田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

なぜ拒絶できない宗教勧誘

2014年12月07日 | 宗教その他
 ある宗教を脱会した女性のブログを読むことが多い。私がその宗教と出会ったのはかれこれ30年も前だ。兄嫁がその宗教に傾倒し、我が家と摩擦が生じた。その後義姉は二人の娘を巻き込み、今は兄も加わっているようだ。そして現在、弟の私はおろか親戚との付き合いを一切拒んでいる。今年1月の母の葬儀さえも来てはくれなかった。

 
 昨年夏、高齢の母がいよいよという時、私の姉、兄にすれば実の妹が兄宅を訪問したが、長女を介して会うことを拒絶した。そして今は、全く音信不通の絶縁状態である。なぜこのような見苦しいことになってしまったのであろう。我に反省すべきことがあったのか、それとも兄一家が深い闇の中へ引きずり込まれたのか、過去の言動を今一度思い出してみる。

 
 全てが事なかれ主義の兄であったが、マスコミ関連会社を定年まで勤め、子会社の社長まで勤めたのである。公然と「長いものには巻かれろ」と言い放ち、向こう見ずな正義を振りかざす私とは表裏の性格だった。私はそんな兄を、家族を養うための、やむをえない一つの選択肢だと思っていた。

 
 会社に10年勤めた私は独立自営したが収入は伸びず、塾と大学の講師をアルバイトで掛け持ちした。忙しかったが、収入はサラリーマンの時代の半分程度しか得られなかった。だが、夢の数パーセントが実現でき、楽しい時代でもあった。そんな私を兄は「夢は腹の足しにはならぬ」と言ってはいたが、反骨精神丸出しの私を評価していてくれたと思う。ガチガチの信者だった義姉に至っては、私がサラリーマンを辞め、自営の道に入ったことを、JW風の職業選択感で褒め称え、誤った評価をしていたと思う。

 
 兄は多忙で親戚の付き合いはしなかった。代理であっても、義姉は親戚のお葬式には一切参列しなかった。長男の嫁ならば、故郷の本家の不祝儀には参列しなければならなかったが、母を引き取った私と妻が、母と長男の名代で親戚縁者のお付き合いをせざるを得なかった。幸い妻が明るく、私の親戚とも快くお付き合いしてくれたので、私はとても救われた。

 
 兄の定年後は年金生活である。義姉は結婚後一度も働いたことが無く、二人の娘は未婚の四十路後半、二人とも勤めた会社は一年で辞め、長く宗教に打ち込み、年金を否定していたから受給資格はないであろう。家族共々巨漢で大食漢だけに、兄の年金だけでは生活に窮していると思う。

 それが原因なのか、私に腹を立てたのかは解らぬが、兄はかたくなに、私や私の家族、肉親、親戚を遠ざけることになってしまった。JWの排斥、断絶などを知識として知った私は、話しても無駄と確信している。今まで、関係を修復しようと私から働きかけたことは無い。私に非があれば、率直に言って欲しかった。考えられることは、私の家を訪れたJW信者に、世の中の常識を教えたことが、廻りまわって兄一家の耳に届いてしまったのであろう。人づてに聞いた兄の最後の言葉『六兎はエホバを嫌う』であろう。

 
 結局、宗教勧誘を拒絶する言葉を言えぬ人も、エホバの証人を理解せぬ弟に言葉をかけられない人も、話しても無駄と思う私も同類項なのだろう。つくづく嫌な宗教だと思う私である。