「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

巴里祭とマスコミ九条の会

2006-07-16 16:28:29 | Weblog
7月14日(金)
文京区民センター3Fホール
マスコミ関連九条の会連絡会の主催
私たちの巴里祭「シャンソンとワインと九条の集い」

開場は18時なのに参加者続々
姜 尚中さんの講演 佐藤真子さんのシャンソンという企画がうけたのだろう。
250人をはるかに超えていた。

当然のことだが 映画『巴里祭』の主題歌「巴里祭」ではじまる。
7月14日はフランス革命記念日
映画は 7月14日のモンマルトルを舞台にした花売り娘とタクシー運転手の恋物語りである。映画の原題は『7月14日』(カトルーズ・ジュイエ) ルネ・クレール監督作品。音楽はモーリス・ジョベール。
日本で封切られたのは1933年。軍国主義がまかり通りはじめたころである。ひとびとがこの映画に群がったのは 息苦しさから逃れたかったのかもしれない。

佐藤真子によれば 「巴里祭」の楽譜探しに苦労したという。あまり歌われなくなった故かもしれない。
2曲目の「リリーマルレーン」はおなじみである。第一次世界大戦の戦場にラジオ放送で流された。敵味方が耳をかたむけたという話は有名である。
この歌 フランス人は「嫌いだ」というらしい。第二次世界大戦のとき ナチスドイツがパリに入城するときこの歌を歌って行進してきたという。
歌にはいろいろな歴史がある。

3曲目は「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎の詩 武満 徹の曲)

    死んだ男の 
残したものは
    一人の妻と 
一人の子ども
    他には何も 
残さなかった
    墓石一つ
残さなかった

(中略)

    死んだ歴史の
残したものは
    輝く今日と 
またくる明日
    他には何も
残っていない
    他には何も
残っていない

シャンソンから シャンソン風の歌になってしまった。だれも文句はいわない。

姜さんは3月にパリにいた。あの運動のど真ん中にいた。若者の熱気を感じて帰ってきた。日本の若者はおとなしいという。日本は中高年が元気だという。たしかにこの日の参加者の平均年齢は低くはなかった。
話は パリの運動の背景のこと 北朝鮮をめぐってのこと そして「九条」へと展開する。
あの独特な語り口で「九条」の重要さを話してくれた。
姜さん人気はものすごい。八戸からきた人がいる 京都からきた人がいる。
イケメンだからだけではない 静かな話し方がいいという。
講演が終わったら ワッと取り囲まれていた。サインをもとめる人 写真を撮る人。

映画評論家の山田和夫さんが 「ヒトラーは パリは燃えているか と電話で叫んだ。パリはいま若者で燃えている。日本も燃えなければ」と話して乾杯。
それからはヒッチャカメッチャカ。
たまにはいいかもしれない。
佐藤真子が予定外の演奏で また盛り上げる。「巴里祭」をみんなで歌う。踊りだすひともいた。

「さくらんぼ実る頃」「鶴」「黒い瞳」「一本の鉛筆」でみんな静かになる。

    あなたに
聞いてもらいたい
    あなたに
呼んでもらいたい
    あなたに
歌ってもらいたい
    あなたに
信じてもらいたい

    一本の鉛筆があれば
    8月6日の朝と書く
    一本の鉛筆があれば
    人間のいのちと
 わたしは書く

第一回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った
それまで美空ひばりは好きではなかった この歌で好きになった

出版OB会の梶原広子さんの閉会挨拶。
そして「百万本のバラ」でしめくくる。

    信じてくれますか 
一人の若者が
    小さな家を売り
バラを買いました
    信じてくれますか 
うそだと思うでしょう
    街じゅうのバラを
 あなたに贈るなんて
    (後略)

映画「日本国憲法」を撮ったュンカーマン監督もきていたという。知っていれば挨拶をお願いしたのに 残念だったし 失礼してしまった。

「九条」のことはあまり知らずに参加してくれた人もいた。姜さん目当てだったようだが きっとその人は「九条」の大切さを認識してくれたと思う。

この日 名古屋では小中陽太郎さんが中心で 同じような集まりをやったはずである。同じような発想をする人は必ずどこかにいるものである。

終わったあと みなさんどこかで二次会で盛り上がったことだろう。
この元気を いつまでも。
ごくろうさまでした。ありがとうございました。

* 照明と音声
 限られた条件のなかで 目いっぱい努力していただいた「民放九条の会」の森 直樹さ
 ん 吉田博史さんにお礼を申し上げます