治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

なぜ学校だけ3月31日までマスク強制なのかと特別支援教育

2023-03-15 08:25:02 | 日記
国会議員の爺さんズは、(たぶん)国民への啓発も込めてマスクを外したというのに学校の児童生徒のマスク強制は今月いっぱい続くそうです。
実はなぜ学校だけが3月31日まで~というのは今後の特別支援教育、っていうか今後発達でこぼこのお子達(と保護者)が学校とどう付き合うかに関係してくると思われるので今の時点で思うことを書いておきますね。

私は2020年春の緊急事態宣言明けから、子どもたちがマスクさせられることに心を痛めていたけれど、続かないと思っていました。
それはどう考えても十全に空気を吸って勉強した方が効率がいいので、現場から「他の手段を講じても外させよう」という声が上がってくると信じていたからです。
でも一向にそういう声は上がらず、だんだんわかっていったのは、公務員とか教員というのは上意下達のがんじがらめであり、創意工夫やアイデア提案などはしない人たちで、そして恐怖感に駆られやすい人たちだということでした。

そこで思い出したのは「合理的配慮のむなしさ」でした。
子どもの口と鼻から布切れ一枚取れない教師たちに特別な事情のある子への合理的配慮などしょせん無理な話だったのです。
だから「子どもの口と鼻から布切れ一枚取れない勇気のない大人の中にいる以上、学校での合理的配慮はあきらめよう」というのが発達特性を抱えた人の大原則にならざるをえないだろう、と思っていました。

そもそも最初の頃子どもはかからなかった。
かかるようになってからも、かかることがこの先長く生きる子ども達にとって悪い事なのかどうか検討すらされなかった。
私がこのコロナ禍を無傷で乗り切ったのは、小さいころから移しうつされてきた無数の風邪のおかげかもしれないのです。

そして長い長い長すぎるコロナ禍のあと、ようやく3月13日から個人の判断のマスク着用が個人の判断となって(何がなんやら)

それでも学校だけは着用を2023年3月31日まで事実上強制とする、ということはどういうことかというと

学校の先生たちが説明をしたくないんでしょうね。
あるいは説明できない。
だから新学期に切り替わるまで、子ども達だけマスクさせる。
なんで今子どもたちだけが実質義務化かというと
教師がコミュ障だからです。

そういえば8月15日は夏休みの真ん中でしたね。
先生たちが説明しなくてもよかった。
今回は3月13日という微妙な日付がとても先生たちには都合が悪かったのではないかな。

なんてことを思いながらオーディブルで「収容所列島」という本をきいていました。
ちょうど発達障害のところに差し掛かった。
教師がちょっと問題のある子に服薬を進めるという発達障害者支援法以来の伝統ね。
それを問題視した記述が続きました。
私は台所掃除しながらそれを聞いていました。
そして思いました。

松島眞一さんが「療育整体」を編み出したのは
そして講座を受けたお母さんたちに肩書がほしいと言われ「療育整体師」という肩書を作り出したのは、
お母さんたちが学校の先生に対抗する術を持つため、というのを、本を読んだ方はご存じでしょう。

ところが精神科医東徹先生のツイートが目に入ると
よくわからないけど医者と薬剤師の間でいろんな駆け引きがあり
処方権とか調剤権とかの言葉が飛び交っています。
それをめぐって医者と薬剤師が争っているかなんかそういう事情があるらしく
そこには教師なんか出る幕がないのです。

そもそも医業は医者しかやっちゃいけないとか、薬機法が~とか、一般教養のない医クラに花風社もよく絡まれるけど
それならば一般の教師はどんな権利があって服薬とか進めるんだろ。

きいてみたらどうですか?

コロナ禍における学校の対応わかったのは

・合理的配慮なんて無理無理。
子どもの呼吸さえ確保する力がないんだから。

なんだけど一方で

・なぜマスクが要らなくなったかの説明さえできないコミュ障ぞろいみたいだから、服薬とかごたごた言われても、言い返せばいいんじゃないの?

っていうこと。
教師相当打たれ弱い。
地域のジジババの「子どもにマスクさせろ」電話にも負けるくらいヘタレ。

だからなんの権限もなく薬とか勧められたら「それって先生どういう権利があって言ってます?」くらいは言い返してもいいと思うよ。


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