田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

義姉から年賀欠礼状

2018年11月10日 | 日記
 義姉は次兄のお嫁さんだった人、二人は離婚した。私とはもう他人だが、私には姉様である。一人娘のM美が、私を「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言うものだから、いまでもお付き合いをしている。
 
 義姉は再婚した。再婚相手は妻を病でなくした人、子供はいなかった。髭面で一見怖そうな人だった。姉が私のことをどのように話したのかは知らぬが、二度三度お会いした。昼をご馳走するから、好きなものを言いなさいということで、私は迷わず『カニ』と言った。カニは苦手なのだが、カニなら義兄?にも良いだろうと思ったからだ。後々聞けば、義兄は私と同じのカニ嫌いだったそうだ。
 
 山間部の集落で二人で暮らしていた義姉からの年賀欠礼状には、9月17日に永眠、今後はM美夫婦と同居することが書かれていた。簡単な手紙と線香に香典を添えて送った。
 
 昨晩義理姉から電話があった。義姉は残してきた家に、冬物衣類や整理のために戻っていると話した。M美が電話で知らせたそうだ。義理姉は終始涙声だった。
 
 9月17日はいつものように朝食を済ませ、義兄いつものように横になってうたた寝をしていたそうだ。突然嘔吐し、すでに意識はなかったそうだ。救急車で病院へ運んだが、脳出血の量が多すぎ、手術は死期を縮めるだけと言われた。それでも、少々の延命処置が必要かと問われた。
 
 義理姉は「主人の生き死の判断を一人でしなければならず辛かった」と言った。再婚であるし、義理兄の親戚も少なくないが、付き合いは少なかっただろう。まして、娘は実子ではない。一人で判断しなければならぬことが迷いになっているのだと思った。
 
 義理姉は「六ちゃんもお母さんの時は、一人で決めたのだよね。私達がお母さんのめんどうを見ずに、別れちゃってゴメンね」
 
 M美夫婦の住所をグーグルで調べた。最寄り駅から歩ける距離だ。義理姉が落ち着いた頃、一度訪ねようと思った。