治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

人類愛と保身

2017-04-05 15:15:11 | 日記



今、大事な荷物を待っています。
ということでこの時間を、豆柿さんのコメントへのお返事に充てることにしました。
一つの理由は、誤解・誤学習を解きたいからです。
もう一つ、先日あることがあって、全国でたくさんの凸凹キッズが周囲に真剣勝負されていないんだなあと感じたからです。
そしてちゅん平さんが立ち直る途上、ときには叱咤に受け取られかねないレベルまで、私がつまびらかに色々なことを説明したことを思い出しました。
これまで私は色々な人の誤学習や、私に対する誤解を解こうとしてきました。
中には空しい試みもありました。つまり、別に誤解を解いたところでうまくいかない人間関係というのはある。猿烏賊とか。
でも豆柿さんは明らかに浅見から何かを学ぼうとしているみたいなので、誤学習と誤解はできるだけ解いておきたいと思いました。
先日のコメントを細かくみてレスしていきます。

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豆柿1

子供の資質と親の資質 (豆柿)
2017-04-03 20:12:00
数日前、母親に、私は自分の基底に欠損があるんだ、無意識に母に合わせて来たんだと言う話をしました。
話をしているうちに分かったのは、うちの母は、浅見さんと価値観が大きく違うんじゃないかということでした。

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お会いしたことないけど、そうだと思います。会に入れること、そして今も継続していること(私の知っている範囲ではやめている人もいます)明らかに価値観が違うでしょう。

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豆柿2

人と上手くやろうとしないと仕事が出来ないと言われました。母もそうしていると言われました。それに反論すると、なんで人と上手くやろうと思っちゃいけないの、職場の人と上手くやりたいもん。あんたに仕事が上手くいかなくなって仕事なんか辞めればいいと言っていればいいの、と言われました。浅見さんとは大違いだと思いました。

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私の「うまくやろうとは思わない」はレベルが違う話なんですね。
職場での人間関係とは全然レベルの違う話。
そこを誤解されると、豆柿さんが社会での立ち居振る舞いを間違えるのではないかと思い、一応ご指摘しておきます。

先日、ある会報を読んでいたら岩永先生の話が出てきました。
そこの会では岩永先生の講演会を企画し「自閉症児の脳を育てる」という副題を使ってほしいといったそうです。
そうしたら岩永先生の方から「その題だと脳科学者方面からあれこれ言われるので・・・」と辞退され、その代わりに無難な(つまり味気のない)副題になったということでした。

相変わらずのちきんっぷりだな、と思いました。それにうそつき。
脳科学者云々はうそ。感覚統合ごときに興味を持ち、感覚統合では脳は育たない!なんて抗議してくる脳科学者がいたとしたらよほど仕事にあぶれた三流脳科学者です。岩永氏が気にしたのはそうした架空の脳科学者ではなく、ギョーカイの反応。ただ相手もギョーカイとつながりのある人たちなので、はっきりそう言えずに架空の脳科学者に責任をかぶせただけの話。本当はギョーカイ内で他の療育の人たちと事を荒立てたくない。脳が育ってはとんでもない。治さないで専門家面するという利権がなくなる。だからその言葉を控えただけです。

その点栗本さんなんかもとからいかがわしくて、アカデミックとは縁がなくて、失うものがないからね。「感覚統合で脳が育つ」なんて言わないけど「動きが中枢神経を育てる。それは基礎的な生理学的知識で説明のつくこと」っていうことは、新刊で明らかにしてくれていますよ。「なんだそれが基礎的な生理学なら身体アプローチ効果あって当然じゃん」ってみんないい意味で拍子抜けすると思いますよ。

じゃあ岩永先生はここで何を守っているか?
自分を守っているんですね。内輪もめを起こして余分な火の粉が降りかからないように。
そしてその結果、なんとか「自閉症児の脳が育ってほしい」と願う親たちの多さを知っている主催者の意向は無視。親たちの希望にも答えない。療育するなら結果を出せよという国の願いにも答えない。博愛より保身(ギョーカイ内での)を優先なさったわけですね。

私が「人と仲良くしない」っていうのは「やたらつんけんする」っていう意味じゃないんです。こういう場面で博愛を優先させるということなんです。
一緒に仕事をする人とうまくやれたほうがいいのは当たり前。
ただそれが博愛精神を邪魔するときには、私は内輪より人類を選ぶということなのです。

私がギョーカイと一緒に「一生治らないから理解ガー」をやっていればギョーカイ内では友だちができるでしょう。
でもだったら「本当は治りたい」という人たちはどうするの?
お金かけて早期診断早期介入する以上障害程度が薄くなったりなくなったりしてほしいという社会の意向はどうするの?
っていうことです。
そこを誤解してほしくないんですね。

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豆柿3

学校や職場で人と話が出来ないのは普通じゃない、そんなこと普通だなんて聞いたことないと言われました。学校や職場で話しかけられたら、私は話が出来ないので話しかけないでくださいと配慮してもらわないといけないそうです。


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ここはちょっと、わからないです。お母さまのお仕事が何か知りませんが、地域でうまくやれることがサバイバル術である仕事も確かにあるんです。私の仕事はそうじゃないんですよ。それが、田んぼでお米を作っているか山でイノシシ追いかけているかの違いなんじゃないでしょうかね。

だからね「遺伝子的に無理」って言ってもらったときほっとしたのはこういうことなんです。
決まり文句集団は、私から見るとばかげて見える。でも私が私のやり方でサバイバルしているように、あっちはあっちで決まり文句を交わしあう理由があるんだとわかったということです。お互い、まじりあわないでいいんだ、ってわかったからほっとしたんですね。

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豆柿4

嫌だ、対峙したくなんかないとも言われました。私は穏やかに暮らしたいんだ、あんたと買い物とか行ったらこれいいねとか言いながら楽しく喋りながら買い物したいし、散歩に行ったら花が綺麗だねと喋りながら散歩したいと言われました。

自分で進学する学校も、親がここはどうと言ったところじゃない学校に入学したんだから、自分の意思があると言われました。

「友だち入門」の中で浅見さんが、浅見さんはガールズトークが嫌いだけど、浅見さんのお母様はガールズトークが好きで、けれども浅見さんは親の言うことを聞こうと思わなかったと言われたのを受けて、愛甲さんが、それじゃあ、お母様は大変でしたでしょうね。と言って見えたり、浅見さんが決まり文句で会話が成り立つ人が理解出来ないのと同じくらい、決まり文句で会話が成り立つ人は、浅見さんが理解出来ないと言って見えましたが
そういうこともあって、私の母も私を理解出来ないのだろうか。そして、私が母の言っていることが理解出来ないのも、それくらいの差があるからなのだろうかと、少し思いました。


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お母さまはよほど「普通の会話」が好きで、それができるようになることこそ「治ること」というrigidな感覚を持っているんでしょうね。これは愛甲さんとかと大いに違います。お母さまがそう信じ続けたことは、お母さまにも豆柿さんにもつらいことだったでしょうね。

私はたしかに母の思い描くような理想の娘ではなかったと思いますが、あまりに違うゆえに、かなり小さい時から「これは違う生き物だ」と腹をくくって育てられたと思います。

私が選ぶ道を、親はすべて理解していたとは言い難いですが、大事なのは結果なんです。
結果的に私は今、仕事にも家庭にも恵まれて幸せに生きています。
そして自分が思い描いた理想像じゃなくても、結果的に幸せになると喜んでくれる。それが親のありがたいところなんです。私はそう思っています。

親に逆らい、親が理想としなかった道を選んで幸せになる。
これが親孝行であり、リベンジなんです。
なぜかというと、自分の世界観も狭かったことを親は学んで世代交代していくことができるからです。
逆らい、そして幸せになる。
そうやって親が死ぬ前に世界を広げてあげられるんです。

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豆柿5

以前、母が「愛着障害は治りますか」を読んで、浅見さんの言っていることは、愛着障害じゃなくて発達障害じゃないか、と言ったとコメントしたことがありましたが、
あれはそもそも、私が母に、私に愛着障害があるのは母が関係していると思うと言ったら、母がなんでそう思うか理由を示せというので、それで母が愛着障害は治りますかを読んだからなんですが、最近はそれが私の愛着障害の理由なのか分からなくなってきました。
母親と愛着関係を深めようとするのは諦めて、他に愛着のヌケを埋めてくれる人を探した方がいいのかと少し思ってしまいました。
母にも私じゃない人を探してくれと言われました。


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愛甲さんが書いておられるように
「愛着障害は、誰のせいでもない」のです。
それでも豆柿さんは今、親の殻を破ろうとしている。それは正常な成長です。一方で親御さんは、防衛的になっているかもしれない。そこで言葉がすれ違っても仕方がないことです。
豆柿さんとお母さんはすごく違う。その違いを認めあって、それぞれないものねだりをやめて、そして豆柿さんが安心できる状態になったときには、豆柿さんとお母さまにふさわしいかたちで愛着関係が深まっていると思いますよ。


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5 コメント

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ふうりさんへ (浅見淳子)
2017-04-13 12:08:15
ふうりんさん、いつもありがとうございます。
実行力。
大事ですね。大事なご指摘ですね。
それもまた、身体ですよね、きっと。
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凡人とギョーカイ (豆柿)
2017-04-11 14:01:55
浅見さんは私の母のことを凡人と言われましたが、浅見さんは、ギョーカイも凡人と思われているのでしょうか。

ギョーカイが自分の身を守る為に自閉っ子を治さなかったり、自閉っ子がそれに気付けずに支援者の考えを元に、自分の考えを持ったり、支援者の扱いやすい子になっていったりしても、社会で上手くやっていく為には、身内の論理を優先させても致し方ないと思ってみえるのでしょうか。
また、他のギョーカイがそれに似たようなことをやっていても、致し方ないと思ってみえるのでしょうか。
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同じようで違う (ふうりん)
2017-04-11 10:56:12
このブログを楽しみにしている人なら浅見さんと考えが一緒なのはうれしいと思うだろうけど、行動力に歴然とした差があるのに同じとするのは甘い。能力とか環境とかの個人差を無視して現実とかけ離れると危うい。現実とかけ離れたら現実社会に居場所は見つからなそう。それでは困るので浅見さんや他の著者がしていて自分がしていないことは何か行動の違いから考えるようにしている。迷惑行為の共通点は現実離れしているところだと思うから予防の意味もあって。せっかくいい本を出してもらっても役立てられなかったらもったいない。

何をしてきたかと現実はつながっている。自分の行動を変えることでしか現実を変えられない。心理的に親しみを感じている人には共通点を探してしまうものなのかもしれないけど、一緒だという安堵感から一歩出て、客観的に見て気づいた相手との違いから学ぶことは自分の現実を見つめることになると思う。現実に根ざしていると安定する。安定が先で現実を見ることができるようになる場合もある気がする。それはどうすればいいのか私はよくわかってない。新刊にヒントがあるだろう。
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病理 (浅見淳子)
2017-04-10 05:32:49
豆柿さん

お母様は極悪人ではなく、凡人なんです。社会を犠牲にして身内の論理を優先させる村根性は日本人の病理なんです。私は変人なんですよ。そして変人を目指した方が健康な人までも凡人に矯正されてるのがギョーカイのSSTなんですね。
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Unknown (豆柿)
2017-04-09 15:44:13
記事にして頂いてありがとうございます。

「人と仲良くしない」っていうのは「やたらつんけんする」っていう意味じゃない、ということは理解しています。

記事の中の、
私がギョーカイと一緒に「一生治らないから理解ガー」をやっていればギョーカイ内では友だちができるでしょう。
でもだったら「本当は治りたい」という人たちはどうするの?
お金かけて早期診断早期介入する以上障害程度が薄くなったりなくなったりしてほしいという社会の意向はどうするの?
っていうことです。
そこを誤解してほしくないんですね。
というのを読んで、
母は人相手の仕事をしているのですが、以前、母が話をしていて、自覚なく、職場で発達障害ギョーカイみたいに、自分たち(仕事をしている側)の立場を守るためにやっていることが、社会のためにならない方面に向いていることが分かって、怒ったことを思い出しました。

浅見さんがこの記事の次の記事で「いわゆる療育の世界では、よほど定型社会への適応という名の矯正が当たり前に受け止められているんだと思います」とおっしゃっていますが、ギョーカイがどうかは分かりませんが、我が家の場合は元々、母自身がギョーカイとは関係なく、そういう考え方の人なんだと思います。
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