田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

私達の人生

2015年11月04日 | 日記
 『私達の総括』と書こうとしたが『私達の人生』にした。近頃は『総括』の文字を良く見るが、オイラは連合赤軍の『総括!』を思い出す。今年初め、日刊SPA!に「夫の稼ぎは家族のもの・妻の稼ぎは妻のもの」がUPされた。近頃、妻と良くこの話をする。
 
 我が家はオイラの母と二人の子供の平均的五人家族だった。母は一昨年他界したが同居、共稼ぎ、脱サラ、教育、介護を経験したのだった。
 
 元気だった頃の母が家事をまかない、妻はパートタイムで働いた。私は長年の夢を実践するべく独立した。子供たちは公立高校から国立大学へ進学した。息子が浪人を経験したのが、ほんの少しの贅沢だった。
 
 母が75を過ぎた頃から、家事の比重を少しずつ妻に移した。介護保険が始まり、母はその恩恵にあずかれた。子供たちは奨学金を利用し、卒業後自立し、結婚に至るも自分達で式を挙げ、私達を招待してくれた。私達は、それぞれにお祝い金を200万ほどプレゼントした。妻が子のために、万が一を考えて積み立てしていたそうだ。
 
 我が家にいま負債はない。平成9年に中古マンションを2千万ほどで購入、半額のローンを組んだが、しばらく払い続けたが一括返済した。妻の計算ではそのほうが得だったそうだ。
 
 母の介護は母の年金では足りなかったが、幸いにも私の仕事が途切れず、わずかばかりの貯蓄もできた。母が施設に入所した頃は、1ヶ月10万円ほどを補填しなければならなかった。入所が長引けば、実姉にも援助を願わねばならなかったと思う。姉が「苦しい時は言いな。たくさんは援助できないがお金で済むことなら」と言ってくれた。とても心強かった。
 
 妻が「六ちゃん、うちの貯金知らないでしょ。たっぷりには足らないけど、私も自分ながら良く貯めたと思うよ。無駄使いはしなかったけど、旅行もいっぱい行ったし」と言った。オイラも確かにそう思った。オイラでは絶対無理だったと思う。
 
 「オイラが病気になっても、何が何でも手術とかは嫌だぜ。婆さまのような死にざまが良いのだけどなぁ」と言うと、妻も「だよね~、婆ちゃんのように健康で逝けたら良いネェ」と言うのだった。