続・蛙独言

ひとりごと

1.17と3.11 (7)

2011-07-21 16:58:17 | 日記
いつも「ことばたらず」で、本人はそんな積りはないのに人を厭な気分にさせたり傷つけたりってこと、蛙の場合、あり過ぎるわなぁ。
最近、そんなことがあったりで、ちょっと落ち込んでいたりするよ。
前回も、「そんなもん、気にせんと勝手にしたいことしたらえぇやん」なんて乱暴なことを書いちゃったりしたけど、勿論、ボランティアって「他者に迷惑をかけない」ってのが大原則やとは思ってるんだけどね。
それでね、大震災の折に思ったことの一番は「司令塔はどこにも無い」ってことだと思う。
四川のことをよくは知らないけれど、中国は共産党一党独裁だから「指揮命令系統」が「単一」なんで、うまく働いて「よかった」って話は聞いていないから、あっちでも「そんなもんやったんと違うかな」なんて思う。
「司令塔はどこにも無い」ってことをキチッと覚えておくことは必要だと蛙は思うんだ。
だとすれば、「現場」だ。
藤川先生のように「四駆」に積めるだけ荷物を積んで「完全自立型ボランティア単独行」でっていうようなのには頭が下がる想いはあるけれど、これは効率が悪い。
「現場」の徹底的調査と、それに基づく「多数のコーディネート部隊」は決定的に必要なことなのだ。
ちょうど、ベトナム戦争時のゲリラ戦が正規軍に勝利するのと軌を一にする。
「被災地NGO」の行動体系は優れていると思う。
「1.17」でも、勿論、「司令塔」は無かったわけだが、蛙が担当したのは「同盟の支援部隊の調整」だった。
毎日、情況は変わる。
「1000食の炊き出し」が同一の「避難所」にバッティングすることもあったけれど、瞬時に対応できる力は、「現場」と密着した者にしかできない芸当だ。
「3.11」では、関西の府県レベルで担当が分担されたようで、兵庫は「宮城県」が当たっているようだ。
それはそれで構わないのだけれど、「こっちでの教訓があっちでも使えるかどうか」は分からない。
とにかく「現場」が一番大切なんだと蛙は思う。