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さて、クイズのお時間です。
相変わらず治らない信者たちは「先天性の脳機能障害だから治らない!」と涙目で訴えてきますね。まず、脳機能障害という情報が古いので「神経発達障害」という言葉を速く覚えるように。
ああでも覚えたくないかもね。神経発達障害だったら身体アプローチ有効だっていう気がしてきてしまうもんね。犬の曲芸みたいに脳の、しかも大脳皮質だけにせっせと働きかけてパターン覚えさせて本人が使えないSSTをどや顔で公費でできなくなってしまいそうですよね、脳機能障害が古くて神経発達障害だということが行き渡ると。
それにそもそも「先天性」って何?
どこから始まるの?
その辺私は『発達障害、治るが勝ち!』に書いているよね。
某木っ端ギョーカイ人との会話として。
引用します。
=====
伝説3
「発達障害は生まれつきである」
でもギョーカイの全員が悪人ではないのだ。先ほどは名だたるギョーカイ人たちの言い訳と保身、追いつめられたときの往生際の悪さ(っていうか言い訳の下手さ)を思い出して書いてみたが、そこまで確信犯ではない木っ端ギョーカイ人もいる。その人たちの多くは「発達障害は治らない」と信念を持っているわけではない。大物ギョーカイ人たちが「生まれつきだから一生治らない」というものだから、なんとなくその言葉をオウム返ししているだけなのだ。だってさ、えらい人が言うから信じるし、その辺えらい人に合わせておいた方がギョーカイを生きるには無難だからだ。支援者自身はね。当事者保護者は別の話。
問題なのはこういう木っ端系の人も世間との橋渡しを担っていて、「一生治りません、配慮を」を外の世界に伝えてしまい、そのせいで損をしているのは発達障害のある人、その家族かもしれない、ということである。ハンセン氏病の歴史を見てほしい。差別がなくなってきたのは人々の人権意識が高まったから、だけではない。感染しにくいことがわかったこと、そして実際に治るようになったこともまた大きい。だから「一生治らないわけではない」ことこそ、社会に知っておいてもらった方がいいのである。
だから私はこういう「確固たる信念はないみたいだけど罪の意識もなく『生まれつきだから治らない』と言いふらしてしまっている人」と会う機会があると、揺さぶりをかけておくことにしている。
浅見「生まれつきだから一生治らない、とは私は思っていないんですよ実は」
木っ端「そうなのですか? でも生まれつきの脳障害でしょ?」
浅見「脳障害、っていうのがもう変わってきているんだけどね~。でもね、じゃあ『生まれつき』っていつから? いつ始まると思います? いつからが生まれつきだと思います?」
木っ端「……ええと…… お母さんの中からおぎゃあと出てきたとき?」
浅見「じゃあ、お母さんのおなかの中ではどうだったの? 『生まれつき』は始まってなかったの?」
木っ端「う~ん」
浅見「お母さんのおなかの中では胎児だったでしょ。その前は受精卵だったでしょ。その前は精子と卵子だったでしょ? じゃあ生まれつきってどこから始まったの? 精子のときから発達障害の精子だったの?」
木っ端「う~ん」
「生まれつきだから一生治らない」となんとなくオウム返ししている人も、実はその根拠は薄いのである。えらい先生がそう言っている。実際治った人を見たことがない。たいていその程度のものだ。だから「身体アプローチやっている人はなんだか一次障害治ってるよ」と話すと、意外と話を聞いてくれる(こともある)。そして「脳機能障害」というよりも「神経発達障害」という定義の方が新しいことも意外と知られていないので、教えてあげるといいかもしれない。
=====
さて皆さんは「先天的」ってどこから始まったと思います?
そして花風社は「先天的」だって言うことはあんまり否定していない。
「先天的でも治るよね」って思っている。
なぜでしょう。
自分の脳みそを絞って考えてみてください。誰かに洗脳されないためには自分の脳みそを振り絞るのはとても大事よ。
答えを思いついた人はコメント欄にGO!
相変わらず治らない信者たちは「先天性の脳機能障害だから治らない!」と涙目で訴えてきますね。まず、脳機能障害という情報が古いので「神経発達障害」という言葉を速く覚えるように。
ああでも覚えたくないかもね。神経発達障害だったら身体アプローチ有効だっていう気がしてきてしまうもんね。犬の曲芸みたいに脳の、しかも大脳皮質だけにせっせと働きかけてパターン覚えさせて本人が使えないSSTをどや顔で公費でできなくなってしまいそうですよね、脳機能障害が古くて神経発達障害だということが行き渡ると。
それにそもそも「先天性」って何?
どこから始まるの?
その辺私は『発達障害、治るが勝ち!』に書いているよね。
某木っ端ギョーカイ人との会話として。
引用します。
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伝説3
「発達障害は生まれつきである」
でもギョーカイの全員が悪人ではないのだ。先ほどは名だたるギョーカイ人たちの言い訳と保身、追いつめられたときの往生際の悪さ(っていうか言い訳の下手さ)を思い出して書いてみたが、そこまで確信犯ではない木っ端ギョーカイ人もいる。その人たちの多くは「発達障害は治らない」と信念を持っているわけではない。大物ギョーカイ人たちが「生まれつきだから一生治らない」というものだから、なんとなくその言葉をオウム返ししているだけなのだ。だってさ、えらい人が言うから信じるし、その辺えらい人に合わせておいた方がギョーカイを生きるには無難だからだ。支援者自身はね。当事者保護者は別の話。
問題なのはこういう木っ端系の人も世間との橋渡しを担っていて、「一生治りません、配慮を」を外の世界に伝えてしまい、そのせいで損をしているのは発達障害のある人、その家族かもしれない、ということである。ハンセン氏病の歴史を見てほしい。差別がなくなってきたのは人々の人権意識が高まったから、だけではない。感染しにくいことがわかったこと、そして実際に治るようになったこともまた大きい。だから「一生治らないわけではない」ことこそ、社会に知っておいてもらった方がいいのである。
だから私はこういう「確固たる信念はないみたいだけど罪の意識もなく『生まれつきだから治らない』と言いふらしてしまっている人」と会う機会があると、揺さぶりをかけておくことにしている。
浅見「生まれつきだから一生治らない、とは私は思っていないんですよ実は」
木っ端「そうなのですか? でも生まれつきの脳障害でしょ?」
浅見「脳障害、っていうのがもう変わってきているんだけどね~。でもね、じゃあ『生まれつき』っていつから? いつ始まると思います? いつからが生まれつきだと思います?」
木っ端「……ええと…… お母さんの中からおぎゃあと出てきたとき?」
浅見「じゃあ、お母さんのおなかの中ではどうだったの? 『生まれつき』は始まってなかったの?」
木っ端「う~ん」
浅見「お母さんのおなかの中では胎児だったでしょ。その前は受精卵だったでしょ。その前は精子と卵子だったでしょ? じゃあ生まれつきってどこから始まったの? 精子のときから発達障害の精子だったの?」
木っ端「う~ん」
「生まれつきだから一生治らない」となんとなくオウム返ししている人も、実はその根拠は薄いのである。えらい先生がそう言っている。実際治った人を見たことがない。たいていその程度のものだ。だから「身体アプローチやっている人はなんだか一次障害治ってるよ」と話すと、意外と話を聞いてくれる(こともある)。そして「脳機能障害」というよりも「神経発達障害」という定義の方が新しいことも意外と知られていないので、教えてあげるといいかもしれない。
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さて皆さんは「先天的」ってどこから始まったと思います?
そして花風社は「先天的」だって言うことはあんまり否定していない。
「先天的でも治るよね」って思っている。
なぜでしょう。
自分の脳みそを絞って考えてみてください。誰かに洗脳されないためには自分の脳みそを振り絞るのはとても大事よ。
答えを思いついた人はコメント欄にGO!
えっと・・・精子と卵子は元々別の個体なので、受精して新たに「個体」となった「受精卵」がやっぱり「先天性」の始まり・・・なのでは?
なので神田橋先生に(子どもの発達障害が)父親由来。と言われた時、すんなり納得できました。
わたし自身、多少なりとも聴覚過敏があったり拘りもあったのですが、子どもの時に毎日公園で外遊びをしていたので自己治療できたのではないか?と思っています。
なので濃かれ薄かれ発達障害的な特徴をみんな持っていると思います。
そして、みんながみんな発達障害的なものを持っているけど、普通に勉強や仕事が出来ている人も多くいるので、治るんです。
先天性とはいつから始まる?
➡︎受精卵から?と思いましたが、違う気がします。胎児の成長過程で身体の一部に欠損が出ることもありますし、成長後に遺伝子疾患がわかることもあります。
そこで「先天性とは何か」という問いを考えると、「先天性とは、始まりや終わりがあるのではなく、例えば先天性〇〇と言うように生まれた時の状態を表現する言葉」ではないでしょうか。
生まれた時の心身の状態なので、当然良くなったり治ったり、また逆の方向に行ってしまうこともある。
思い出しちゃいました~・・・
息子と通園で同じクラスだった子のママ、どうしても原因が知りたい!と「遺伝子検査」をご夫婦で受けてました・・・
って事で、後出しジャンケンになり恐縮ですが・・・遺伝子が答え!
そういえば、どこかで、遺伝ではない!と力説している人をみたような…。
あくまで、因子を持っているということで。