さて、来週頭からの「僕は、社会(みんな)の中で生きる。」発送に備え
金曜日は夜遅くまで準備していました。
ついったーを覗くとちゅん平も22時まで勤務だったらしい。
一回講演に出かけると数ヶ月寝込まないと疲労が取れなかったあのちゅん平が連続8時間勤務。
変われば変わるものです。
ご注文に添えられた皆様のメッセージ
一つ一つ読ませていただきました。
「うちも修行している」というお声が多く
これは大地君、喜ぶだろうなと思いましたよ。
不登校を始めた子どもに周囲は積極的に働きかけてはいけないと言う。
最初はそんなものかと思っていたが、このままだと大人になってどうなるんだろうと不安になってきた。
でも段階を踏めば、修行はできる。
今は学校に通えるようになりました、とか
告知にとまどっていたのは親の方で
大地君の本を渡したら「僕と一緒だ」と熱心に読み
今は修行を頑張っています、とか。
うれしいお知らせがたくさんでした。
でもまあ
相変わらず「修行は残酷」と言い張る人たちもいるのでしょう。
言い張るお医者さんも先生たちもいるのでしょう。
それを信じるのは構わないと思いますが
「修行は残酷」とおっしゃる先生方が、将来その子の面倒をみてくれるわけではないことは
よく覚えておいたほうがいいとは思います。
私が「修行は大事だ」と言っている裏には
修行で立ち直った人たちを見てきているからです。
それと、この人たち、現実を受け止める力は
定型発達者以上にあるなあと思っているからです。
それが強みなのに、なぜ活かさない人がいるか不思議なんですよ。
弱いところがあるから修行はかわいそう、って
私から見ると、かえって定型文化の押し付けに見えるんですけど。
告知を保留するのもそうだな。
告知せずに支援級に送ったり。
それでセルフ・エスティームが育つとは思えません。
そして、周囲が障害者であるがゆえに未来を限定的に考えてしまうことも
セルフ・エスティームが育つとは思えません。
大地君も書いています。
「愛されていても、あきらめられちゃったら、僕たちは何に向かって生きればいいですか?」
重い言葉だと思いました。
金曜日は夜遅くまで準備していました。
ついったーを覗くとちゅん平も22時まで勤務だったらしい。
一回講演に出かけると数ヶ月寝込まないと疲労が取れなかったあのちゅん平が連続8時間勤務。
変われば変わるものです。
ご注文に添えられた皆様のメッセージ
一つ一つ読ませていただきました。
「うちも修行している」というお声が多く
これは大地君、喜ぶだろうなと思いましたよ。
不登校を始めた子どもに周囲は積極的に働きかけてはいけないと言う。
最初はそんなものかと思っていたが、このままだと大人になってどうなるんだろうと不安になってきた。
でも段階を踏めば、修行はできる。
今は学校に通えるようになりました、とか
告知にとまどっていたのは親の方で
大地君の本を渡したら「僕と一緒だ」と熱心に読み
今は修行を頑張っています、とか。
うれしいお知らせがたくさんでした。
でもまあ
相変わらず「修行は残酷」と言い張る人たちもいるのでしょう。
言い張るお医者さんも先生たちもいるのでしょう。
それを信じるのは構わないと思いますが
「修行は残酷」とおっしゃる先生方が、将来その子の面倒をみてくれるわけではないことは
よく覚えておいたほうがいいとは思います。
私が「修行は大事だ」と言っている裏には
修行で立ち直った人たちを見てきているからです。
それと、この人たち、現実を受け止める力は
定型発達者以上にあるなあと思っているからです。
それが強みなのに、なぜ活かさない人がいるか不思議なんですよ。
弱いところがあるから修行はかわいそう、って
私から見ると、かえって定型文化の押し付けに見えるんですけど。
告知を保留するのもそうだな。
告知せずに支援級に送ったり。
それでセルフ・エスティームが育つとは思えません。
そして、周囲が障害者であるがゆえに未来を限定的に考えてしまうことも
セルフ・エスティームが育つとは思えません。
大地君も書いています。
「愛されていても、あきらめられちゃったら、僕たちは何に向かって生きればいいですか?」
重い言葉だと思いました。
大地君の新刊が届くのを楽しみにしております。
大地君の言葉、ほんとうにそうだと思います。
仕方ない部分と、努力が可能な部分が混在するのは、誰も同じです。
乗り越える前に、とてもつらくて、パニックになりそうになるのは誰も同じです。
息子も今、支援級ですがクラスに大声を出す子がいて、今年の6月から別な教室にいて過ごしています。
そこで少し自由にさせてしまった時期があったようで、やや逸脱した感じが生活にも出るようになってきました。
そのことをそのままにはしないで、先生と連絡を取り合い、厳しくさせるべきところは厳しくお願いしましたら、本人も自分の行為に気づいたようでした。
みんなと同じ教室に戻りなさいと、言い続けています。その中で、大人たちは相談しながら、いろんなアイディアを出しながら、良い方法を探しています。
不登校に登校刺激はしないというのは大人の責任逃れじゃないかと思っています。
もちろん本人の状態もありますが。
発達障害のある子には、言い続けたほうがいいと思うのです。それから学校に通うことが、通い続けるということが、将来働く時の自信につながることも、言い続けたほうがいいと思います。
通常級にいたら刺激しないでとアドバイスされていたかも、と思っています。
家族がそばにいなかったので、私以外だれも怪我をしなかったのが幸いでした。昨日は出かける用事があったので、この突然の出来事を乗り越えて、予定通り行動するのは大変でしたが、何とかすることができました。
今日はガラス屋さんに電話です。ガラス屋さんの知り合いはいないので、知らない人にガラスの状態と見積もりの打ち合わせなどをしなければなりませんでした。これもネットで検索して電話をしらべて、無事打ち合わせをし、修理をしてもらうことができました。
内心どきどきでしたががんばってやり遂げることができたので、私でもできることが増えているなとうれしくなりました。以前なら主人に押し付けていたことですけど、「お前が割ったんだからお前がしろ」といわれてなるほどと思い勇気がでました。
うちの子どもたちも毎日修行です。去年はできなかったこと、以前はできるようになるとはおもわなかったことができるようになる姿を見るのはうれしいです。
大地君の本をお申し込みいただきありがとうございます。きっと役に立てていただけると思います。
本当にこの人たちは、現実を受け止める力は定型発達者以上にあるのに、きちんと教えてあげればいいのになあといつも思います。不登校にしても、学校が登校できる場であるべきことはもちろんですが、行かないことのリスク(将来の)を教えてもらってないで登校を刺激されないというのは、ご本人にアンフェアだと思うのですけれどもね。
またお越しくださいませ。
お怪我が軽くて何よりです。そして見積もりとか発注とか、ニキさんもよくこの苦手さを話してくれます。不思議なところが苦手なんだなあといつも聞いていて思いますが、クリアできてよかったですね!
私も先日栗をむいて画伯にほめられました!
またお越しくださいませ。