治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

コメントへのお返事 教師の嫌われたくない症候群と合理的配慮

2018-02-05 08:58:36 | 日記
さて、コメントへのお返事の続きです。
まずは


自閉っ子通信 11号 合理的配慮と発達保障

にいただいた大久保さんのコメントから。

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自閉っ子通信を読んで思ったこと (大久保 悠)
2018-01-21 20:21:54
子どもは「社会性を身につけよう」と思って学校に行っているわけではなく…
親御さんも社会性を身につけることが一番の目的で送り出しているわけではなく…
勉強すること、学力をつけることが目的だと思います。

ですから、その一番の目的であるきちんと学力が身につくことが達成されれば良いのですから、その子がより良く学べるための配慮や道具は使っても問題ないですし、他の子がとやかく言う話ではないと思います。
先生も、子ども達に「みんなには必要なくても、その子がより良く勉強できるために必要なこと」と説明すれば良い話だと思います。

しかし、実際にそうならないのは、先生側の優先順位が違うからだと思います。
学級経営が優先であり、それにプラスして地方公務員的な社会性、文化が絶妙に混ざり合って、おかしな論理、ルール、正義感を生み出しているように感じます。

学校は勉強する場所ですから、個人がより良く学べる配慮は自然なこと。
しっかり学力をつけ、社会性は学校じゃなくても、むしろそれ以外の場面で身についていく。
しかし、「学校の中で」「私たちがきちんと学ばせなきゃ」と考えている先生がいて、学力を身につけることよりも重視していたとしたら、配慮がない、みんなと一緒を押し付けてしまうのだと思います。

こんな先生は正義のつもりでいるのでしょうが、社会が求めているものとズレています。
社会は多様性を認め、望み、より良く働けるなら配慮や道具を使えば良い。
社会は学級経営のように、右向け右の人材を育ててほしいとは思っていない。
少なくとも私たちの住む社会は、配慮のある平等へと歩んでいますので、未来の社会を作る子ども達を教育する場の大人たちは変わる必要があると思いました。

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本当に、「みんな仲良く」って学級運営上の都合以外、なんのメリットがあるのでしょうか。社会に出たら意見が合わない人なんているのが当たり前なのに。それをとくに公立の場合、たまたま同じ地域に集まっただけの子たちがなんでそんなに仲良くしなきゃいけないんでしょう。まるで江戸時代の武士によル農民支配をまだ引きずっているかのような道徳律です。大事なのは仲良くなることではなく、たとえ嫌いな相手とでもそれなりに距離をとることを覚えること。なのにたまたま同じクラスになった仲間と走れメロスをやらせようとする学校の友だち原理主義にはほんと現役の児童だったころもうんざりしていましたし今もまだ児童生徒が江戸時代の農民のように支配されているらしいのを見るとうんざりします。

そして私はうんざりするだけの社会性があったけど、自閉っ子はそれを真に受けて社会に出ても苦しみます。なぜなら誰とでも仲良くなんてできっこないし、信念を持てば持つほど敵も味方もできるのが普通だから。それを「誰とでも仲良く」と教えられ、そしてそれを守れず、守れない自分に焦燥感を抱き・・・という人たちがネット等でいわゆる成功者の攻撃に回りますね。成功者とは敵味方の多い人たちですから。
大久保さんがおっしゃる地方公務員的な社会性、文化というものと私がいつも言う「学校は地方公務員養成講座である」というのがかぶっているかどうかわかりませんし、地方公務員の方もそれぞれだとは重々承知ですが、私が「地方公務員養成講座」と呼ぶのは「正義や信念より『身近な人たちの顔色』を行動の指針とすべきである」という考え方で、学校の先生は実際それで合理的配慮をずるがる他の児童生徒の顔色をうかがって開くべき資質を摘み取ってるわけです。
そしてそうやって顔色うかがう人たちに「ベテランの女性の先生」が多いのはジェンダーの問題も絡んでいるかもしれないですね、と指摘した記事

ベテランの女性の先生

にふうりんさんからコメントをいただきました。

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合理的配慮はなぜ必要か (ふうりん)
2018-01-23 13:24:13
特別扱いはずるいとうちの子もいじめられました。担任のベテラン女性教師はいじめ首謀児童に泣いて諭したけどやめさせられなかったと辛そうな顔をして言っていました。泣いて見せてやめるぐらいならそんな理由でいじめないはず、嫌いなヤツが特別扱いでも校長が決めたこと、生徒はいじめないというルールを守れと指導してほしいと頼みました。別の学年のときの中堅男性教師で、僕は嫌いとも思わせたくないと言っていたのもいたけど、児童に人気のない先生でした。

学校は手を打ってなかった責任を取らされそうなときの対応は早いです。身の危険に関わるようなことでも配慮を拒まれるなら、合理的配慮がなかった場合に結局学校の不利益になる可能性があることを説明することで攻めてみるといいかもしれません。担任がガチガチなら校長、校長もダメなら教育委員会に。もちろん感覚過敏なら治すのがいいし、本人としても成長しているところで必要最小限にすると取り決めしておく、家庭と学校で連携してやっていくなどで、学校側の抵抗感を減らせます。

娘は春から高校生です。いっぱいいっぱいになって倒れていた子が丈夫に育ってとてもうれしい。発達障害対策としてやっているのは花風社の本を読むことだけなので、浅見さんのおかげです。本当にありがとうございます。何もわからず情報を集めていた頃、ギョーカイ系の本や講演がつまんなくて眠たいのを、障害児の親として自覚がないからとせずに、用はないときっぱり割り切ったのが良かったと思います。

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人間好き嫌いがあるのが当たり前です。それは自然な感情。だけど学級という場ではとりあえずみんなで勉強するという目的があり、その目的のために嫌いな人とも距離をとり、トラブルを起こさない。人は人自分は自分、を教えるのが大人の役目だと思うのですが。そのときに法律を上手に使ってくださいね、ということを自閉っ子通信には書きました。どうぞ皆さんご活用ください。

娘さん春から高校生、おめでとうございます。ギョーカイ系の勉強会が眠かったのは不必要だったからですね。ふうりんさんの身体が賢かったですね。

ともかく学校の先生が「嫌われたくない」という気持ちが強すぎて、社会人として体をなしていないのが困りますね。つまり彼らの説く「誰とでも仲良く」は社会人として機能しない社会人を育てるんです。

そもそも学校は勉強を教えるところです。なぜそのための配慮ができなくて、頼んでもいない仲間作りなんかに精を出すんでしょうか?

そういう疑問を持ったら「愛着障害は治りますか?」を読んでみてくださいね。
支援者の愛着障害は大問題なんです。





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