明石の名前の由来伝説 2015.01.05 2015年01月05日 11時26分41秒 | 歴史・遺跡・伝説 所在地 赤石由来伝説 兵庫県明石市松江113 明石の名前の由来の一つに赤石伝説がありますが、松江公園からすぐ東に、小さな川がある所から砂浜に下りる所にあるようですので、松江公園に車を止めて探してみます。 今日は、天気もよく海は凪いで気持ちが良いです。東の向こうには明石海峡大橋が見えます。 西側を見ると、「鹿の瀬」方面には海苔を採取る時期ですので、船が出て長閑な風景です。松江の海岸から15mほど行った海の中に長さ1,2m、幅1,5mの大きな赤い石があったと言われています。名漁場「鹿の瀬」の由来も赤石伝説からきているようです。 林崎松江海岸の遊歩道の東屋に石碑が、松江の海岸から15mほど行った海の中に長さ1,2m、幅1,5mの大きな赤い石があったと言われています明石の民話は「おささ」と言う雌鹿が主人公です。かの太閤殿下豊臣秀吉も見に来たと言われる赤石で、昔はこの石を見る為にたくさんの人が訪れたそうです 昔明石の林崎に「おささ」と言う雌鹿が住んでいました。おささは小豆島に住む雄鹿と夫婦として海を渡って通い合い、仲むつまじく暮らしていました。ある日漁師が船を出し夢中で漁をしていた所、その時美しい一人の娘が現れ「私を林崎まで乗せてください」と頼んできた。その美しい姿に怪しさを覚え一度は断ったが結局乗せて嵐のなか必死の思いで林崎まで辿り付いた時、漁師が振り返るとそこにいた筈の娘はおらず、一匹の白い鹿がいた。漁師は驚き、うろたえ持っていた小刀で鹿を刺し海に流した。すると青い海は真っ赤に染り、その日から嵐はおさまらず、ずっと続きました。 しかし「白い鹿は赤石となって怨んでおるぞ早く弔ってやれ」と神のお告げがあり、その翌朝、漁師は鹿の冥福を祈るため「雌鹿の松」と名づけた小さな松を宝蔵寺に植えました。すると嵐はピタリとやんだようです。この松は昭和20年の空襲で焼けてしまい、現在は二代目が宝蔵寺に残っています。ここがその宝蔵寺です。 次回をお楽しみに では またね #国内旅行 « 楠木正成公を祀る湊川神社へ... | トップ | 次の記事へ »
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