本の中の登場人物の扱い方について、おおざっぱに3種類の人がいると思う。1つは存在するわけないじゃんと割り切る人。2つめはいてほしいなと願う人。3つめはいるんだと信じる人。
俺は2つめのタイプだった。積極的に肯定も否定もしないけど、ある種の登場人物について、もしくは架空の事実について、そうであってほしいなと祈ることがある。一言でいうなら妄想なんだけど、その思考の海は深く広く、たゆたっていると気持ちが良い。だから、それは子供の頃から始まって、今も続いている。
「写楽殺人事件」高橋克彦
東洲斎写楽、江戸時代の浮世絵師。作画期間は1794年(寛政6年)からおよそ10か月。その間に約140点の錦絵を描き、突如として消息を絶った。その作品は、レンブラント、ベラスケスとも並び称されるほどの評価を受け、今も日本を代表する絵師の一人とされている。
浮世絵類考によれば、阿波の能役者斎藤十郎兵衛らしいのだが、近年に至るまでこの十郎兵衛の実在が確認できず、ために多くの別人説を生み出した。本作の主人公津田良平は、その10数個の説の不備を指摘し、完膚なきまで粉砕し、新たな説を提唱した。それが近松昌栄。秋田蘭画の絵師である……。
浮世絵の研究者にして推理小説愛好家高橋克彦らしい、美術ミステリ。タイトルに殺人事件とあるように、「一応」殺人もあるのだが、それはほんの申し訳程度。謎解きの大半は、写楽が何者であったかに裂かれている。もちろん事実を基にしているわけではない。秋田書画人伝にある「近松昌栄。秋田の画家。佐竹氏に仕える。文政中の人」という一文だけを頼りに想像の翼をはばたかせ、まるで実際にそういう説があるかのように説得力のある骨組みを構築した作者の手腕を評価したい。
先に読んだ「春信殺人事件」と同様、浮世絵への接し方と立ち位置が生み出す愛憎と摩擦を描いたストーリーは、平凡だけど頷ける。主人公津田良平の学究的キャラクターと相まって、不思議な熱を胸に残す。もしこの説が本当なら、この人達が実在するのなら、そんな具にもつかない妄想が、どこまでも広がっていく。
俺は2つめのタイプだった。積極的に肯定も否定もしないけど、ある種の登場人物について、もしくは架空の事実について、そうであってほしいなと祈ることがある。一言でいうなら妄想なんだけど、その思考の海は深く広く、たゆたっていると気持ちが良い。だから、それは子供の頃から始まって、今も続いている。
「写楽殺人事件」高橋克彦
東洲斎写楽、江戸時代の浮世絵師。作画期間は1794年(寛政6年)からおよそ10か月。その間に約140点の錦絵を描き、突如として消息を絶った。その作品は、レンブラント、ベラスケスとも並び称されるほどの評価を受け、今も日本を代表する絵師の一人とされている。
浮世絵類考によれば、阿波の能役者斎藤十郎兵衛らしいのだが、近年に至るまでこの十郎兵衛の実在が確認できず、ために多くの別人説を生み出した。本作の主人公津田良平は、その10数個の説の不備を指摘し、完膚なきまで粉砕し、新たな説を提唱した。それが近松昌栄。秋田蘭画の絵師である……。
浮世絵の研究者にして推理小説愛好家高橋克彦らしい、美術ミステリ。タイトルに殺人事件とあるように、「一応」殺人もあるのだが、それはほんの申し訳程度。謎解きの大半は、写楽が何者であったかに裂かれている。もちろん事実を基にしているわけではない。秋田書画人伝にある「近松昌栄。秋田の画家。佐竹氏に仕える。文政中の人」という一文だけを頼りに想像の翼をはばたかせ、まるで実際にそういう説があるかのように説得力のある骨組みを構築した作者の手腕を評価したい。
先に読んだ「春信殺人事件」と同様、浮世絵への接し方と立ち位置が生み出す愛憎と摩擦を描いたストーリーは、平凡だけど頷ける。主人公津田良平の学究的キャラクターと相まって、不思議な熱を胸に残す。もしこの説が本当なら、この人達が実在するのなら、そんな具にもつかない妄想が、どこまでも広がっていく。