「差別はみんなが作った」というように理解されるような言質を展開して大方から非難を浴びた斉藤さんだったかの著作などもあった。
何故といって「そりゃ、権力を免罪することになるではないか」という話だったんだろう。
「どしてみんなはそんなにコリコリになるの?」って蛙は思ったね。
或る人が「或る主張」を展開したとして、「そういう側面もあるよねぇ」って受け止めてすれば何の問題もないことだろうにね。
「明治」4年に「エタとかヒニンとか、そういう『名称』はもう無いってことにするよ」って「お上」から「お触れ」が出たんだったね。
「解放令」なんて言われている。
それってただの「一枚の紙切れ」だったわけで、中身は何も無かったんだ。
「」の側は勿論、大歓迎。
蛙の爺さんち(今はもう無くなっちゃった)にも「明治天皇の肖像」が掲げられてあったなぁ。
そういう話はたくさん聞いたが、一体、誰がそれを配ったんだろうか。
かなり全国的にあった話のようだから、「融和団体」だったのかも知れないね。
「外」の受け止め方は、「解放令反対一揆」に見られるように、「断じて容認せず」ということだったみたい。
「水国闘争」とか、色々、不幸な「事件」もあった。
「高松結婚差別事件」なんかだと、裁判所がおおっぴらに「差別」を容認するってこともあった。
さすがにこれは「大闘争」になった。
全体、民衆の側には「差別」は「当然のこと」として「残る」ことになったようだし、権力の側でも「社会の安定装置」として「非公式」にではあるだろうけれど、意識的に残されていった。
それはどんな風だったろうか。
蛙のブログではそれは「何もしないことによって」ということを言ってきた。
「明治」初年から「特措法」までの百年間、近代国家としてしなければならない「インフラ」整備が順調に実施されていくのだけれど、常に「」は放置されてきた。
道路にしろ橋にしろ住宅建設にしろ、ありとあらゆる面で「ほうったらかし」だったわけだ。
極端な例だと、河川の堤防などで、のところだけは整備されず、「遊水地」とされてきたってこともある。
「明治」以前、それなりに「」の側には「生業」はあった。
まず第一は「下級・司法警察」の役務。
また、「皮革」にかかわる産業。
その外、雑多な「工芸品」の生産。
これらは「専業権」としてあったものだが、「解放令」以降、全てのものが取り上げられていく。
先日、丸亀で「全国女性集会」があって、ウチからも二人が参加をしているけれど、その折に配られた「うちわ」がある。
「うちわ」って丸亀が「全国のシェア」Topだったと思うけれど、これは「竹細工」なんだね。
娘と話してたんだけど、きっともともとは「産業」だったんではないか、「全国シェア」Topなんてとても「」だけでは支えきれるものじゃないだろう、きっと「大きな資本」が「産業」を潰すことになったに違いない。
想像だけで言うのもなんだけど、ついでに言えば、「皮革」にしろ「食肉産業」にしろ、「」の側も頑張っているところはあるけれど、全般的には「大資本」の側に「奪われた」ものは多いんだろう。
早い話、例えば「焼肉」、ちょっとも早くはないかなぁ、もともと「ホルモン」なんてムラの人間にとっては「安くておいしい」ものだったのだけれど、今じゃえらく値の張る「たべもん」になってしまったよ。
ツレアイの父ちゃんは「土建屋」やってるけど、或る時、業者仲間内で「今度、うまい店を見つけたから行こうや」って誘われたことがあったって言うんだね。
で、どこに行くのかと思えば「焼肉屋」。
皆は「うまい、うまいッ!」ちゅうて喜んで食べてるわけだけど、父ちゃんにしてみたら、それって子どもん頃から食べてきたもんだから、さして「旨い」とも思わなかったんだけど、仕方が無いから「調子をあわせて」いたんだそうだ。
角岡君の本でもそうだったか、「は旨いもんを隠しておる」なんて言われたりする。
ウチのムラだったら、「フカの煮こごり」なんてのは、ちょっとヨソにはない一品だけど、蛙ンチに遊びに来てくれた人には食べてもらえる。但し、これは「11月から3月限定」の「たべもん」だ。
えらく脱線したけれど、「」と「一般地区」との境界は、これまで、深くて広い「溝」があったのだけれど、今は急速に埋められてきているように蛙には思われるのだね。
(つづく)
何故といって「そりゃ、権力を免罪することになるではないか」という話だったんだろう。
「どしてみんなはそんなにコリコリになるの?」って蛙は思ったね。
或る人が「或る主張」を展開したとして、「そういう側面もあるよねぇ」って受け止めてすれば何の問題もないことだろうにね。
「明治」4年に「エタとかヒニンとか、そういう『名称』はもう無いってことにするよ」って「お上」から「お触れ」が出たんだったね。
「解放令」なんて言われている。
それってただの「一枚の紙切れ」だったわけで、中身は何も無かったんだ。
「」の側は勿論、大歓迎。
蛙の爺さんち(今はもう無くなっちゃった)にも「明治天皇の肖像」が掲げられてあったなぁ。
そういう話はたくさん聞いたが、一体、誰がそれを配ったんだろうか。
かなり全国的にあった話のようだから、「融和団体」だったのかも知れないね。
「外」の受け止め方は、「解放令反対一揆」に見られるように、「断じて容認せず」ということだったみたい。
「水国闘争」とか、色々、不幸な「事件」もあった。
「高松結婚差別事件」なんかだと、裁判所がおおっぴらに「差別」を容認するってこともあった。
さすがにこれは「大闘争」になった。
全体、民衆の側には「差別」は「当然のこと」として「残る」ことになったようだし、権力の側でも「社会の安定装置」として「非公式」にではあるだろうけれど、意識的に残されていった。
それはどんな風だったろうか。
蛙のブログではそれは「何もしないことによって」ということを言ってきた。
「明治」初年から「特措法」までの百年間、近代国家としてしなければならない「インフラ」整備が順調に実施されていくのだけれど、常に「」は放置されてきた。
道路にしろ橋にしろ住宅建設にしろ、ありとあらゆる面で「ほうったらかし」だったわけだ。
極端な例だと、河川の堤防などで、のところだけは整備されず、「遊水地」とされてきたってこともある。
「明治」以前、それなりに「」の側には「生業」はあった。
まず第一は「下級・司法警察」の役務。
また、「皮革」にかかわる産業。
その外、雑多な「工芸品」の生産。
これらは「専業権」としてあったものだが、「解放令」以降、全てのものが取り上げられていく。
先日、丸亀で「全国女性集会」があって、ウチからも二人が参加をしているけれど、その折に配られた「うちわ」がある。
「うちわ」って丸亀が「全国のシェア」Topだったと思うけれど、これは「竹細工」なんだね。
娘と話してたんだけど、きっともともとは「産業」だったんではないか、「全国シェア」Topなんてとても「」だけでは支えきれるものじゃないだろう、きっと「大きな資本」が「産業」を潰すことになったに違いない。
想像だけで言うのもなんだけど、ついでに言えば、「皮革」にしろ「食肉産業」にしろ、「」の側も頑張っているところはあるけれど、全般的には「大資本」の側に「奪われた」ものは多いんだろう。
早い話、例えば「焼肉」、ちょっとも早くはないかなぁ、もともと「ホルモン」なんてムラの人間にとっては「安くておいしい」ものだったのだけれど、今じゃえらく値の張る「たべもん」になってしまったよ。
ツレアイの父ちゃんは「土建屋」やってるけど、或る時、業者仲間内で「今度、うまい店を見つけたから行こうや」って誘われたことがあったって言うんだね。
で、どこに行くのかと思えば「焼肉屋」。
皆は「うまい、うまいッ!」ちゅうて喜んで食べてるわけだけど、父ちゃんにしてみたら、それって子どもん頃から食べてきたもんだから、さして「旨い」とも思わなかったんだけど、仕方が無いから「調子をあわせて」いたんだそうだ。
角岡君の本でもそうだったか、「は旨いもんを隠しておる」なんて言われたりする。
ウチのムラだったら、「フカの煮こごり」なんてのは、ちょっとヨソにはない一品だけど、蛙ンチに遊びに来てくれた人には食べてもらえる。但し、これは「11月から3月限定」の「たべもん」だ。
えらく脱線したけれど、「」と「一般地区」との境界は、これまで、深くて広い「溝」があったのだけれど、今は急速に埋められてきているように蛙には思われるのだね。
(つづく)