さて、リア充の千秋楽のあと、月曜日は原稿仕事。
火曜日は朝早くから遠くへ取材に行きました。真夏日。
80人の子どもたち。
みんな頑張るのが好き。競争が好き。
これがもともとの人間の姿なんだろうなあと思いました。
だって人間ももともと厳しい自然の中を生き抜いてきた。頑張るのが好きで競争を恐れなかったから生き抜いてきたはずなんです。
それをどの時点で、頑張ることに疲れるのだろう。そして競争を恐れるようになるのだろう。
頑張るのを楽しんでいる子どもたちを見ていて不思議に思いました。
終わって帰路は原稿チェック。
実は新刊には栗本さんにもちょこっとお手伝いしてもらったのですが(二次障害へのコンディショニングに関して知見を披露してもらいました)
前後の原稿を読んだ栗本さんが「汗がかきやすい身体になれそうな本ですね」と。
めずらしくうまいこと言います。どういうことかというと、それくらい「熱い本」だということです。
ということで原稿があまりに熱いので湯あたり状態になり
アイスクリームを食しながら原稿仕事継続。
帰ってきたら
「ああ治るってこういうことだよね」って思うツイートがあったので貼っておきました。
治っていく
治った結果
よく「生まれ持ったものに治療という言葉はおかしい」とか難癖つける人がいますが
治るってニコマムさんが言っているように
生まれながらに持っていた問題が取れていくことによって
同じように生まれながらに持っていたけどそれまで気づかなかったものが表に出てきて生きる力になっていくっていうイメージです。
生物としての本来の強さが出てくるのね。
そんな感じ。
そういうの見たことない支援者もいるようなのでスクショ貼っておきました。
原石にたどりついたことがないんだろうね。
まあ、それがダメな支援者だというわけではないと思います。
亀レスすみません。
お二方へのお返事は、花風社かるたの「か」の中でやっていこうと思います。しばしお待ちくださいませ。
お子様方の健やかな成長をお祈りしております。
またお越しくださいませ。
まだまだ普通に登校できている状態ではないので
治ってきているといえるのかはよくわからない。
でも日々、楽になってきているような、
立ち直りが早くなってきているような気がします。
「慰められるのとか、気遣われるのとか、自ら求めないうちに誰かに指針を示されるのとかは嫌いで。」
この言葉にもうなづいてしまいました。
ただ広い社会に出ていけば、慰めてくれる人もいる、気遣われることもある。
学校という社会シュミレーションの場で、時々うっっとなりながらも、納得できるようになってきた・・かな?というところでしょうか。
このペースで間に合うのか(何にだ?・・ここは私の修行が必要なポイントかもしれません)、
不安になってしまう夜もありますが…。
私はただの親なので、日々彼と接するのみです。
テクニカルタームを使って彼を評することもできず、数値で彼をはかることもできず。
多くの症例と比べたうえの「彼は治った」という確たる根拠を、
「治る」に疑義を唱える方々に提示することもできず。
でも、彼は確実にラクになっているなあと
日々接していて思います。
身体面も精神面も。
身体面は、不器用ながらも整え中です。
以前より格段に融通が利く身体になってきていると思います。課題はまだまだたくさんですが、そんな身体と自分なりに向き合えている感じです。
精神面は、今まで関わってきた全ての方に土台を固めていただいたおかげで、今少しづつ自分で芽を伸ばしている感じです。
彼は特に園や学校の先生方にとても恵まれました。
彼を尊重しつつ、善悪をきちんと教えていただきました。
彼自身がそのありがたさを理解するのは、きっとずっと先だろうなとは思いますが。
そして、ラクになった後、色々挑戦できる余裕が出てきました。トライした後の失敗も楽しめるようになった彼に、内心とても驚いています。
こちらがあれこれフォローを考えなくても、苦い経験も消化して自分でさっさと立ち直っている。
そして次の策を勝手に自分で考えている。
本来、彼はそういうのが好きなタイプなのだろうなと最近気付きました。慰められるのとか、気遣われるのとか、自ら求めないうちに誰かに指針を示されるのとかは嫌いで。
いろいろ模索している彼を見ると、成長したなと思います。
そうか、「治った結果」ってこういうことなのですね。
私は記事にあげていただいたツイートの前に
「ウチの子は治ったと言っていいかどうか、正直よくわからない」とつぶやきました。
でも、本来の彼の強さが出てくるということ、確かにその変容ぶりは親の目で見てよくわかります。
今の彼はラクで楽しそうだなと思います。色々受け止められる強さがちょっとずつ育ってきたから。
エビデンスとして示せなくても、それが親の望む「治った」像です。
彼の問題行動がすっかり取れてきた頃、
「接しやすい子」になって私は怖くもなりました。
彼はこちらの枠に当てはめただけの「いい子」になっていないか。
彼は、いろいろ我慢してこちらの望むように振る舞っているだけではないか。と。
また、彼の生真面目な優しさが垣間見えたときも、
これは単なる特性から来る行動で、思いやりとは違うのではないか、とか。心配になりました。
でも、日々接する中で、ああ無理しているわけではないんだなあとか
確かに特性からくる優しさかもしれないけど、だからそれが不自然ってわけじゃなくて
自分の持っているモノをうまく生かしているんだなあとか、
そんなことがちゃんと伝わってくるようになり、
今はお互い、以前よりずっと自然に接することができています。
ああ、昔はここで気を遣ったよなぁ、と心配した日々を懐かしく思います。
親子で取り組むべき課題はまだまだ盛りだくさんで、
私も親としての修行がまだまだ続きますが、
土台を育てることの大切さ、
身体を整えることの大切さ、動かすことの楽しさ、
自分のもっているものを強みとして生かす楽しさなど
たくさんの核となる視点を貴社の書籍や勉強会から与えて頂き、日々を楽しく受け止められることができています。
新刊も楽しみにしています!