続・蛙独言

ひとりごと

1.17と3.11 (6)

2011-07-19 11:22:45 | 日記
「ボランティア元年」ということが「1.17」の時に言われました。
勿論、それまでもボランティア活動はあったわけですが、これ程、大規模で長期間にわたる連続的なものは無かったからですね。。
「阪神淡路大震災」は、「3.11」までは、それ以降の幾つかの災害に較べても特別、非常なものだったということもあったと蛙は思います。
それもありますが、一番大きな要因は、前にもあげた「都府県別人口・人口密度」を参照しても分かるとおり、ボランティアを供給するに充分すぎるほどの「人的資源」が「背景」にあったということではないでしょうか。
「時期」ということもあるかも知れません。
ウチの娘は「高三」で「大学進学」が決まっていて、この時、全くのフリーでしたから、随分、活躍をしてくれました。
避難所になっていた「長田区役所」では「看護婦のネェチャン」みたいに言われたりしてましたね。
そういう人も多くあったでしょう。
この時、「1.17」が未曾有の大災害であったわけで、「支援・救援」ボランティア活動についての「ノウハウ」も「マニュアル」も何もなかった。
ただ、「何かできないか」「何とかしなければ」といった想いだけが先行したと思います。
例えば、被災地にやってきた若い人たちが「どこへ行けばいいのですか?今日、どこに泊まればいいのですか?」といったことを聞いてくるということもありました。
「ボランティアのボランティアが要るよね」みたぁな笑えない「笑い話」もあったわけです。
「救援物資」についても、善意はともかく、送る側が「家にある不必要なものの整理」みたいな「もの」も多くあったのではないかと蛙は思います。
この時の「経験」から、それ以降の「災害救援ボランティア活動」は随分、洗練されたものになってきました。
「あの時」は、蛙は「被災者の要望」を聞いてから、「それ」が「どこ」にあるかを探し、「幸せの村」とか「グリーンピア三木」とかまで行って「調達」をし、届けるといったたいへん効率の悪い動きでした。「大人向けのオムツ」がどこにも無くて困ったことがありましたが、薬局をやってる友人から、「少し古くなって商品価値としてはちょっと」といった品物でしたが、大量に無償提供をしてもらったこともありました。
今回では、「物資」は「送る側」から直接「被災地」にではなく、一旦、「集約をする地点」で「仕分け」がされていましたから、「使い勝手」は随分よくなっていたでしょう。
「ノウハウ」や「マニュアル」が整理されて「よくなった」場面も多くはあるでしょうが、弊害もまた出てきているように聞きます。
「物資」より「お金」の方が使い勝手がいいということで「義捐金」が集められていますが、「赤十字」など「公的」なところに集められたものは、「公平さ」などが考えられて、却って「被災者」に届きにくくなっているのではないでしょうか。
蛙の考えでは「直接、支援活動に入っている団体」へ届けられる方がいいように思える。
また、「被災地」へ各自治体の「社協」が派遣されているようで、よく頑張ってくれているようですが、これも「お役所仕事」で、「ルール違反」を許さないという側面もあるように聞きます。
「勝手にボランティアで被災地に入ってもらっては困る」とか、「統制の取れた活動が要求される」とか、聞いた話ですから、実際のところはよく分かりませんが、蛙みたいな出鱈目人間には、「そんなもん、気にせんと勝手にしたいことしたらえぇやん」など思います。
一度も現地に足を踏み入れてない者が言えたものではないでしょうけど。
「1.17」に比較して、「義捐金」の総額は少ないようにも聞きますし、ボランティアも5月の連休をはずれてからは少なくなってきて、必要とされる員数が確保されないと言われているようです。
いずれにしろ、相当、長期にわたる「支援」が求められているのですから、蛙にできることをしっかり考えていこうと思っています。