宿題としたい。新たなる社稷はどのようにして措定可能か。そして、役人・官僚主義が社会を根腐れさせる(談合、護送船団、天下りなどなど)構造的欠陥はいかにして突破可能か。そして、それに気づいているが如何ともし難く思っている大衆――右翼はヤクザの代名詞で近寄りたくない、しかし左翼は引き回しと欺瞞ばっかりで運動を党派に従属させるからそれもまた近寄りたくない、未だにアホダラ経よろしく「憲法9条を守ろう」と唱えている――の、草莽崛起はいかに可能か。
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裏出張メモ(仕事以外)

2005-11-20 18:31:59 | よしなしごと
1.日時 2005年11月16日(水曜日)~20日(日曜日)
2.先  東京、新宿あたり
3.内容
16日 新居浜を出て、20分連絡でのぞみに。20分連絡は余裕があってよろしい。夜、『極うまラーメン』という石神神の本を手に、中野のラーメン屋麺彩房へ行く。今年買うた本やのに、店潰れとるやんけ! 仕方がないので、ホテルの近くのラーメン屋に行く。おいしい。で、入ったことのない長浜ラーメンの店に行く。この手のラーメンでは、東京マルビルの赤のれんの次くらいにおいしい。時々行こう。

17日 仕事関係で一日潰れる。ホテルに帰ってきて空腹を感じたので昨日の長浜ラーメンの店に行き、しょうゆラーメンを頼む。生姜の入ったスープでおいしいが、とんこつほどではない。

18日 仕事のあと、早稲田通りにある「ちゃんぷる」という名前の店でゴーヤチャンプルーをいただく。苦くない。子供の頃、母が調理した苦瓜と同じ味だ。コツは、新鮮なのをさっと調理することだそうだ。

19日 昼間はアキバをうろつく。ねここねこやちよ父関係のグッズを探すが、なかった。等身大ちよ父は6000円で買い取るらしい。あずまんが大王の同人誌で大変出来の良いものがあったが、エロが入っていると興醒めなので買えず。

 その後、大坂仰山党の同志と会い、三里塚管制塔被告カンパの成功をともに喜ぶ。場所は原宿w。アキバ客と同じ日本人とは思えない服装など。収入に大きな格差があるとも思えないのだが。田中正造研究を通じ、アマチュアリズムの大切さを話し合う。こっちもこっちでがんがろう。

 その後、模索舎で集合後、プロ市民wの集会へ。サウンドデモってのはいい。暴力的で圧涛Iだ。大衆を惹き付けられなければ、運動はダメなのだ。真面目な人はそういうのが感性としてダメらしい。この辺、酒が入るにしたがって?循環論争になるのを見て、趣味者同志+αで二次会へ。何年ぶりかで会う方々もいて、楽しい一時。だったらいいのだが、面白すぎる人がいるので、収拾つかず。ねっわぁさんは、ネットの書き込みとは違い?礼儀正しいけど、面白さはネットのまま。

 夜。終電近くで中野へ。物凄い混み方ですよ、これは。

20日 奮発して1700円の駅弁を買う。カニだらけ。少し体中がかゆくなる。
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