治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

『言葉のない子と、明日を探したころ』をたにしさんにお贈りした理由

2021-12-19 09:48:01 | 日記
さて、高松講演では二年連続大変お世話になった上におうどんまで送ってくださった読者のたにしさん。
最終日のドライブでは、ご一家が今直面している道の選び方についてお話をききました。

道の選び方、であり、「分かれ道」ではない、と思いたい。
なぜなら人は発達するから。
途中から障害者でなくなったり、障害程度がぐっと軽くなったり、
そういうことはよくある花風社周辺ですが
「治っている人いますよ」と伝え続けることが
子どもの時の診断が足かせにならない人生を増やすだろうという信念のもと、私は仕事をしています。

このドライブの時からたにしさんに読んでいただきたい本があり、お世話になったお礼にお贈りしようとおもっていました。
それが『言葉のない子と、明日を探したころ』です。

これは横浜の瀧澤久美子さんの推薦により、他社で出て絶版になっていたものを私が花風社での再版を決めた本です。

前版元ではお母様のみが著者でしたが、お母様の思い出話に大人になった自閉症のご本人、英司さんが絶妙な解説をしているので、花風社版は共著とさせていただきました。

一冊の本をどう読み、そこから何を学ぶかというのは本当に個別的で、それぞれがそれぞれの問題解決を求めて読むというのが本という媒体の醍醐味ですが、

思った以上にたにしさんはご自分のおうちの事情に引き付けて読んでくださったようです。
二歳くらいから突然問題行動が噴出したこと
多動でどこかに行ってしまいパトカーに乗って帰ってきたこと
など共通点も多いようですね。
(書影はたにしさんからお借りしてきました)

そしてたにしさんご子息は絶賛発達中で、進路を選ぶ時期になってきた。

真行寺さんのころは支援校一択で、しかもその支援校が今のようなアプローチではなく本当に強権的な指導もされたようで、それで潰れた方もいるような時代でしたが

英司さんはそこをサバイバルし、段ボール会社に就職し、お父様亡きあと引き継いだ土地にご自分のお金で家を新築されました。もちろんご自分の居心地のいい自室も作って。「自閉っ子、横浜に家を建てる」です。

そしてお母様が亡くなったときはお母様は息子さんの扶養家族でした。
小さいときさんざん苦労した子育て。その息子さんの扶養家族になったお母様は幸せな人生だったと思います。

そしてたにしさんが引用してくださったように
「本当にラクになりました。無駄なことは何一つなかった」というのが後年の実感だったようです。

私がたにしさんにこの本をお贈りした理由は、たにしさんの息子さんと英司さんが重なるからです。

障害の程度に関して言えば、大人になってもさほど言葉が出なかった英司さんの方が「重い」とされるのかもしれないけど、いつもSNSで見るたにしジュニアの中に英司さんと見出す共通点はとにかく元気なことと骨惜しみなく働くこと(お手伝い等)。

これやって、と頼まれると即身体が動くタイプ。
そしてそういう人が障害があってもなくても世の中で重宝されないとは私には思えないので
今後たにしさんご一家がどのような選択をされても結局お子さんの将来はうまくいく、と思えてしまうのは私が遠いところから俯瞰しているからでしょうかね。

そういう意味をこめてこの本をお贈りしました。

花風社はどうやら6年に一冊10刷(以上)する本が出ます。

黄色本芋本など、もうすぐ10刷の本もありますが、とりあえず6年に一回10刷する本を出しています。

そういう華々しい本に比べると『言葉のない子と、明日を探したころ』は地味な本です。
でも出してよかった本です。

長年の花風社ファンである大久保さんもこの本の存在は知らず
私が今回お話したら、ネットで注文してくださったようです。
大久保さんは時代の変遷をご存じですから、きっと感慨深く読んでくださるでしょう。

というわけでお子さんの将来を俯瞰したい方は、よかったら読んでみてください。
もちろん花風社からもお送りできます。
ご希望の方はこちらからどうぞ。このブログを見たとお書き添えいただければ送料は無料にします。



ただ、英司さんの時代の方が有利だった点が一つあります。

それは、現業系の人に安定した雇用があったことです。
これからはそこが課題になってきます。

でも雇用が安定していない分、流動性があるという見方もできます。
お子さんの将来のためにも、社会情勢にはアンテナを張り巡らしておきましょうね。福祉業界の動向だけではなく。


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