FMEN式雑記

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はじめまして!

2045-01-01 12:00:00 | 業務連絡
はじめまして。FMENです。
読みは任せます。
SNSや掲示板でつかっていたハンドルの名残です。

このブログは、主に秋田や東北であったことや気になる話を幅広く網羅させた記事で不定期にまとめていきます。

交通、観光、商業、通信、放送など。
よく読むブログでコメントが長くなるので、思い切って自分で造りました。
今さらかよ?はおいといて。

気軽にコメントください。古い記事でもかまいません。
間違いや変化等がありました場合もお手柔らか(笑)にご指摘ください。

別ログの受け売りで記事ができる場合もありますが、参考ある時は参考にしたとしていきたいです。
通信の状況では変な時間に上がる場合もあります。
画像利用や報道利用は教えて下さい。

【追記】たまにサイトやWikipediaの出典に使われてるようです。ありがたいです。
なるべく調べてますが、らしいなどの推量では出典にならないみたいです。

【更新】カテゴリはよく変えてますが、バスカテゴリなうち秋田市営バスの過去路線やネタで市営バスの比率や影響がデカいものは秋田市営バス、中央交通単独などは秋田中央交通バス、その他会社(羽後、秋北、JRなど)はバスタクシーに変えました。

秋田県はくじ運が悪いのか?

2024-08-14 23:00:33 | スポーツ
今日の甲子園。
菰野×西日本短大戦。
西日本短大が圧勝したが、この西日本短大は先週金農を倒したとこ。

こう見てると秋田はやはりくじ運悪いな、と。
いろいろ調べてみたが秋田は平成以後くじ運があまり良くない傾向が確かにあった。
特にこの時代。

1989 附属ベスト4 帝京 優勝
1990 附属ベスト16 横浜商 ベスト8
1991 秋田 ベスト16 大阪桐蔭 優勝
1992 能代 2回戦 尽誠学園 ベスト4
1993 附属 初戦 育英 優勝
1994 秋田 初戦 樟南 準優勝
1995 金農 ベスト8 星稜 準優勝
1996 附属 初戦 波佐見 ベスト8
1997 秋商 2回戦 浦添商 ベスト4
1998 金農 初戦 明徳義塾 ベスト4
1999 秋田 初戦 樟南 ベスト8

である。
ここまで、土をつけた相手がみんな高い成績を残している。
このあとは次負けが増えるがセンバツで活躍した2004年秋田商は優勝した済美を引いてしまい初戦敗退なんてこともあった。
この悪魔的なくじ運は一体なんだったのか。

ただ、2018金農旋風も山はかなり強く、くじ運だけなら一番悪い気もしてならないからただのワガママなんだろうか。

事故ゼロを目指せ〜飯島国道横断物語〜(後編)

2024-08-10 21:46:59 | 道路・交通
上飯島駅交差点横断史。
前編は危険な交差点でついに小学生が死亡してしまい遺族や地域が陳情をはじめたまで。

☆無視できない実情に建設省は
亡くなった小学生は手を挙げていた、既に何人も事故に巻き込まれて子どもの血を吸い続けた構造など。
必死こいた飯島地域の皆さんに建設省秋田工事事務所はスーパースピードで動き出した。
飯島地区の調査を行い、さらにドライバーも渋滞に悩まされるなどからついに歩道橋の発注を69年秋に実施した。

☆安全の架け橋
翌1970年、ついに歩道橋が出来た。
同時に新城川堀川橋にも別添の歩行者橋、飯島小には交通安全センターが完成。
わたり始めは遺影を持ちわたった人も居たらしい。
日本最古の歩道橋(愛知)も子どもの事故陳情で、死んだと言われているが実は存命。
茨島では経済大の女子大生がはねられたからなども噂にあるが、これは本当の話なのがやはり悲しいとこ。

☆愛された歩道橋
こんな経緯なのに、喉元を過ぎたからか日常なりすぎたからか地元の渡り方に問題が。
ゴミまみれ。
また、面倒くさくて7号線直渡りをするのも。
そのため汚さず使うを周知させて再びきれいに渡らせたりもした。
架橋し、地元に愛されていた。

☆バイパス工事で引き際に
ものすごい道みたいに言われるが規制もちゃんとあり、40km制限はみ出し禁止だった。
だから渋滞もひどくなりついに飯島地区のバイパス工事に入る。
その時に歩道橋は撤去、地下道になることが決まった。
1981年8月31日深夜に道路をとめて撤去。
国道では初の事業に。
事故から12年、架橋11年。生きていたら成人が近づいていただろう御霊が成仏していったように、飯島歩道橋は7号線から消えた。

☆飯島バイパスと地下道
難工事を経て、1981年11月16日開通。

飯島地下道も完成。
これが1982〜1983年の南部バイパスの地下道のエポックメイキングともなり、今に至っている。

☆事故ゼロの願いは恒久の念願
それでも交通量が多い7号線。
ゼブラゾーンを付けたり、上飯島駅交差点は変わった信号にしたりして工夫もしている。
事故ゼロの願いは、令和になってもやめることはない…

事故ゼロを目指せ〜飯島国道横断物語〜(前編)

2024-08-10 21:15:55 | 道路・交通
飯島ネタ最後です。
X向けかな?と思いましたがこのネタはやや限定なんでXは改めて。

飯島の上飯島駅交差点。
黒川へ向かう道との交点は紹介したが、この道は交通量が多く非常にあぶない。
しかも上飯島駅や飯島小学校に向かう人も居て。
そんなあぶない道だから、
飯島地下道がある。
仁井田や牛島と同じ構造。
この地下道までの歴史がなかなか調べごたえがあった。
プロジェクトX並みな話といってもいい。

☆モータリゼーション、急激な交通量
秋田市も高度成長でモータリゼーションや開発が進み、飯島地区もこれまでの国鉄東側から中心が西側に移りはじめていた。
国道7号線の交通量が激増、事故がポツポツと増えていて上飯島駅の付近も例外ではなかった。

☆ある小学生の死
そんな中、1969年3月に飯島小1年の女児が7号線ではねられてしまう。
34時間後に亡くなった。
これまでも飯島小の事故はあったし、死亡事故はあったが、「飯島小生の死亡事故」は初めて。
しかも前年から増え始めて嫌な兆候(ハインリッヒの法則)があった事故であった。

☆歩道橋を作ってほしい
交通戦争は秋田ならず日本各地で死亡事故が頻発。
そのため交通弱者に歩道橋をもとめる陳情多数。
秋田でもあったが追いつかず茨島は当時あった経済大が自腹で立てたぐらい。
それでも死を無駄にするなと、葬式の前から父親は飯島の地域で歩道橋陳情を進めるのだった…
(後編につづく)

油の道…黒川街道踏切

2024-08-09 23:47:17 | 鉄道
奥羽本線、黒川街道踏切。
上飯島駅の間にある踏切で一見すると生活道路感あるが、この道は県道である。

ヘキサは無い。
この道は踏切わたると狭いが横金線をすぎると快走路になり金足、下新城の奥地まで行く。
昔は中央交通のバス路線。

果てまで行くと林道になるが、昔は通行できた。
昭和を抜けて井川、五城目までだが井川から先は獣道でトレース不可。
昔は黒川、豊川の油田道であったらしい。

終点がここで非常にあぶない交差点でもある。
飯島ネタの次はその交差点の話。