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福島第一原発事故が起きた時に1号機の建屋内にいて、2013年8月に癌で亡くなった元作業員の木下聡さん(享年65)の生前の証言である。

2018-01-20 18:43:35 | 原発
 木下さんは原発の東電の3次下請け電気設備専門技術者。積算被曝線量40年間で96mSv。38mSvは福島第1原発事故後の復旧作業で被曝した。肺線維症と診断され肺がんも判明し、癌が全身に転移して亡くなられた。

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元原発作業員でガンで亡くなられた”木下聡”さんの証言

=(引用)=<ー事故当時の様子は>
 あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4,5人がいた。
 最初の揺れはそれほどでもなかった。だが、2回目はすごかった。床にはいつくばった。配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。落ちてくるなんてもんじゃない。当たらなかったのが不思議。
 4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。
 皆で集合して、1号機から脱出した。地震が起きてどれくらいだったのかな。必至だったからはっきりしないけど、10分くらいじゃないかな。
 途中の様子も恐ろしかった。タンクはぼこぼこに倒れているし、潮が引いていて、これは津波がくると思った。沖のテトラポットがむきだしになっていた。敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。
 正門を出た。いつもなら、浜側の道を通るが、陥没していたから山側の道を行った。あのまま浜の道を通っていたら、津波にやられとった。
 東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
 そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。設計基準を大幅に超えていたはずだ。
 建屋のコンクリートも相当劣化していた。インパクトドライバーを当てると分かる。ずぶずぶと刺さって粉は真っ白。鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。
       <-東電への思いは>
 ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。あれだけ揺れて問題なしだなんて。
 事故後の対応は全てメーカー任せだった。正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器も、当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話しだ。現場にいたら私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。
 3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。今後も事故は起きるだろう。
 人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けないのんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。体力は元気な時の10分の1になって、ペンも持てなくなった。






元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ
小倉 志郎 (著)
彩流社

【閲覧注意】福島第一原発周辺の今の現状・・3.11東日本大震災の爪跡(2015)

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