たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ぶらり道草旅その5 新居関跡・新居宿

2018年03月26日 12時31分00秒 | 旅行記

ぶらり道草旅その4 浜松 午後の再会 の つづきです。

ぶらり道草旅その5 新居関跡・新居宿

宿泊した浜名湖の近くの宿を出発し 国の特別史跡に指定されている「新居関跡」を 訪ねました。
無料の駐車場(33台)が有ります。

新居関所は 慶長5年(1600年)、天下統一を果たした徳川家康によって創設された関所の一つです。幕府は 江戸を守る目的で 全国各地53ヶ所に 関所を設けましたが 特に 東海道の箱根関所、新居関所は 「入り鉄砲と出女」に対して 厳しい取り締まりが行われたようです。新居関所に限っては 江戸に向かう女性(入り女)にも 手形が必要で 不備の場合は通ることが出来なかったということです。
何年か前に読んだ小説 平岩弓枝著 「水鳥の関」の舞台が その新居関所、新居宿でした。

 

(1)新居関所資料館

入館料(新居関所資料館・新居関所(関所面番所建物)・紀伊国屋資料館)は 大人 410円、
開館時間は 9時~17時、(休日 月曜日)

新居関所資料館1階、2階に 関連資料が展示されていますが 館内は 撮影禁止です。

(2)新居関所(関所面番所建物)

新居関所は 創設当初 浜名湖の今切口の位置に有って 「今切関所」と言われていましたが 幾度かの災害により 2度移転して 現地の位置になったということです。
現在残っている新居関所(関所面番所建物)は 安政5年に再建されたもので 明治2年に関所が廃止された以降は 学校や町役場として 使われてきたそうで 全国で唯一の現存する関所建物、昭和30年には 国の特別史跡に指定されています。

  

   

 

新居宿

  

  

(3)旅籠紀伊国屋資料館

紀州出身の主が江戸時代初期、新居宿に移り住み茶屋を営み 元禄16年(1703年)には 徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿になり 享保元年(1716年)に 「紀伊国屋」の屋号を掲げたとさています。
新居宿にあった 25軒の旅籠の中では最大規模でしたが 紀州藩関連以外の各種講客等の宿泊にも力を入れていたとされています。
明治7年の火災で焼失、2階建に建て替えられましたが 江戸時代後期の旅籠建築様式が随所に残っています。

  

  

  

 

(4)小松楼

元芸者置屋ですが 国登録有形文化財として 建物内部を公開しています。

入口で 下駄箱、下駄の説明を 受けました。

  

  

三々五々 見学者有りますが のんびりした雰囲気の新居宿でした。

(つづく)

 


ぶらり道草旅その4 浜松 午後の再会

2018年03月26日 06時06分29秒 | 旅行記

ぶらり道草旅その3 「袋井市の可睡齋」 の つづきです。

ぶらり道草旅その4 浜松 午後の再会

袋井市の可睡齋のひなまつりを観た後 再び袋井ICから東名高速道に入り 名古屋方面に走り 浜松西ICで出ます。
ほぼ予定通り 昼頃 浜松市内の義姉宅に到着、義姉夫婦の歓迎を受け しばし歓談、
久し振りの再会を喜び、話の花が咲きます。

  

老人介護施設に入所している義母との面会は 午後3時頃がよろしかろうということで 義兄の提案で 近くのレストランで昼食をとることになりました。
義姉夫婦、義長姉、と私共、5人全員、70歳超、内3人は 後期高齢者、皆 年寄りになり、それぞれ いろいろ体に問題を抱えながらも 食事と運動に気をつけて まだまだ 足腰は大丈夫な状態、
義姉宅から街道筋にあるレストランまで 徒歩約20分ですが 気持ち良い春の陽射しの下、5人でウオーキングすることになりました。

 

昼食は 義姉夫婦のおすすめ、おごりで ボリュームたっぷりの 「げんこつハンバーグ」、
年寄りには ちょっと・・・・と 思いましたが 全員たいらげて 満足、満足、
エネルギー補給になりました。

昼食後 義姉宅に戻り 車で 20分程の老人介護施設に向かいます。
丁度3時頃 到着。
入浴した直後ということで 気持ち良さそうにベッドに横たわる義母、
久し振りの再会です。
会話はおろか 三人の娘も認識出来なくなってから久しい義母、ほとんど反応はありませんが 前回と変わらず 顔色も良く 安らか。
お互い 何時どうかなってしまうか分らない歳、顔を見て ホッと安堵、施設を後にしましました。

いったん 義姉宅に戻って 歓談、
暗くならない内に・・・ということで 午後5時頃暇乞いをし 浜名湖の近くの宿に向かいました。

(つづく)

 

 


ぶらり道草旅その2 「沼津御用邸記念公園」

2018年03月25日 13時51分42秒 | 旅行記

ぶらり道草旅その1 沼津市の「千本松原」 の つづき、

ぶらり道草旅その2 沼津御用邸記念公園

(2)沼津御用邸記念公園

駿河湾の最奥部、沼津市島郷海岸に面し 松林に囲まれた一角に有る 沼津御用邸記念公園に立ち寄りました。

沼津市ホームページ → 「沼津御用邸記念公園」

沼津市のホームページから拝借した写真
           ▼

沼津御用邸は 明治26年、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のため造営されたものですが 明治、大正、昭和の三代 77年間にわたり 天皇皇后両陛下や皇室の方々に利用された御用邸です。そのご利用日数は 約5000日に及び 他の御用邸に比べて 最も多くご利用された御用邸なんだそうです。
当時は 掦原村と呼ばれた小さな漁村だったそうですが 気候温暖、全面に駿河湾、背景に富士山という風光明媚な地であったことから 明治政府の高官が相次いで別荘を建設する等していた地で、明治22年には 東海道線が開通し 東京からの交通の便がよくなったこともあって この地に造営されたようです。
昭和44年には 沼津御用邸は廃止されて 昭和45年に 沼津市が 「沼津御用邸記念公園」として開設し 現在に至っているものです。
平成28年10月には 公園内の一部が 「旧沼津御用邸苑地」として 国指定名勝にもなっているそうです。

                   根上がり松

  

明治時代の雰囲気を残した貴重な木造平屋建ての西付属邸御殿、
内部を見学出来ます。(写真撮影可です)

   

  

  

   

  

  

  

庭内散策

  

皇族がそぞろ歩かれたであろう広大な庭

公園の西端には 富士山が松林越しに頭をのぞかせる富士見ポイントがありますが 残念ながら 富士山は 雲に隠れていました。

沼津垣広場、

 

ご用邸の目の前は駿河湾、島郷海岸、
御用邸時代は 皇室のプライベートビーチ、一般人は 立入り禁止だったと思います。
訪れた日は 南岸低気圧通過後の余波もあり 強風、高波でした。

(つづく)

 

 


ぶらり道草旅その1 沼津市の「千本松原」

2018年03月25日 10時10分37秒 | 旅行記

静岡県浜松市の老人介護施設に入所して久しい義母の元には 妻と義姉が定期的に訪れていますが 今回は 同行することになり 3月、お彼岸の頃が良ろしかろうということで予定していたところ 春分の日に予期せぬ降雪積雪、幸い 東名高速道、静岡県方面に交通規制も無く ほぼ予定通り出掛け 帰ってきました。
車で 遠出するのも久し振りなこと、その内いつかなんて言ってられない歳、せっかく 静岡県まで出掛けるのであれば ただピストンするだけでは もったいない・・・ということで 途中 数箇所 ぶらり道草をして 小さな旅を楽しんできました。

(1)沼津市の「千本松原」

沼津市の狩野川河口から富士市の田子の浦港までの間、約10kmの駿河湾に沿って続いている松原です。
千本松原という名称になっていますが 現在は 30数万本以上あるようです。
松原越しに富士山を望むことが出来、東海道随一の景勝地とも言われていて、日本百景、日本の白砂青松100選にも選ばれているようですが 残念ながら 訪れた時間帯には 富士山は雲に隠れており お目当ての写真は撮れませんでした。

沼津市のホームページから拝借した写真
            ▼

元々は 防潮、防風のため 農民が植えたもののようですが 1580年 武田勝頼が 駿河に攻め入った際に これを迎え撃った北条氏が 合戦の邪魔になるとして伐採してしまったため、農作物は 塩害、風害で壊滅的被害を蒙ったとされています。
これに心を痛めた山域延暦寺の乗運上人の弟、長円が 衆生済度の大願を掛け 約5年の歳月をかけて千本の松を植えて根付かせたことが 由来になっているようです。

沼津市のホームページ → 「千本松原」

駿河湾の先には 伊豆半島方面の山並み、

海からの風が強い地域なんでしょう。松は皆 傾いています。

千本松原は 数々の文人達にも愛された景勝地として知られていますが 現在は 「千本松原公園」として 整備され 歌人 若山牧水の歌碑や 作家 井上靖の文学碑等が 建てられています。

井上靖 文学碑

  

千個の海のかけらが
千本の松の間に
挟まっていた
少年の日
私は 毎日
それを ひとつづつ
食べて育った

井上靖

幼少期 伊豆湯ヶ島で過し 浜松中から沼津中に転校、三島の叔母の家から沼津に通った作家 井上靖、
その頃一緒に遊び惚けた仲間との自叙伝的小説のひとつに、「夏草冬濤」がありますが、千本松原も 描写されています

 

(つづく)

 

 

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真冬並みに寒い夜なのに・・・、

2018年03月21日 21時31分03秒 | スイミング

当地 霙から雪に変わった春分の日でしたが 夕方には 冷たい雨になり 屋根や叢の雪も ほとんど消えてしまいました。
でも 寒い、真冬並みです。夜間 また 雪になるんでしょうか。

どうしょうかなぁー、
なんだかんだ言って 休んでしまった(サボってしまった) スイミングクラブ成人クラスレッスン、
今日休むと 2週間のブランクになってしまうしなぁー。
自分に渇! やおら重い腰を上げ 19時~20時 出席し 先程 帰ってきたところです。

今日は 若手指導員S氏による 平泳ぎ中心のレッスンでした。
毎度のこと、基本、基本の繰り返しですが 今日は 特に  手の形、方向、キックについて チェックされました。

レッスン終了後 フリーコースで 居残った ベテラン女性陣の後ろにくっついて なんとか 600m泳ぎ切って すっきり 引き上げました。

平泳ぎのキック

泳いで帰った後の遅い夕食、毎度のこと、程良い疲労感と 格安ビールで いい気分になっているところです。
斯く斯く然然 今日も 恙無く終わろうとしています。

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暑さ寒さも彼岸まで、最後の寒さにして欲しい 

2018年03月21日 09時56分16秒 | 懐かしいあの曲

春分の日、九州から本州南海上に伸びる前線と低気圧の影響と強い寒気で 当地、朝から 霙混じりの雨になっています。
次第に 雪に変わってきました。
真冬に戻ったような寒さで 仕舞い掛けた冬物を着込んだりして・・・

いろいろ雑用有りですが 様子見しているところです。

懐かしい映画音楽でも聴きながら コーヒーブレークに。

1955年に公開された 映画「エデンの東」は エリア・カザン監督のアメリカ映画ですが なんと言っても この映画初出演で 名実共 一躍スターになった ジェームス・ディーンと 切っても切れない映画でもあります。
映画そのものも印象深く 記憶に残る作品の一つですが その主題曲は 数多の映画音楽の中でも 常にベストテンに入る程の人気が有り 良く聴いている曲です。

Youtubeから共有させていただきました。

「エデンの東、East of Eden」ビクター・ヤング Victor Young

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「えーっと、えーっと」 思い出すのが大変

2018年03月20日 10時52分03秒 | 懐かしいあの曲

昔見た映画や 良く聴いている映画音楽、
これまで 思い付いたその都度 気まぐれですが ブログに書き留めてきました。
もっと、もっと 有るはず・・・、「えーっと、えーっと」、
「なんていう題名だったっけなぁー?」「あの俳優の名前は?」「えーっと、えーっと」、
記憶装置がすっかり錆びついてしまっている爺さん婆さん、二人がかりでも なかなか出て来ません。
「分った!」、瞬間 大喜び。
でも せっかく思い出しても 直ぐまた忘れてしまうこと必至、最近は とりあえずメモすることを心掛けています。
記憶することにまるで自信が無くなった今、ブログは 脳になり代わる記憶補助ツール、爺さんにとって 有難い存在になってくれています。
「記憶に残っている映画と映画音楽」を 出来る限り 書き留めてみよう等と思い、
「思い出せ!、思い出せ!」、脳にハッパを掛けますが なかなか・・・・。

とりあえず これまで ブログに書き留めた映画や映画音楽、どれだけ有るかなぁー、
まとめてみました。

ボチボチと 思い出しながら、
気まぐれに、
続けることに・・・、

 

 


老眼鏡でピント合わせは、大変です

2018年03月19日 17時18分40秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

眼鏡(遠近両用老眼鏡)が無ければ 読み書き、パソコン、まるで出来なくなってから 20数年、
何回かは検査し、代替してはきましたが ここ10年位は ほとんど変化無しで 眼鏡もそのままです。
家の中でも 外に出掛けるにも 片時も手放せない眼鏡、
ところが、車の運転には 逆に必要無しですので 途中 手元の案内図や電話番号等を見たりするような場合は 眼鏡を掛けたり 外したり、その忙しいこと。イライラがつのります。

一番困るのが コンデジの液晶モニターで ピント合わせをする場合です。
目と液晶モニターの距離、30cm、40cm・・・、調整しても ほとんど ピントが合っているのかどうか 分らないまま カシャ、カシャ・・・。
フィルムカメラの時代とは違い 何枚失敗しても 消去すればOKですので やたら撮ってしまうことになります。
キチッとした写真を撮られる方、皆さん 目がいいんだろうな等と 思いながら・・・。

特に 接写で撮る花の写真、望遠域で撮る鳥の写真、なかなか ピントが合いません。
毎度 だいたいで いい加減に カシャ、カシャ、
ピンボケ ばっかり、
10枚に1枚位は、なんとか・・・
という具合。
仕方ないか、所詮 記録的写真、
納得しては いるんですが。

 

 


 


映画 「黄昏(On Golden Pond)」

2018年03月18日 19時54分01秒 | 懐かしいあの曲

1981年(昭和56年)製作のアメリカ映画 「黄昏(On Golden Pond)」は 湖畔の別荘を舞台に 人生の黄昏を迎えた老夫婦と その娘や彼女の結婚相手の連れ子との心の交流、父と娘の確執等を描いた作品ですが 実生活でも不和がささやかれていた ヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダ父娘が競演していたことでも 反響が大きかった映画でした。
中高年になってから ほとんど映画館に足を運ぶこと等無かったにも拘わらず 「黄昏」は 確か 夫婦で映画館に観にいった映画で、貰ってきたパンフレットまで 未だに残っています。
後期高齢者となり自ら黄昏を感じ始めた頃にも、偶然 テレビの映画番組で放映され、改めてジーンとしたものですが、やはり記憶に残る名作のひとつだと思っています。

ジェーン・フォンダは 自分の相手役として 大女優のキャサリン・ヘプバーンを推薦し この「黄昏」で初めて大物俳優二人の競演が実現したのだそうです。

湖畔、湖上の風景に流れるテーマ曲が なんとも 「黄昏」を 感じさせます。
Youtubeから 共有させていただきました。

On Golden Pond

ちなみに、アカデミー賞、最優秀主演男優賞等を受賞した フェンリー・フォンダは 数ヶ月後の 1982年8月12日に心臓病で死去、「黄昏」が 最後の映画出演となったのでした。


放っぽらかしの庭にも春

2018年03月17日 20時08分27秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

足の踏み場も無い 猫の額の庭で 「植物の管理、世話係」は 妻であり 専ら 「写真を撮るだけ係」の 爺さんです。
冬の間は まるで放ッぽらかしですが 玄関先で、プランタで、鉢で 3月中旬ともなると 健気なもので 蕾ふくらみ 花咲かせます。

ハナモモ(花桃)の蕾、開花寸前、

ハナズオウ(花蘇芳)も 開花まじか、

スノーフレーク

ラッパズイセン(喇叭水仙)

スミレ(菫)

ハナニラ(花韮)

スイセン(水仙)

プリムラマラコイデス

クリスマスローズ

ポリアンサ

 

 

 

 

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