治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

支援があれば支援があれば

2017-11-18 09:36:34 | 日記
さて、発狂という言葉はポリコレじゃないんだろうけど一人称に使う分には以下同文で私の発狂ポイントを書きます。
その1を思い出してみましょう。
誰かの主体性が毀損されているとき私は発狂します。
そして先日の大阪の講演で藤家さんの話を聞き
第一次めんどり危機
第二次めんどり危機
に区別できることに気づきました。
第一次めんどり危機は、自閉症支援に特化しているはずの支援組織が、その特化が行き過ぎてしまい、藤家さんの人権無視のレベルまで行ったとき。おそらく人間である前に自閉っ子に見えてしまうのでしょう。その結果部屋探しも一人でさせない。親にも面会を禁じる、というようなまるで罪人扱いにしたときです。


そして第二次めんどり危機は、藤家さんがB型就労で体力もつき働き者としての真価を発揮しだし、それでも支援者が全く仕事をもってこず、藤家さんが自ら職安に乗り込んだ時職安の職員が門前払いしてそれをB型にちくり、B型と職安で藤家さんをB型に閉じ込めようとしたとき。
改めて「30歳からの社会人デビュー」を読み直してみてください。

この二か所の関所を突破しなければ今はありませんでした。
皆さん、よーく覚えておいてください。
支援者の壁を倒していかないと、一般社会には出られない。それが高機能な人をとりまく現状でもあるのです。

私は当日、会場アンケートをしました。
それは皆さんに誤学習に気づいてもらうためでもあります。
「支援があれば生きやすくなる」という誤学習です。
「この中で発達障害者支援センターがあって助かった! という方いますか?」
挙手を募りました。結果はゼロでした。
発達障害者支援法のキモだったはずです。各地に発達障害者支援センターは。
でもとりあえず、「あって助かった」人はいないかとても少ないのです。

後日、知能検査取るだけ取ってもらってそれは助かった、という人がいました。
おそらく発達障害者支援センターの方は、そこまでが仕事だと思っているので、なぜ役立たず呼ばわりされるのかわからないかもしれません。
でもそれは、自業自得でもあります。
「支援があれば生きやすくなる」というプロパガンダを広めたのですから。
それを信じているからこそみんな、「レッテル貼られただけで、あと役立ってくれない」支援者に不満を抱くのです。
「本当は支援があっても生きやすくはなりません」という事実を知れば、支援センターに期待もせず、そして、失望もしないのではないでしょうか。
結局生きやすくなるのに必要なのは、自分で選ぶこと、なのです。
そしてそれは、支援である場合もあれば、支援ではない場合もあるのですから
「支援があれば生きやすくなる」はとくに成人支援の場合、ウソなのです。

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1 コメント

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雑感。 (のんの)
2017-11-22 14:04:31
ネット記事で、最近立ち上がったある支援団体のことを知りました。

高齢化した引きこもりの人がいる家庭への支援を行うとのこと。
ホームページを見てみると、どうも資力のある親御さんに向けた支援をするみたいです。

ホームページを見た感想は、民間団体だからここまでするのだろうけどお金かかるだろうな、がひとつ。

もうひとつは、大抵の親は子供より先に亡くなるので、団体のネーミングに違和感がある、ということでした。
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