hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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勝山城下町  2014.07.25

2014年07月29日 20時31分59秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  勝山城下町   岡山県真庭市勝山319(勝山文化センター)

 勝山は三浦藩2万3千石の城下町。古代から出雲街道がとおり、江戸時代には諸大名の参勤交代の道として宿駅が整備され旅人の往来も盛んになり、美作西部の政治、経済、文化の中心地となったところで、一度は行きたいな~と思っていたところです。文化センターに車を止めて城下町を散歩です。向こうに見えるのは鳴戸橋です。

 「桧舞台」と書かれた、この通りの両側にひのきの木組みが作られていて、ウッドストリートと名付けられ、趣の違った通です。ここを通らず「町並み保存地区」へ

 この石階段を上がっていくと「武家屋敷地区」に行きます。

 明徳寺の創建は元禄16年(1703)、永源寺(滋賀県東近江市)の開祖円応正燈国師の生誕地に記念寺として開いたのが始まりと伝えられています。当初は高田城の城内にありましたが宝暦元年(1751)、勝山藩が立藩し新たに陣屋を設けると現在地に移されました。

 境内の「白菊塚」は文化11年(1814)に勝山の俳人松毬庵里翠が建立したもので松尾芭蕉の句「 しらきくの目にたてて見る 塵もなし はせを 」が刻み込まれています。「白菊塚」は真庭市指定文化財に指定されています。

 この先には、勝山武家屋敷館が、三浦藩上級武士「渡辺氏」に関係する武具等を展示する上級武家の屋敷。武家の暮らしが分かる展示室も設置されている。この武家屋敷は昔のままの姿を残している唯一の上級武士の家屋で(別名渡辺邸ともいう)、渡辺氏は家老格の名門で百六十石でした。

 この勝山には、武家屋敷や商家を残す旭川の澄んだ流れに白壁が映える真庭市勝山の町並みは、勝山藩23000石の城下町として、今もその風情を色濃く残しています。

 出雲街道の宿場町として栄えた勝山。白壁や格子窓の商家や民家、なまこ壁の土蔵といった伝統的な建造物が並び、城下町のたたずまいを残す古い町並みですね。

 この通には、保存地区内の家々の軒先には色とりどりの草木染めの「のれん」が掛り,訪れる人々を優しく迎えています。

 町並保存地区のお店ということで「のれん」が、勝山土産に美味しい地酒「御前酒造元」です。

 「神橋」を渡り旭川を覗いて見ると、待望を狙って鮎の友釣りをしているのかな?

 旭川に架かる中橋(歩道)専用から望む勝山町並み保存地区と高瀬舟発着場跡付近でここは、かつて高瀬舟の最上流の船着き場であったようで、昔、産物の輸送は、すべて川を利用しており勝山より岡山まで地方の産物を積み、勝山への帰りは、塩・日用雑貨品を積んで運んでいた。旭川では勝山が最上流の船着場で、中世から近世にかけての繁栄を支えていました。

 高瀬舟船場跡の石碑、岡山県北部に位置する山あいの町・勝山は、三浦藩2万3千石の城下町として、出雲街道の宿場町として栄えた町でした。また、室町時代末期には旭川の水運が開かれ、高瀬舟の北の発着点として年貢米や林産物などの集積地として賑わいました。

 大手道の東側には下級武士の屋敷町が広がっていました。茶の木で区画された狭い屋敷に住んでいたと言われています。

 大手道の突き当たりには、「玉雲大権現」など多くの寺院が建ち並び、旭川沿いに連なる家々は現在でも古い町並みと、武家屋敷あるいは寺院の配置等に城下町2百数十年の歴史が感じられます。
 次回をお楽しみに  では またね



















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