田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

67歳の奨学金批判

2017年02月08日 | 日記
 私と同い年の男性が2月5日付けの毎日新聞朝刊「オピニオン欄」に、18年度に本格実施される奨学金「給付型」について意見を残したそうだ。
 
 その意見とは「苦学した私から見るといい時代になった」と評価する一方、「健康であれば(学費は)アルバイトで賄える」高校時代、大学へ進学するため、「近所の子どもを集め学習塾を始め、休日には土木工事のアルバイトを続け」貯蓄に励んだ。その甲斐あって、「入学費用等」はすべて用意できたという。男性は入学後もアルバイトを続け、「アルバイトを通じて実にたくさんのことを学んだ」と振り返った。
 
 これを読み私は違和感を感じた。私は理工系大学の進学を謳った、新設8年目の新しい高校に入学した。難易度は県下三番目、中学のクラス成績が一桁の生徒の中で、クラス1位2位がG高校、3位~5位がK高校、6位~9位が私の母校の入学要件だった。クラス定員が53人の時代の話である。だが上昇志向の当時は上を見すぎて失敗する受験生も一人二人は必ずいた。
 
 このような者が県下から集まるのである。多くは下宿生活を余儀なくされた。豊かな家の者は仕送りで生活した。当時の高校はアルバイトは厳禁、特別な事情のある者だけが、校長の許可を得てアルバイトを許された。そのアルバイトとは、三食付きの下宿代と一ヶ月の小遣い(3,000円程度)込みの新聞配達員だった。高校には毎年求人があったそうだ。
 
 当時の国立大学の授業料は1ヶ月1,000円、一年12,000円と理工私立大学の百分の一だった。家庭が貧しい者はクラブ活動の時間を全て勉学に向け、地元国立大学をねらった。高校もそれを多いに推奨した。
 
 当時の考え方は、国立で学んだ者は何等かの形で国に奉公しなければならぬと律儀に考え、地方公務員を目指すものが多かった。しかし当時の公務員は今と違って人気は無かった。だからこんな図式が成り立った時代でもある。このような経験をした私はこの男性の意見に納得できないのである。