近年、世界大ではたいへんな災害がうち続いている。ハリケーンカトリーナとかビルマを襲ったサイクロンナルギスなどの大水害とかスマトラ沖地震、四川省大地震などなど、数え上げればきりが無いほどだ。
具体的なことはよく知らないけれども、いつも集中的に被害を蒙るのは「マイノリティ」ということになるのではなかろうか。
大災害時のその時に、その「国」の「権力」が「どのような対応を取るか」によって「被害の深刻度」は倍加されることもあるだろう。
「関東大震災」では、民衆の不満の矛先を「在日朝鮮人」に向かわしめるために、意図的なデマゴギーが振りまかれ、多くの朝鮮人が虐殺されるということがあった。
「若し、歴史が違った風に展開をしていて、この『国』に在日朝鮮人が居なかったとすれば、襲われたのは『』だったろう」というようなことを言われる人もあった。
「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」というデマは、当時、「日本人」が厳しい差別を朝鮮の人々に加えていたのであるから、「いかにもありそうなこと」として受け止められたのだろう。
俳優座の千田是也は、千駄ヶ谷で自警団に誰何された折に、彼は東北出身であったから「その訛り」の故に殺されそうになったが、知人が居合わせてくれて危うく一命を取り留めたということもあって、「芸名」を「千駄ヶ谷のコリアン」のもじりでつけたという。
「1.17の折にはそういったことは無かったのですか?」という質問を受けたことがある。
全く無かったとは思わないが、顕著なものは無かったと蛙は思う。
新渡日のフィリピン人たちは、或る「公園」に自前で「避難村」を作ったこともあったが、それは「差別の故」であるよりは「利便性」ということではなかったかと蛙には思われる。
蛙がずっと出入りしていたT中学校・避難所ではフィリピンの人たちも、日本人と一緒に仲良く避難生活を送っていた。
ただ、新渡日の人々に「情報」が届きにくいということはあったから、「差別的状況」は確かにあったとは言えるだろう。マジョリティ、つまり、大多数の人々には、「被害を受けたマイノリティ」の問題は見過ごされていたということはある。
鷹取教会に開設されたミニ放送局「FMわいわい」とか、後に「定住外国人支援センター」を設立する金宣吉君たちとか、「被災地障害者センター」を設立する「障害」・当事者の運動とか、そういう状況を打開するためにたいへんな努力を傾注する仲間もあった。
当時、地元の「神戸新聞」社も「本社機能」を失うなどたいへんな被害を受けたが、京都新聞社の支援を受けながら、「復旧・復興」へ向けて活躍をしてくれている。
この時、「震度7と被差別」という連載記事を書いてくれているが、日本共産党からは「被害を受けたのはみんな一緒であるのに、『』だけを特別視するのは間違いだ」というような抗議が出された。
神戸新聞社は、「記事を読んでいただければ問題は無いはずだ」ということで毅然とこの抗議に対抗したということがあった。
「震度7」の地域は、南北の幅は極めて狭く東西に長い「帯状」のものであったのだが、神戸市内の「大型・被差別」は全て「すっぽり」とその中におさまってしまう。また、その「被害」の態様は明らかに有意の「違い」があった。
建物の倒壊率などでは灘区の被差別はほぼ百%だったし、須磨区から東灘区まで「すさまじい被害」を蒙っている。同和対策事業の進捗率の高かった中央区の二つの「」では「高層住宅化」が進められていたから建物の被害は小さかったのは事実だが、生活基盤、特に就業構造からする脆弱性は著しいものがあったのだ。
特に長田区の場合、ケミカルシューズ業界が受けた致命的な被害の故に、「立ち直り」の困難は筆舌に尽くせぬものがあった。
「被差別の困難な現実」を報道し、それを支援しなければならないという神戸新聞社の姿勢に対して、共産党は「事実」を隠蔽し、そのことによって「何もする必要が無い」と主張したのである。
許しがたいといわねばなるまい。
また、こういう話もある。
知り合いの教師が言うには「自分の学校の避難所に朝総連の人が訪ねてきて『同胞』がいないかどうか確認をしたいので避難者名簿を見せて欲しいというのだけれど、お断りした。私らは『朝鮮人』も『日本人』もない、皆『同じ被災者』やと思う」のだと。
彼にはマイノリティの側の心情が理解できないのだろう。
その時、訪ねてきた朝総連の人が何をしようとしたか定かでないので、確かなことは言えないが、まさか避難者の中から「同胞」を選び出して、その人だけに支援を届けようなどという乱暴なことをするつもりはなかっただろうと蛙には思われる。ただ、「同胞」が「どこ」に「どれだけ」避難しているかを把握したかっただけだろうと思われるし、また、朝総連に対して「問い合わせ」があった場合に対応できるようにといった話ではなかったかと思う。
共産党にしろ、この教師のような人にしろ、大方の人々は「災害時とマイノリティ」という問題を考えてみたことがないのだろう。
(つづく)
具体的なことはよく知らないけれども、いつも集中的に被害を蒙るのは「マイノリティ」ということになるのではなかろうか。
大災害時のその時に、その「国」の「権力」が「どのような対応を取るか」によって「被害の深刻度」は倍加されることもあるだろう。
「関東大震災」では、民衆の不満の矛先を「在日朝鮮人」に向かわしめるために、意図的なデマゴギーが振りまかれ、多くの朝鮮人が虐殺されるということがあった。
「若し、歴史が違った風に展開をしていて、この『国』に在日朝鮮人が居なかったとすれば、襲われたのは『』だったろう」というようなことを言われる人もあった。
「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」というデマは、当時、「日本人」が厳しい差別を朝鮮の人々に加えていたのであるから、「いかにもありそうなこと」として受け止められたのだろう。
俳優座の千田是也は、千駄ヶ谷で自警団に誰何された折に、彼は東北出身であったから「その訛り」の故に殺されそうになったが、知人が居合わせてくれて危うく一命を取り留めたということもあって、「芸名」を「千駄ヶ谷のコリアン」のもじりでつけたという。
「1.17の折にはそういったことは無かったのですか?」という質問を受けたことがある。
全く無かったとは思わないが、顕著なものは無かったと蛙は思う。
新渡日のフィリピン人たちは、或る「公園」に自前で「避難村」を作ったこともあったが、それは「差別の故」であるよりは「利便性」ということではなかったかと蛙には思われる。
蛙がずっと出入りしていたT中学校・避難所ではフィリピンの人たちも、日本人と一緒に仲良く避難生活を送っていた。
ただ、新渡日の人々に「情報」が届きにくいということはあったから、「差別的状況」は確かにあったとは言えるだろう。マジョリティ、つまり、大多数の人々には、「被害を受けたマイノリティ」の問題は見過ごされていたということはある。
鷹取教会に開設されたミニ放送局「FMわいわい」とか、後に「定住外国人支援センター」を設立する金宣吉君たちとか、「被災地障害者センター」を設立する「障害」・当事者の運動とか、そういう状況を打開するためにたいへんな努力を傾注する仲間もあった。
当時、地元の「神戸新聞」社も「本社機能」を失うなどたいへんな被害を受けたが、京都新聞社の支援を受けながら、「復旧・復興」へ向けて活躍をしてくれている。
この時、「震度7と被差別」という連載記事を書いてくれているが、日本共産党からは「被害を受けたのはみんな一緒であるのに、『』だけを特別視するのは間違いだ」というような抗議が出された。
神戸新聞社は、「記事を読んでいただければ問題は無いはずだ」ということで毅然とこの抗議に対抗したということがあった。
「震度7」の地域は、南北の幅は極めて狭く東西に長い「帯状」のものであったのだが、神戸市内の「大型・被差別」は全て「すっぽり」とその中におさまってしまう。また、その「被害」の態様は明らかに有意の「違い」があった。
建物の倒壊率などでは灘区の被差別はほぼ百%だったし、須磨区から東灘区まで「すさまじい被害」を蒙っている。同和対策事業の進捗率の高かった中央区の二つの「」では「高層住宅化」が進められていたから建物の被害は小さかったのは事実だが、生活基盤、特に就業構造からする脆弱性は著しいものがあったのだ。
特に長田区の場合、ケミカルシューズ業界が受けた致命的な被害の故に、「立ち直り」の困難は筆舌に尽くせぬものがあった。
「被差別の困難な現実」を報道し、それを支援しなければならないという神戸新聞社の姿勢に対して、共産党は「事実」を隠蔽し、そのことによって「何もする必要が無い」と主張したのである。
許しがたいといわねばなるまい。
また、こういう話もある。
知り合いの教師が言うには「自分の学校の避難所に朝総連の人が訪ねてきて『同胞』がいないかどうか確認をしたいので避難者名簿を見せて欲しいというのだけれど、お断りした。私らは『朝鮮人』も『日本人』もない、皆『同じ被災者』やと思う」のだと。
彼にはマイノリティの側の心情が理解できないのだろう。
その時、訪ねてきた朝総連の人が何をしようとしたか定かでないので、確かなことは言えないが、まさか避難者の中から「同胞」を選び出して、その人だけに支援を届けようなどという乱暴なことをするつもりはなかっただろうと蛙には思われる。ただ、「同胞」が「どこ」に「どれだけ」避難しているかを把握したかっただけだろうと思われるし、また、朝総連に対して「問い合わせ」があった場合に対応できるようにといった話ではなかったかと思う。
共産党にしろ、この教師のような人にしろ、大方の人々は「災害時とマイノリティ」という問題を考えてみたことがないのだろう。
(つづく)