治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

美しい国だから 瀬戸内海への旅行ご報告その3

2021-07-06 11:18:15 | 日記
三日目。起きたらお天気はよかった、けどだんだん霧が出てきました。
朝ごはんを食べ(豪華だった)ゆっくりと露天風呂につかりました。
チェックアウトの11時までホテルを堪能し、港に送ってもらいます。
この頃にはすっかりお天気になっていました。

観光案内所に荷物を預け、自転車を借ります。
そして小さな半島を一つ制覇することにしました。
きれいな海沿いを走ります。



途中千年オリーブというのがあったので寄ってみました。
樹齢千年のオリーブだそうです。ここで自生していたわけではなく、スペインから移植したそうです。写真を見ると、運ばれてきたときには巨大な流木みたいな感じ。それが小豆島に根を張り、葉を茂らせています。春には花が咲き、秋には実が生るそうです。



この木の植樹祭が2011年3月15日だったそうです。
昭和天皇の行幸50周年行事だったそうです。
東日本では我々が呆然としていた時期。
そのころここでは神主さんを呼んで植樹祭が行われ、島の人たちの祈りがささげられたのでしょう。

本当に日本はどこに行っても美しいなと思いました。
港に戻ると、ちょうど船が出たところでした。次の船は一時間半後。
私たちは付近をちょっと散策し、昨日のレストランに入りました(土曜日だけどやはり他にやっていなかった)。
ちなみに平日は強烈なごま油のにおいがする港ですが(近くに工場がある)週末はおやすみのようでした。観光案内所でオリーブオイルと一緒にごま油も買いました。

帰りの船で高松へ。
今日はオレオレ詐欺の大音量はなし。休日は放送も休みでしょうか。

高松では去年の10月に講演を行った玉藻公園へ。
考えてみればあそこは松だらけです。そして今、松は大事。
先日、県境二つ越えてサイクリングに行ったときも、左手に清涼な気配を感じてみたら松が生えていました。



玉藻公園は、10月と様子が違っていました。
まず細かいことですが、入園料が50円アップ。GoToやっていたときには結構いた人もほとんどいないので、値上げしたのかもしれません。
それから感染の少ない土地なりに冬は増えたのでしょう。そして増えると方向転換をせず「盛る」しかできないのがこの国の行政です。入り口で以前はなかった検温がありました。

10月にはやっていた鯛のえさやりも中止。10月にはお濠で試乗体験ができたお舟はブルーシートをかけられつながれていました。
言っておきますが7月の土曜日です。
10月はやっていたGoToのおかげで、全国からうどんファンとかが集っていた高松。
あれ以降飛沫が、飲食がさんざん悪者にされ、そういう雰囲気ではなくなったのでしょう。

入ってみると松・松・松。
清涼な空気が流れていました。
私はあのとき披雲閣の縁側で感じた清涼な風を思い出しました。あれは松の間を通ってきた風だったんだな。

ひとしきり歩いてノーマスクで出ていく私に入り口の小さなおばあさんが「ありがとうございました」と声をかけてくれました。

さてそれから。

うどんでも食べて居酒屋が開くのを待とうと思ったのですが
高松駅の目の前にある大きなビルに入ると、食べ物やさんがマーボー豆腐屋さんとフレッシュネスバーガーしかやっていませんでした。他は全部休業です。
もう一度言います。7月の晴れた土曜日です。

私たちは仕方なくフレッシュネスバーガーで一息つきました。
10人ほどの女子会が行われていました。バーガーやさんで女子会も変な話ですが、他に開いていないので仕方ありません。

沖縄の国際通りとかも半分閉まっている、とかききますが、あっちは緊急事態宣言中。
半分しか閉まっていないとしたら、やはり沖縄は底力あるのですね。ここは十分の九閉まっています。
宣言もマンボウもない街でこの寂れ方。
日本はどうなるのだろうと思いました。

五時になり居酒屋が開き(これも私たちが近所で開いているのを見つけられたのは一軒だけ)
手短にですが瀬戸内の幸を楽しむことができました。
そしてバスに乗り、空港へ。ゲートでは若者たちがかわき物とビールで「ゲート飲み」をしています。
きっと食べ損ねたのだと思います。何しろ店がやっていないのですから。

帰りの便はあっという間に羽田へ。
行きは時間がかかっただけに「こんなに近かったのか高松」という感じです。

帰ったら接種券が届いていました。
とりあえずファイル。不活化ワクチンの開発待ちかな。
ワクチンパスポートなるものも行方をまだみないと判断できない。
とりあえず見て回った日本は、ワクチン打たない人の行動を制限できるほどの余裕は残されていません。

それにしてもどこに行っても美しい国土、そして親切な人々。整ったインフラ。
陰謀論など信じないけど、この国が買いたたけるなら乗っ取りたい人はいるでしょう。
かつてイタリア半島に住んでいたのはローマ人。今はイタリア人。
千年後の日本に住んでいるのは誰だろう?
さざなみの疫病の前に恐怖感の津波を起こしていては、やがて日本に住んでいるのは日本人でなくなり
日本人が作ったさまざまな遺物はフォロロマーノみたいに観光名所になるかもしれません。「かつて日本人という人々がこの列島に住んでいた」と。

コロナ前から始まるこの国の生産性の低さ。
私からみるとそれは、公共部門や規制産業に人を取られすぎているから。
もっと自由な民間人が自由な経済活動を起こさないといけない。
明らかに私の活動の中には「民間人としてやっていけるメンタリティを育てる」という意味合いが含まれています。

都会は選択肢が多いけど、美しい故郷を離れたくない人も多いはず。
その人たちが地元に残って働ける産業として、第一次産業と第三次産業はとても大事なはず。
それを今潰そうとしているのです。医療と政治が。

永江一石氏とか三浦瑠麗氏とか、この一年私が情報源として活用していた人々が、次々に「この事態を終わらせるために」接種を選んでいます。

でもこの事態を作ったのは医療の不手際です。
世界一、と胸を張っていた医療が数十倍もの感染に襲われた他の国よりダメだった。
そして自分たちはなんの努力もせず国民に負担を強いてきた。
まっさきに注射を独占し、かといって病床は増やさない。
そして接種後の副反応に対する治療は国民負担。

このような状況で接種を選べる永江氏や三浦氏はやはりメジャーな人たちなんだなと思います。
私はもっとマイナーな存在なので、そして自分の中ではとっくに収束しているので、社会的収束なんぞのために副反応を耐えるのは一時間だっていやです。
打ちさえしなければ仕事ができた一日、泳げた一日、自転車に乗れた一日だったのかもしれないのに。
なぜその貴重な一日を医療の不手際のつけを払うのに使わなければいけないのか。
どうしても打てというのなら不活化を待ちますけど。もっともインフルエンザも打ったこともかかったこともないですけどね。医療にどや顔でバカにされる養生の数々が私を守っていますから。

ともかく、高松には去年10月にGoToやっているときに行って、今回行って。
その差異が激しすぎた。
日本人の99.96パーセントがかすってもいないこの病気が、これほどの犠牲を強いるもんですかね?
心から不思議です。
新型コロナの何がそんなに怖いの?
本当に、どこが怖いの?

閉じている店も、今は補助金とか降りているのかもしれない。
でも大事なのは将来の雇用です。
飲食や観光は地方に雇用を生んでいるのです。非公共部門で。
それをめためたにしてまで予防しなきゃいけない病気ですかね?
もし指定感染症の関係で病院が発生を恐れているとすれば
その俺ルールに我々を巻き込まないでほしいと思います。
医療従事者だけ勝手にコロナ禍をやっていればいい。

また10月に講演で高松に行きます。
そのときにはもっとにぎやかになっていますように。
その切り札が「ワクチン」だとは思いませんけど。
国民が冷静にデータを見つめ「怖くない」ことを悟ることだと思いますけど。
エビデンスガ―とか言っていた人たちが、めったにかからない病気におびえている姿は本当に滑稽です。



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