ちょっと前の話題ですが・・・7日夜、NHK「その時歴史が動いた」で、今年の大河ドラマ「天地人」の主人公の直江兼続が取り上げられていました。
これから1年間大河ドラマで取り上げる中の一番のクライマックスである関が原の戦いを「その時」として45分の番組にしたのだが、一応兼続のことを勉強した者にとってはとても物足りなかった。
「直江状」の挑発に乗った(ふりをした?)家康軍は、景勝軍が待つ会津へ兵を向けたが、兼続の盟友である三成軍が上方で挙兵するのが早すぎて、三成軍が動くのを待っていた家康軍はすぐに引き返した。
兼続は、それを追って挟み撃ちにしようと景勝に進言したが、景勝は、生涯唯一?兼続の言葉に逆らい追わなかった。
もし、ここで追って挟み撃ちにしていたら天下は変わっていたかも?
家康は、上杉の「義」を信じて背後からは決して追ってはこないと読んでいたのかもしれない。
兼続の誤算は、家康軍を交戦するくらい自陣に引きこんでから石田軍と挟み撃ちにするつもりが、今と違って通信連絡の手段がないため、早めに石田軍が動いてしまったこと。
そして、予定が狂い早めに引き返した徳川軍を追って挟み撃ちにしようとした進言を上杉景勝が受け入れなかったこと。
兼続にしてみれば、たとえ会津を捨てても天下を取れば良いと考えたのだが、景勝は領民のこと、謙信の教えなどから兼続に反対した。
景勝よりも兼続の方が大局を見ることができたのか、主従が逆だったら天下の情勢は大きく変わっていたことだろう。
どちらが正しかったのかは判断の分かれるところだが、この辺のところを番組で詰めてもらいたかったのに全く触れずじまい。
せっかくスタジオに火坂雅志氏をゲストに呼んでいたのに残念でした。
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最後に、家康に山形に移封され120万石から40万石に石高を減らされ財政難になった時にでも
「人こそ組織の財産」といってリストラをせずに自ら質素な暮らしをして国づくりに取り組んだという火坂さんの言葉をどこかの総理大臣や国会議員、お役人に聞かせてやりたいと思った。
今の時代にぴったりじゃないか。
次の総理は兼続だ!