はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

げんしけん(9巻)

2007-01-10 21:11:20 | マンガ
中学・高校と軟式テニス部に所属していた。たいしてうまいというわけではなかったけど、種目も運動自体も好きだったから、続けることは苦にならなかった。でも、大学に入ったら軟弱なサークル活動に参加しようと決めていた。それは故郷が離れたせいでもある。知り合いのまったくいない環境で、一から自分の好きなことがやりたかった。
アニ研はコアすぎた。漫研は指先が不器用すぎた。創作研究会は敷居の狭い感じがした。落ち着いた先がTRPG研究会だった。TRPGとアニメと漫画とゲーム。そのスクエアはとても近しい存在で、満遍なくバランスよくすべてを楽しめた。
かくて、乱痴気騒ぎの日々は始まった。

「げんしけん」木尾士目

隠れオタク、というような人種がいる。オタクであることをカミングアウトすることができず、ノーマルな人間を装いながら、周囲にひっそりと溶け込むように息をしている。認めるのが怖いからだ。オタクであることがバレることにより、それまで培ってきたコミュニティからつまはじきにされるのが怖いのだ。
本作の主人公笹原もまた、そういうオタクのひとりだった。そんな彼が封印していた趣味のチャンネルを全開にして楽しもうと決意したのは、大学に入ったからだ。大学という場所にはそういう効果がある。全国から集まった不特定多数の知らない若者の中なら何をやっても許されるというような、そんな雰囲気がある。
そうして彼が選んだのは現代視覚文化研究会。通称げんしけん。アニメ、漫画、ゲーム、どっちつかずの中途半端なサークルだが、そのせいか、他にはない個性的な人間が集まってきた。ガンダムオタクや絵師、コスプレイヤーのような類型的なキャラに混じって、バイリンギャル、どう見ても一般人にしか見えない超絶オタク美青年などのカンフル剤的キャラが姿を見せ、それらが絡み合い、独特なサークルの雰囲気を作り出している。
作者の狙いは、閉じた世界を引っ掻き回すことだったのだろうと思う。壊すのではなく、引っ掻き回す。それによって変わっていく人たちを描きたかったのだ。
その結果一番変わったのが、主人公の笹原だ。オタクであることを認め、腹を括り、漫画編集者という夢に向かって走っていく。恥じらい、遠回りし、おどおどしながら、笹原らしいゆっくりとした歩き方で大人の社会へと踏み込んでいく。その姿は微笑ましく、どこか懐かしい。
スージー&アンジェラも含めたげんしけんフルメンバーでの初詣を描いた50、51話。笹原&荻上の、漫画編集者として漫画家としての付き合い方を描いた52話。斑目の春日部への思いに触れた53、54話。げんしけんのこれからを示した最終話。そして、おまけの登場人物たちによる宴会シーン。
生中片手に思いを馳せる。9巻までの道のり。笹原たちが作り上げてきた「場」。いつまでも終わりのない乱痴気騒ぎ。それはある種の夢に似て……。