今日は、本年度の婆さまの介護度の認定日です。介護の度合いは要支援1~2と要介護1~5に分類され、それぞれに保険の適用を受けることができます。我が家の婆さまは平成14年1月に自宅で転倒し、左大腿骨骨折で入院しました。それまでの歩行補助具は杖でしたが、老人車が必要になりました。それでも自足歩行ができました。また婆さまは両膝が人工関節ですので、身体障害者でもあります。
大腿骨骨折の怪我の退院を期に、介護保険の適用を受けるようになりました。介護保険制度が平成12年から始まっていましたので、婆さまはこの制度を充分活用できました。婆さま自身は「保険のおかげです。」と常々申しておりました。私達もそのように思います。
本日は市を代行する判定員が施設に来られました。希望した私達も立ち会うことができました。本来は立ち会わなくともよいのですが、婆さまが、見知らぬ人に怖がらぬように思ったからです。判定員の方の質問の8割方は理解できていないようでした。おそらく要介護4程度かな・・。
その後、看護婦長さんから詳しい話が聞けました。婆さまの点滴は2週間続き、内蔵からの出血はほぼ止まったと考えられるそうです。今日も食事を美味しそうに食べたそうです。汁物の嚥下が難しそうですが皆で見守っています。医師から入浴の許可もでましたので、近日中にシャワーをします等等を教えていただきました。3月14日の腰椎圧迫骨折の闘病回復、施設での車いすからの転落に端を発した、重度の貧血状態からの回復、婆さまの生きようとする力にいまさらながら驚いています。元気な頃の婆さまに、私はいつも「小耳に挟んだのだが、限界まで生きれば、人は静かに楽に死ねるらしいぞ。」と言ってました。今の婆さまは、限界を一つ一つ、己の力で押し上げているようにも見えました。
帰る前に、看護婦長さんに、昨日姉が努力してくれた同意書の話をしました。同意書に姉の行動を詳しく私が書き添えたもので報告しました。婦長さんには「母の親族は私と私の姉の二名です。私が全責任を負います。」と言いました。
大腿骨骨折の怪我の退院を期に、介護保険の適用を受けるようになりました。介護保険制度が平成12年から始まっていましたので、婆さまはこの制度を充分活用できました。婆さま自身は「保険のおかげです。」と常々申しておりました。私達もそのように思います。
本日は市を代行する判定員が施設に来られました。希望した私達も立ち会うことができました。本来は立ち会わなくともよいのですが、婆さまが、見知らぬ人に怖がらぬように思ったからです。判定員の方の質問の8割方は理解できていないようでした。おそらく要介護4程度かな・・。
その後、看護婦長さんから詳しい話が聞けました。婆さまの点滴は2週間続き、内蔵からの出血はほぼ止まったと考えられるそうです。今日も食事を美味しそうに食べたそうです。汁物の嚥下が難しそうですが皆で見守っています。医師から入浴の許可もでましたので、近日中にシャワーをします等等を教えていただきました。3月14日の腰椎圧迫骨折の闘病回復、施設での車いすからの転落に端を発した、重度の貧血状態からの回復、婆さまの生きようとする力にいまさらながら驚いています。元気な頃の婆さまに、私はいつも「小耳に挟んだのだが、限界まで生きれば、人は静かに楽に死ねるらしいぞ。」と言ってました。今の婆さまは、限界を一つ一つ、己の力で押し上げているようにも見えました。
帰る前に、看護婦長さんに、昨日姉が努力してくれた同意書の話をしました。同意書に姉の行動を詳しく私が書き添えたもので報告しました。婦長さんには「母の親族は私と私の姉の二名です。私が全責任を負います。」と言いました。