所在地 源頼政の墓 京都府宇治市宇治連華116
平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗寺門派聖護院末で、承応3年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。
境内に建つ春日型石灯篭は、鎌倉時代初期のもので、石灯篭は灯火器を仏教の伝来について発展させた我が国独自の灯明器で春日形は藤原家氏神として繁栄した春日神社参道に寄贈された一連のものです。
ここ不動堂は、最勝院の本堂で、本尊不動明王像を祀っています。
平等院の中に、なかなか気づきませんが「頼政の墓地」があります。鳳凰堂の右後方にある最勝院の本堂である不動堂の左側にそれはあります。
治承4年(1180)4月、源頼政は後白河天皇の皇子以仁王から打倒平家の令旨をうけ、5月挙兵したが、平知盛の平家軍2万に破れ、以仁王・頼政の長男仲綱らが討死、頼政は平等院で自害した。現在、頼政公の墓が、この地にあります。毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれています。 辞世の和歌 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果 てぞ 悲しかりける。」
門の内側から鳳凰堂は前面にある阿字池付近が望めます。人でも多いようですね。
次回をお楽しみに では またね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます