昨日は朝、こういうメールを受け取ってむかむかしました。
=====
> 私は相談員からも支援者からも「判断能力がないくらい障害が重い」とすでに言われています。
> なので支援者や相談員を通して主体的に生きるのは無理です。判断能力がないということは支援者が代わりに決めてあげなくてはいけないということなので今まで支援者に決めてもらうしかなく、私はただ支援者の言うことに「はい」も従うしかありませんでした。
> 自分から「こうしたい」と話したこともありますが、支援者からは、
> 「でもあなたの障害の程度だと1人暮らしは無理だと思うよ」
> 「あなたの障害の程度だと介助者が1人べったりついているような所でないと仕事は無理だと思うよ」
> と言われています。
=====
栗本さんより立派な書き言葉を書けるこの人のどこが「判断能力がないくらい障害が重い」のか。
また、自分の処遇を決められないくらい重いのなら後見人はついているのか。
後見人がついていないのなら、「後見人がついていない人」という事実を無視して無理やりことをすすめているのはむしろ福祉の方じゃないのか。
何しろ地元の福祉はこの人を、一種の予防拘禁したいらしい。相模原の犯人は野放しにしておいて、自分たちに都合のいい人、やすやすと言うこと聞いてくれる人は拘禁したがる医療福祉って何よ。たんに年金が自分たちのお財布に環流してくるようにするための金儲けじゃないでしょうか。
私は地方の人間関係はわからないけど、上下関係が激しく、これほど私に自分の気持ちを伝えてくる人、その能力がある人が支援者には言いなりにならなければ村八分らしい。村八分されてどんな都合が悪いことがあるのかもよくわからないけど、そんなめんどくさい人間関係があるのなら転地すればいい。生活保護だって障害者年金だってよそだって受けられるでしょう。そしてきっと地方のつまらない上下関係の中で、当事者も保護者も希望をつぶされて、多くの人が人権侵害されている状況にあるのでしょう。
第一福祉はいつも躍起になって、意思決定支援とかのセミナー開いて鳥頭会議しているじゃないの。と思って検索してみました。これくらい日本語が書ける人が重度だという判定はよくわからないけど、とりあえず言葉がない人の意思決定に現場は腐心しているのだろうから。
そして探し当てた意思決定支援、を謳うそのブログ主が、言葉のないわが子が「お茶を飲みすぎる」と言って「水筒を食洗器に入れたら止まった」とドヤ顔で報告しているのに朝から大笑いしました。それが行動修正だと思っているんだ。有害。
水分摂取と言う基本的な欲求。おそらく生命レベルの。それさえ無視する人が意思決定セミナー開いたりキャラバンやったり。笑う。ほんとに笑うしかない。本末転倒すぎる。
お茶を飲みすぎる。おそらく渇いているのでしょう。だったら水筒にお茶ではなく水を入れておいてあげればいいじゃないですか。その方が量はまだ収まるでしょうよ。水はお茶ほどどんどん排出しないから。
そしてこの水筒を取り上げられた人はきっと、発達障害の人によくあるように腎臓が発達途上の人なのでしょう。発達しようともがいている腎臓。水の飲みすぎは下手な自己治療。でも治療しなきゃいけないことをこの人は自分で気づいているのです。
腎臓が発達したらきっとパニックも癇癪もましになります。芋本黄色本読んで腎臓のワークをすればいいでしょう。キャラバンやっているよりその方がお子さんはラクになりますよ。もっとも親としてはそういう地味な営みよりカリスマママさんとして目立つ方が優先なんでしょうけど。
私に相談してきた「日本語が栗本さんより書ける人」には、とりあえず自分がどういう未来を希望しているか、私に伝えてきたようにご家族に伝えるように話しました。これまでのメールのやりとり、全部見せていいよと言いました。
希望の進路なんて一番影響があるのはご家族です。それをなぜ他人の私に言えるのにご家族に伝えられないのか。この家族関係も私にはわかりません。
でも愛甲さんにはわかるそうです。
それが大家族的な家風が残っている場所の愛着障害だそうです。
自分の希望が率直に伝えられない。
上の人の命令に心ならずも従ってしまう。
それもまた愛着障害だそうです。
そして心ならずも従ううちに、主体性を失っていき、健康から遠くなるそうです。
私は家族になんでも打ち明けるわけではありません。
でも家族に打ち明けないことは、おそらく誰にも打ち明けないと思います。
家族がなんでも同意してくれるわけではありません。希望を伝えた結果、反対されることだってあるだろうし喧嘩になることもあるでしょう。
でも一番影響のある人たちには、きちんと意思表示をしなければ何も進まないじゃないですか。
親にさえ希望を伝えられない。
自分の能力を知らない支援者に進路を決められる。
信じられません。
皆さんは信じられますか?
皆さんは家族に自分の未来への希望を伝えていますか?
いないのならそれはなぜですか?
愛甲さんに説明していただいたのですが
私にはどうしても肌身でわかりません。
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> 私は相談員からも支援者からも「判断能力がないくらい障害が重い」とすでに言われています。
> なので支援者や相談員を通して主体的に生きるのは無理です。判断能力がないということは支援者が代わりに決めてあげなくてはいけないということなので今まで支援者に決めてもらうしかなく、私はただ支援者の言うことに「はい」も従うしかありませんでした。
> 自分から「こうしたい」と話したこともありますが、支援者からは、
> 「でもあなたの障害の程度だと1人暮らしは無理だと思うよ」
> 「あなたの障害の程度だと介助者が1人べったりついているような所でないと仕事は無理だと思うよ」
> と言われています。
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栗本さんより立派な書き言葉を書けるこの人のどこが「判断能力がないくらい障害が重い」のか。
また、自分の処遇を決められないくらい重いのなら後見人はついているのか。
後見人がついていないのなら、「後見人がついていない人」という事実を無視して無理やりことをすすめているのはむしろ福祉の方じゃないのか。
何しろ地元の福祉はこの人を、一種の予防拘禁したいらしい。相模原の犯人は野放しにしておいて、自分たちに都合のいい人、やすやすと言うこと聞いてくれる人は拘禁したがる医療福祉って何よ。たんに年金が自分たちのお財布に環流してくるようにするための金儲けじゃないでしょうか。
私は地方の人間関係はわからないけど、上下関係が激しく、これほど私に自分の気持ちを伝えてくる人、その能力がある人が支援者には言いなりにならなければ村八分らしい。村八分されてどんな都合が悪いことがあるのかもよくわからないけど、そんなめんどくさい人間関係があるのなら転地すればいい。生活保護だって障害者年金だってよそだって受けられるでしょう。そしてきっと地方のつまらない上下関係の中で、当事者も保護者も希望をつぶされて、多くの人が人権侵害されている状況にあるのでしょう。
第一福祉はいつも躍起になって、意思決定支援とかのセミナー開いて鳥頭会議しているじゃないの。と思って検索してみました。これくらい日本語が書ける人が重度だという判定はよくわからないけど、とりあえず言葉がない人の意思決定に現場は腐心しているのだろうから。
そして探し当てた意思決定支援、を謳うそのブログ主が、言葉のないわが子が「お茶を飲みすぎる」と言って「水筒を食洗器に入れたら止まった」とドヤ顔で報告しているのに朝から大笑いしました。それが行動修正だと思っているんだ。有害。
水分摂取と言う基本的な欲求。おそらく生命レベルの。それさえ無視する人が意思決定セミナー開いたりキャラバンやったり。笑う。ほんとに笑うしかない。本末転倒すぎる。
お茶を飲みすぎる。おそらく渇いているのでしょう。だったら水筒にお茶ではなく水を入れておいてあげればいいじゃないですか。その方が量はまだ収まるでしょうよ。水はお茶ほどどんどん排出しないから。
そしてこの水筒を取り上げられた人はきっと、発達障害の人によくあるように腎臓が発達途上の人なのでしょう。発達しようともがいている腎臓。水の飲みすぎは下手な自己治療。でも治療しなきゃいけないことをこの人は自分で気づいているのです。
腎臓が発達したらきっとパニックも癇癪もましになります。芋本黄色本読んで腎臓のワークをすればいいでしょう。キャラバンやっているよりその方がお子さんはラクになりますよ。もっとも親としてはそういう地味な営みよりカリスマママさんとして目立つ方が優先なんでしょうけど。
私に相談してきた「日本語が栗本さんより書ける人」には、とりあえず自分がどういう未来を希望しているか、私に伝えてきたようにご家族に伝えるように話しました。これまでのメールのやりとり、全部見せていいよと言いました。
希望の進路なんて一番影響があるのはご家族です。それをなぜ他人の私に言えるのにご家族に伝えられないのか。この家族関係も私にはわかりません。
でも愛甲さんにはわかるそうです。
それが大家族的な家風が残っている場所の愛着障害だそうです。
自分の希望が率直に伝えられない。
上の人の命令に心ならずも従ってしまう。
それもまた愛着障害だそうです。
そして心ならずも従ううちに、主体性を失っていき、健康から遠くなるそうです。
私は家族になんでも打ち明けるわけではありません。
でも家族に打ち明けないことは、おそらく誰にも打ち明けないと思います。
家族がなんでも同意してくれるわけではありません。希望を伝えた結果、反対されることだってあるだろうし喧嘩になることもあるでしょう。
でも一番影響のある人たちには、きちんと意思表示をしなければ何も進まないじゃないですか。
親にさえ希望を伝えられない。
自分の能力を知らない支援者に進路を決められる。
信じられません。
皆さんは信じられますか?
皆さんは家族に自分の未来への希望を伝えていますか?
いないのならそれはなぜですか?
愛甲さんに説明していただいたのですが
私にはどうしても肌身でわかりません。
自分の人生を自分の手で掴むために、親御さんにご自身の想いを、意思を、自分の選んだ道をお話しください。
それは親御さんを説得するためではなく、覚悟を持って一歩足を踏み出すためにです。
私も、浅見さん、コメントを書かれた皆さんと同じように応援しています。
奪われるのは主体性なんです。
相談されてどんなアドバイスをしてみても
どうせ無理だから・・・と言うばかりで。
こうしたいと本人が思えるようになるまで
言えるようになるまでに数年がかかりました。
主体性が戻ってくるとどうなるか、
加害者の思い通りには動かなくなります。
ギョーカイや福祉の人たちの中にも
主体性を持たれることを嫌う人たちがいるのですね。
とても酷いことだと思います。
大家族の・・・というのは私もわかりませんが
家族に伝えることをどうか諦めないで
そう思います。
とりあえず親や周囲の目の届く範囲で行動させ、自分で選んだり考えたりすることをすべて否定されて育つと、どこかで抑えられた感情や怒りが出てくると思います。
それを「病状悪化」「人や物に当たるようになった」「問題行動が増えた」と捉えて 押さえつけたり薬漬けにしたり、施設に押し込めたりしても、根本的な解決にならないと思います。
「親や周囲の目の届く範囲でコントロールする事」を目標にして行く事の先に希望はないと思います。
過去の発達のヌケを周囲からは「問題行動」にしか見えない事をしながら取り戻す事や、押さえてきた感情を表現する事をしながら、その人本来の能力発揮や自然な感情表現ができるようになっていくと思います。
私も支援施設に通っていた頃があって、その頃何をするにも支援員の了解が必要でした。
おそらく、向こう側にとって、私には意思決定するだけの力はないと思われていた。
一種の、マインドコントロールのように思え、次第に、自分自身でも、決定をするだけの力はないのかも、と思えてきました。
でも、それらを越えて、今があります。
それはもう、壮絶な戦いを親との間にも、支援施設との間にも繰り広げました。
膿が出ている時って、目も当てられないのが事実です。
とても辛いし。
でも、そこを通って治るんです。
その時、どれだけ本人の主体性を引っ張り出すか、です。
自分でケリをつけさせる練習をしないと。
そのためには、その人を一人の人、意思を持つ人間として扱うことが大事だと思います。
支援者さんは支援者さんで、就労する利用者が少ないと、毎日の生活のめんどうをみてあげるのが自分の仕事だという意識になり、そうなると「利用者を就職させるなんてやったことないし、めんどくさっ」となるかなー、と。それは特別支援学校も同じだと思います。
しかも、親が就労させたいと思っていないとすれば(就労すれば子どもが起こしたトラブルが自分にも波及してくるという不安もあるかもしれません)、支援者さんや先生は本人にあきらめるように説得しようとする方向に動くこともありうると思います。
親が、子どもの将来をしっかりイメージしていないと、自分がやりやすいように支援したい支援者さんにゆずってしまい、「ご両親もそう言ってるよ」ということになることもあるかもしれません。
「おたくのお子さん、これもあれもできませんでしたよ」「やっぱり一般就労はムリですよねー」「福祉事業所が無難でしょう」「そうですねー」 ・・・私はそんな会話をしたくありませんでした。
というのが、私が、うちの自閉症の息子の就労希望を言い続けてきた中で体感してきたことです。子どもが「お仕事したい!」と言っているのだから、親があきらめるべきではないと思い続けてきました。
うちの息子は、その方のようには文章も書けませんし、口でもうまく意思表示できませんが、家でのお手伝いを見ているとやる気満々なのが伝わってきていましたので、なんとか就労を実現させてあげたい、それが息子への支援だと思ってきました。少なくとも実習等を経験した上で本人があきらめない限りは、チャレンジを続けるべきだと思いました。そうでないと、親が子どもの可能性をつぶすことになるからです。
今年パート社員ですが就職した息子、毎日「今日も一日がんばるぞー!」と張り切って通勤しています。最低賃金ですけど、施設時代の1年分の給料をひと月でもらっています。
本人が「○○したい」と意思表示をしたら、やらせてみもしないでムリだと説得するのではなく、ムリかどうか身をもって経験させるのが、あるべき支援だと思います。
この方にとって、本当に越えねばならないラスボスって、親なのかもしれないと思います。
支援者は、親の意向から外れたアドバイスや支援をそもそもしないです。スポンサーだから。
親が滲ませる迷いや諦めを丁寧に汲んで、支援者はハードルをどんどん下げていきますが、しばしば、この方のように、ご本人の主体性を無視したレベルまで下げてしまう事があります。
それは親が、我が子の主体性を無視しているという事でもあると思うのです…。
支援は、本人の人生の充実の為にあるのか、親の安寧の為にあるのか。
どちらもあるけど、これまでずっと長い間、後者の要素があまりにも強かったかもしれません。
本人の主体性を支える支援がもっと増えて広がって欲しいと思うし、この方がそういう支援に繋がれるよう、心から応援しています。
浅見さんにメールされた方は、少なくとも、
このままでは、自分の将来に希望が持てない
と自覚されているのではないでしょうか。
日記から連想したのは、二十年前の自分の姿です。
当時、私の抱えていた問題で一番大きかったのは、
人並みに働けていない
ということでした。
ですが、親が問題にしていたのは、
適齢期なのに嫁にいっていない
でした。
この頃は、公共の相談機関を幾つかあたりました。
ある所では、親の意見と同じことを言われ、帰りの電車で悔し泣きました。
浅見さんにメールされた方は、問題意識を持っているからこそ、メールを書けたと思います。
親御さんと希望が一致しなくとも、試行錯誤できる方だと感じています。
「支援者や相談員を通して主体的に生きるのは無理です。」と、一言も無駄がない、自分で
答えを出していらっしゃる。
なら、次、誰に伝えるか。
まず家族しかないと思う。
それが一番早くて、事が動く。
口語じゃなく、これだけ書ける文章力で
手紙だっていい。一度じゃない、何度でも。
家族には言えない。
福祉の洗脳的な事には、はいと答える。
それでは何も変えられないと思う。
障害の有無関係なく、子ども、大人だって
家族とは喧嘩もし、でも貴重な意見を聞く
こともある。
し、家族にしか動かせない局面が必ずあると
思う。
家族に打ち明けていく中で、
愛着問題だって変われる
可能性があると思ってなりません。
大家族のナントカでの愛着…
自分も理解に苦しみます。わからない。
主体的に生き、働いていきたければ、
これだけの表現力は大きな自分の力です。
ご家族と共に自分の将来のため思い切ってがんばってほしいです。
浅見さんにメールしてきた時点で、ご自身の希望も行動力もおありだと思うのですが。
これだけの文章を書く事ができる能力のある方を、与し易いから言葉で福祉の範囲に収めておこうという魂胆も見え隠れしますね。
ご家族が、福祉で支援者が支えてくれて入れば安心と思っていたら、メールの方の現状を見て下さるのは難しいかもしれませんが、先ずは小さなことからでも自分の意志で決められてみて、小さな反抗期、イヤイヤ期をしてみてもいいのでは?と思いました。
浅見さんに相談された方はおかしいとは思っているんだけど、一人立ちする自信はないという感じじゃないですかね。一足飛びに何もかも支援を切ってしまわなくてもいいんじゃないかと思います。準備がまだ足りないのを自分でもなんとなくわかっているんじゃないかな。口出されてうるさいところはあるけど、生活の面倒を見る気はある人たちなのだし。自分の方針だけしっかり持って、味方になってくれるように頑張っているところを見せるでもいいし。定型の子は学校の先生が指図してもハイハイと聞いて怒られない範囲で好きなようにやっています。それが準備になっていたりするのです。一人立ちの練習じゃないですけど話半分で返事しといて、体調を整える、実力をつけることを継続して自信がついてくれば自然と別れを切り出す気分になる時が来るのではないでしょうか。