治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

違和感のもと

2012-04-22 07:48:35 | 日記
昨日の米欄で「違和感を大切に」みたいなこと書きましたけど
私は次のようなことに違和感を感じてきたんですよね。

まず根本にあるのはこれ。

○二次障害回避原理主義
 二次障害を回避することが人生の目的→挑戦のない人生を子どもに用意している

これが一番の違和感。ここから色々派生するんですが、以下は場面別違和感。

学校場面

○他害を加える子を「障害があるから」と教育しない→やられる子にガマンさせる
○その子なりに学力を伸ばすということに不熱心
○「ニートにしない」等を目標に始まった支援教育のはずなのに実際には「よりわけ」になってしまっている
○知的障害がなくても障害者枠で生きる道しか用意しない(途中での成長→変人枠で生きる、が想定されていない)
○子どもが学校で学ぶ権利さえ担保しない(不登校の事実上の容認・放置)

就労場面

○支援があればできる→コスト無視
○「アインシュタインもエジソンも」と言いながら実際に用意されているのは「大目に見てもらってなんとかお情けで雇ってもらうための方法」ばかり
○就労移行支援と言いながら実際の就労に熱心ではない

触法場面

○被害者への配慮ゼロ
「世間が理解しないからこういうことが起きる」被害者自身が加害を加えたわけではないがそこに思いやることはない。
○「偏見を助長するから」と報道に抑制をかけようとする←一般人の「知る権利」に興味なし
○「障害と犯罪は関係ない」建前を貫き遵法教育に熱心ではない。
○「障害と犯罪は関係ない」と言いながら処罰は差別ととらえる

違ったら教えてね。



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8 コメント

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Unknown (中村まこ)
2012-04-22 08:21:27
>○他害を加える子を「障害があるから」と教育しない→やられる子にガマンさせる

学校だけではなく、建前雇用の支援者と支援会社ではまかりとおっています。

>「大目に見てもらってなんとかお情けで雇ってもらうための方法」ばかり

出来ないことを出来るようにする工夫ややり方の支援は無し



その通りだと思います。
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初めてコメントいたします。 (nonmama)
2012-04-22 09:21:00
いつもブログ拝見しています。
花風社さまの本も読ませてもらっております。

息子は支援級に在籍していますが
学校では「無理をさせないで」という言葉をよく聞きます。
>これが一番の違和感。ここから色々派生するんですが
とてもよくわかります。

高学年にもなって子どもも成長してくると
違和感を覚える保護者も少なくないと思います。
それでは生きていけませんから(笑)
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何も期待しません (ヨキータ)
2012-04-22 12:20:35
いつもブログ楽しみにしています。お相撲の事も含めて。

娘が小学校の支援学級に入学する前に校長に向かって行った言葉は「何も期待しません、集団行動だけ学べればいいです」
今は特別支援学校高等部の生徒ですが就労に向けて実習をします。
自分たちきることは努力してやってきたからだと思います。

知的障害のない発達障害のお子さんについて、少し気になる事を書きます。

今から40年前私がいた私立中学は出席番号順に班が作られ、誰が何かすると班全員が責任を問われるシステムで、今から考えると発達障害の人が同じ班でした。
グループ活動中に叫んで教室を飛び出す。突然居なくなる。不登校になるで、同じ班の人(私も)は常に彼女の行動に振り回されました。今でもはっきり覚えているのは担任から「あなた達が仲間に入れてあげないから学校にこられない」、欠席の時はノートを写して彼女の家に近い子が寄り道して届けていたのに。同じ話しかしないのを毎回聞いていたのに。中学1年には過酷な要求です。結局6年同じ班でしたが疲れはてました。修学旅行の10日間の北海道だけは集合場所から逃走して不参加(京都は途中から来た)で、夜行列車が出た時、お守りをしなくて良かったとみんなでほっとした記憶があります。
受け入れる子ども側の視点は考慮されないのかなと思いました。カミングアウトされてなかったから大変だったのか?カミングアウトされたら違っていたのか?
私の場合、思いやる心よりもどうしたら逃亡しないかの工夫の方を学びとりました。子育てには役立ちましたが。
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就労移行支援でも (浅見淳子)
2012-04-23 07:24:51
まこさん、ようこそ。
就労移行支援でも、やる気のある人のやる気が日の目を見させてもらえない現状があるようですね。
福祉の人は弱者の味方っていうのはわかるけど、障害がある人の中にも前向きな人とそうじゃない人がいて、前向きな人にとってはバカにしたような対応が多いようですね。
また色々教えてくださいね。ここにもまた来てくださいませ。
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親と支援者は求める基準が違う (浅見淳子)
2012-04-23 07:28:50
nonmamaさん、ようこそ。
ブログや本をお読みいただきありがとうございます。
あとで「自閉っ子のための道徳入門」の目次を発表しようと思いますが、そこにも出てきます。支援者が「社会が面倒みるべき」という自分たちの信念のもとに悪気なく「頑張らせてはいけない」と言っても、最終的にその子の人生に責任を負うのは本人であり、次に親なんですよね。
だから親と支援者は求める基準が違って当たり前なんです。
それに気づいて方針転換して、二次障害を治していったケースを今度の本ではご紹介します。お楽しみにお待ちください。
またここにもお越しくださいませ。
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昔は (浅見淳子)
2012-04-23 07:35:09
ヨキータさん、ようこそ。
お読みいただきありがとうございます。
確かに昔は今思えば~という方が普通にまざっていたと思います。私も経験あります。でも幸い、そういう「連帯責任」みたいなので先生に責任を押し付けられることはなかったので、そういう人たちを必要以上に嫌わずにすんだと思います。
発達障害の人を積極的に受け入れている高校で学んだ人から聞いた話だと、生徒側に選択権があり、仲良くなりたい人は仲良くして、遠巻きにしていたい人は遠巻きにしていたという感じだったので、別にトラブルは起きなかったということです。
健常者にも人権がありますから。ただ、ギョーカイの先生方は触法事件に際しても被害者への思いやりを忘れるくらい、健常者の人権には無関心なようですが。
でも共存社会を望むのなら、健常者の人権にも配慮しなくてはいけないし、障害がある仲間にも色々いることも配慮しなくてはいけないと思います。
またお越しくださいませ。
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コメントへのお返事ありがとうございます。 (nonmama)
2012-04-23 09:04:43
いまはそういうことを既に理解して
支援級に入ってくる方も増えているように思います。
私は気づくのに時間がかかってしまったんですが
親子でこれから頑張っていきたいと思います。
新しい本も楽しみにしています。
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時間がかかっても (浅見淳子)
2012-04-24 07:10:01
nonmamaさん、ようこそ。
親と教師は求める基準が違う。でも教師の中にも「社会に送り出す」という視点がぶれない人もいます。そういう人が一人いるだけでお子さんの人生が変わってくると思います。「自閉っ子のための道徳入門」第一部はそういう話です。
時間がかかってもそういう先生が増えればいいなあと思っています。
またお越しくださいませ。
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