今回もそうだが、同盟の「救援活動の立ち上げ」は素早い。
蛙は、その「現場」には立ち会っていないが、次の日には「和歌山県連」の部隊が「長田公民館前」で、数え切れないくらいの「コロッケ」を揚げてくれている。数に限りがあれば行列は混乱していたかも知れないが、整理と配布に当たった滝野君たちは「なんぼでもあるさかい、ちゃんと並んでやッ!」とこえ掛けを一日中、やていたと言っている。
京都からの第一陣は「その晩」に県連事務所に支援物資をもって来てくれたし、その次の晩は「大阪府連」のトラック部隊が生田川ランプから2号線まで、ビッシリ列をなして並んでくれた。その時、先頭から最後尾までの長い列を歩いてみた蛙だったが涙が止まらなかったことを覚えている。
「電気」は遅かったところもあるけれど比較的早く「回復」をしていたが、ライフラインの内「水道」と「ガス」は長らく止まったままだった。
そういう状況の中で、広島県連から小森さんと若い人たちが「神戸市連協事務所」に、大阪・京都・奈良からは赤井君・国分君・出口君たちが「県連事務所」に「救援行動」の打ち合わせにやって来てくれた。「阪神間」を京都・奈良が担当し、神戸の東側を大阪が、西半分を広島が担当することがここで決められている。
「水」も「ガス」も机も椅子もテントも何も無い「ないないづくし」の完全自立型「救援」活動なのだ。
蛙は神戸のこと以外は実は殆ど知らない。
淡路は四国の仲間が支援に入ってくれたのだと思う。
勿論、被害にあっていない兵庫の各組織も全力を挙げて支援に取り組んでくれている。
これらの「救援活動」は「都市型・大型」に集中をされていく。
「ほんまは『差別』しよる連中など、助けたるつもりは無いんやけどなぁ」という「ここだけの話」もあったけれど、「支援」を届ける「相手」に一々「あんたか?」なんて聞いてすることなどできゃしない。
また、兵庫の古い指導的な立場の人々からも、この「大々的な救援活動」に対して消極的な意見も出たりした。ずっと以前、「輸血で『血』が足らんいうから、同盟で集めて持っていったら『の血』はいらん言われたことがあるんや。わしらの『支援』の場面もそんな厭な話の繰り返しになるんやないか」というのだ。
とまれ、この後、半年くらいにわたって「炊き出し」を中心に分厚い救援活動が展開されていく。届けられる「物資」の一つひとつには「の兄弟姉妹のみなさん、困難にめげず頑張ってください」といったメッセージが入っており、行動の場面では常に「荊冠旗」が高々と掲げられていたのだ。
蛙は思う。
「差別」などというけれど、人々は「」のことなど皆目判らないままに、ただ「みんながそう言っているから」というだけで、「差別者側」に与してしまうのだから、「眼の前」での「解放同盟」のこうした「取り組み」こそが、反転、「反差別の側」に人々を立たしめていく最大の力になったはずなのだと。
日を置いて「ひょうご解放」誌に寄せた文章で、蛙は「宣言に書かれてあるとおりのことがここでは展開されているように思った」とか「解放運動の歴史の一ページにこの記憶は金文字で書き記されるべきだろう」というようなことを書いた。
今回の「3.11」救援活動の論議の中で、「被災地の被差別に対象を絞るべきではないか」という意見もあった。
事情があまりにも違いすぎると蛙は考える。
神戸の場合、1,000戸から3000戸といった大規模なが壊滅的な被害を蒙っていた。東北ではは少数点在ということになる。
都道府県別人口・人口密度の表がネットで読めるが、そういう視点からは明らかに「東北」は「全体」として、この国の「差別構造」の最下層に組み込まれていると言えるのではなかろうか。
「被差別」という問題と位相は異なるとはいえ、原発立地という視点では特にそうだろう、「差別に曝されている人々」と固く連帯をしていく、それは同盟の責務なのだろうと蛙は考える。
それでも、いち早く「東北支援」に入っている「同盟」の部隊の活動では「荊冠旗」は高く掲げられているのだろうか。
まだ、行ってみもしないで「こんなこと」をいうのも何だけど….
(つづく)
蛙は、その「現場」には立ち会っていないが、次の日には「和歌山県連」の部隊が「長田公民館前」で、数え切れないくらいの「コロッケ」を揚げてくれている。数に限りがあれば行列は混乱していたかも知れないが、整理と配布に当たった滝野君たちは「なんぼでもあるさかい、ちゃんと並んでやッ!」とこえ掛けを一日中、やていたと言っている。
京都からの第一陣は「その晩」に県連事務所に支援物資をもって来てくれたし、その次の晩は「大阪府連」のトラック部隊が生田川ランプから2号線まで、ビッシリ列をなして並んでくれた。その時、先頭から最後尾までの長い列を歩いてみた蛙だったが涙が止まらなかったことを覚えている。
「電気」は遅かったところもあるけれど比較的早く「回復」をしていたが、ライフラインの内「水道」と「ガス」は長らく止まったままだった。
そういう状況の中で、広島県連から小森さんと若い人たちが「神戸市連協事務所」に、大阪・京都・奈良からは赤井君・国分君・出口君たちが「県連事務所」に「救援行動」の打ち合わせにやって来てくれた。「阪神間」を京都・奈良が担当し、神戸の東側を大阪が、西半分を広島が担当することがここで決められている。
「水」も「ガス」も机も椅子もテントも何も無い「ないないづくし」の完全自立型「救援」活動なのだ。
蛙は神戸のこと以外は実は殆ど知らない。
淡路は四国の仲間が支援に入ってくれたのだと思う。
勿論、被害にあっていない兵庫の各組織も全力を挙げて支援に取り組んでくれている。
これらの「救援活動」は「都市型・大型」に集中をされていく。
「ほんまは『差別』しよる連中など、助けたるつもりは無いんやけどなぁ」という「ここだけの話」もあったけれど、「支援」を届ける「相手」に一々「あんたか?」なんて聞いてすることなどできゃしない。
また、兵庫の古い指導的な立場の人々からも、この「大々的な救援活動」に対して消極的な意見も出たりした。ずっと以前、「輸血で『血』が足らんいうから、同盟で集めて持っていったら『の血』はいらん言われたことがあるんや。わしらの『支援』の場面もそんな厭な話の繰り返しになるんやないか」というのだ。
とまれ、この後、半年くらいにわたって「炊き出し」を中心に分厚い救援活動が展開されていく。届けられる「物資」の一つひとつには「の兄弟姉妹のみなさん、困難にめげず頑張ってください」といったメッセージが入っており、行動の場面では常に「荊冠旗」が高々と掲げられていたのだ。
蛙は思う。
「差別」などというけれど、人々は「」のことなど皆目判らないままに、ただ「みんながそう言っているから」というだけで、「差別者側」に与してしまうのだから、「眼の前」での「解放同盟」のこうした「取り組み」こそが、反転、「反差別の側」に人々を立たしめていく最大の力になったはずなのだと。
日を置いて「ひょうご解放」誌に寄せた文章で、蛙は「宣言に書かれてあるとおりのことがここでは展開されているように思った」とか「解放運動の歴史の一ページにこの記憶は金文字で書き記されるべきだろう」というようなことを書いた。
今回の「3.11」救援活動の論議の中で、「被災地の被差別に対象を絞るべきではないか」という意見もあった。
事情があまりにも違いすぎると蛙は考える。
神戸の場合、1,000戸から3000戸といった大規模なが壊滅的な被害を蒙っていた。東北ではは少数点在ということになる。
都道府県別人口・人口密度の表がネットで読めるが、そういう視点からは明らかに「東北」は「全体」として、この国の「差別構造」の最下層に組み込まれていると言えるのではなかろうか。
「被差別」という問題と位相は異なるとはいえ、原発立地という視点では特にそうだろう、「差別に曝されている人々」と固く連帯をしていく、それは同盟の責務なのだろうと蛙は考える。
それでも、いち早く「東北支援」に入っている「同盟」の部隊の活動では「荊冠旗」は高く掲げられているのだろうか。
まだ、行ってみもしないで「こんなこと」をいうのも何だけど….
(つづく)