田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

遠足記2 塩尻の由来

2018年11月17日 | 日記
 二日目の鬼怒川の宿に、デゴイチの大きな模型がありました。東武鉄道鬼怒川線に、蒸気機関車を復活させ、大人気だそうです。蒸気機関車復活を記念した、真っ黒な落花生を自分のお土産に買いました。コーヒーのおつまみにしています。
 
 蒸気機関車といえば、昔々、通学していた私は、中央本線多治見駅から、当時国鉄の蒸気機関車を利用していました。乗り継ぎで使う他の路線も蒸気機関車がまだ走っていました。当然冷房などは無く、窓から入る油煙に苦労しました。それが嫌で、帰宅時間を調整してディーゼル車を選んだものでした。当時は、遅くて、臭くて、鼻が黒くなることで嫌われものでもありました。
 
 私が乗る蒸気機関車の列車は、午前8時を少し過ぎた頃、名古屋へ向かうラッシュが終わった時間の塩尻発の蒸気機関車でした。当時のダイヤ、列車の発着の多くが塩尻でしたので『たぶん機関区があるのだろう』くらいの浅い考えでした。そう言えば、当時は『乗り鉄』や『撮り鉄』は少なかった記憶です。ユースホステルを使った、シベリア横断鉄道や、普通列車の最低料金で日本縦断などが主流でした。
 
 ところで、海無し県になぜ『塩』なのか、考えなくもありませんでしたが、『岩塩?』程度の浅はかなオイラでした。
 
 で、遅まきながらネットで調べると、昔は専売特許品と、人の生活で最も大切な『塩』は海近くで生産され、国内各地に運ばれたのでしょう。
 
 そして、海は太平洋と日本海がありますから、そのどちらからも内陸に運ばれ、塩が運ばれた終着のお尻なのですね。この説明に納得しました。